ぷかぷかと浮かんでいれば月光が有意義に照らしてくれる。 命をかけてまで何度も何度も海上に出るのは、この柔らかな光に照らされる為だ。 海中からずっと空を眺め。その空に浮かぶ美しい満月に恋焦がれ。いつの間にか自分の姿をそれに模してしまった。 それが今の私。 完全にそうなる事はできなかったが、愛おしい月から見れば自分もまた水中にある月に見えるはず。それだけで心 満たされるものがある。 きっと月は私達を見、自分は独りぼっちではないと安堵してくれる。 夜空に月と同じ存在は居ない。 昼間でさえ、そうだ。 白く輝く月はこの世にたった一つ。 太陽は違う。 太陽は荒っぽく、実に傲慢だ。私達も容赦なくその熱で溶かしてしまう。 優しさがない。柔らかさもない。 そのくせ月と同じ空に浮かんでいる。それがたまらなく悔しくなる時もある。 ああしていつか私も空に浮かべたら、あの月の側に浮かべたら、どんなに幸せか。 しかし私に出来るのは、一生に数回、潮に上手く導かれたその時に、こうして海上に僅かな間だけ姿を浮かべられ るのみ。 海月になった同胞達もそうだ。 そして力尽き、沈み。海底に達する前に溶けては消える。 月に憧れる私達も、最後には水に溶け、海水になる。 だが水になったとしても、暴君に照らされ蒸発し、雲になって空に行けるのであれば、全てに感謝したい気持ちに もなる。 意思がなく、月の側に浮かぶだけの取るに足らない存在になるのだとしても、きっと私達に在った記憶が、その雲 を喜びで満たしてくれるだろう。 降り落ちる雨も歓喜の涙。 それとも空から去らなければならないという別離の涙か。 それが決して月に達する事のない、この星という小さな小さな箱庭の中でのわずかな高さの違いでしかないとしても。 私達は変わらず追い求める事で、自然の中の一つの流れとなる。 求めるという事が、例え決して叶わない願いだとしてもそれを求めるという事は、かくも偉大な力となるのだ。 そう、思っている。 今も。 |