孤高と孤独


 誰よりも高みに到達した者がいる。王と呼ばれ贅沢の限りを尽くし、人民の頂点に立って全てを睨み据

えている。

 王には誰も手出しできず、口出しも出来ない。全ての権利はただ王のみに在り、王の為に全ての民は生

き、死んでいく。

 そしてここに誰よりも蔑まれる者がいる。生まれながらに親も縁者も知らず、ただただ日々を生き伸び

てきた。物乞いをし、できる事はなんでもやった。誇りや品格などどこにもない。ぼろに包まれるだけの

卑小な生き物。

 あろう事かこの二者が対面する機会が訪れた。

 王が自分とは何もかも完全に違う乞食という存在に興味を持ち、王宮へと呼んだのだ。百官居並ぶ中で

見るその姿は、さぞかし滑稽(こっけい)に見える事だろう。

 乞食はまるでその心が伝わったかのように身を震わせ、冬でもないのにひもじそうにしている。見る者

に憐れすら感じさせない。ただただ恥ずべき異物とされるだけ。

 これが自分と同じ人間なのだと、誰が納得しよう。官といえば王威の代理者、民を統括する存在。そん

な自分達とこのような乞食の、一体何が同じだというのか。

 類似点を一つとして見出せない存在に対し、憐れめという方が無理である。

 百官は袖で鼻を塞ぎ、目を逸らす。王の気まぐれに呆れているのか。

 だがそれを表に見せれば首が飛ぶ。王には全てを隠すしかない。

 王は百官のそのような姿を見、彼らが乞食を見るのと丁度同じ思いを抱いている。

 その下卑た心に気付かない程度の人間が、王になどなれるはずがない。それが解らぬからお前らは王に

なれず、俺の下に付いておるのだ。この穢(けが)れた売誇奴めが、と。

 王の目はむしろ乞食に向ける時の方が澄んでいる。

 王も乞食やその類を知らぬではない。だがここまで酷いのは初めて見た。この者はまるで乞食となる為

に生まれてきたようではないか。

 みすぼらしい姿。滑稽な仕草。愚かな眼差し。曇った顔。どこをどう見ても笑いを誘う。いや、笑うし

かないと思わせる。そうでなければ同じ人間である自分が救われぬ。

 いや、何故俺はこんな事を思うのだ。我は王。生まれ出でし時より特別な存在。天の恩寵を賜る、天の

子である。天下を治める事を天に許され、下界に光臨した。そんな自分が何故同じ人間だと思うのか。

 王は生まれて初めて、自分の心に不可解なものを感じた。

 今までこんな事は無かった。常に理路整然とし、行く先は常に定まり、その道には勝利と栄光だけがあ

ったのだ。屈辱も死によって贖(あがな)わせる。誰も王を妨げる事など出来はしない。

 万民の頂点に立つ、そうあり続ける。それがこの俺だ。

 大王などと大げさに呼ぶものもいるが、それもまた屈辱に過ぎぬ。俺を誰かに定められるという屈辱。

我が栄光は俺だけが知っていればいい。余人が知る必要はない。ましてやこの官吏という愚か者どもに一

体何が解るというのだ、痴れ者め。

 でもだからこそ王は、そんな愚者から誰よりも愚かだと蔑まれている存在を、一度ゆっくり見ておきた

かったのだ。

 それがどういう意味になるのかは自分にも解らない。ただそうしたく、そうした。王が王であるように。

欲した事は命ずれば良かった。

「お、お招き、いただ、だきまして、ま、まっこと・・・」

 ぼそぼそと述べる口上を聞き、嘲笑の輪が広がる。人の嘲(あざけ)りは波のようだ。それを見下ろし

ていて尚、腹立たしい。

 何故誰もが誰かに従うのか。何故今笑う必要があるのか。この乞食とお前達と一体何が違うというのだ。

 王は澄んだ目で静かに乞食を観察している。

 あたたかみの感情からではなく、それを通して何事かを知ろうとでもするかのようだった。

 百官はそんな王心には気付かず、嘲笑を続けている。良く笑う者に生は無いというのに。

「大儀である」

 王が返答するや百官は静まった。そうせねば殺される事を解っているからだ。これも申し合わせたよう

にそうなる。

 一体こやつらはどこでこうも綿密に繋がっているのだろう。いつもは互いに罵(ののし)り、足を引っ

張り合っているというのに、こういう時にはぴたりと一致する。

 それが王には不思議だったが、問うた事は無い。馬鹿にまともな答えなど期待する方が間違っているか

らであり、王に間違いなどあってはならないからだ。

 解りきった事を問うのは無駄だ。そして解りきった事を笑うのも同様に無駄だ。何故それが解らぬのだ

ろう。笑えば死ぬと解っているなら、いつも黙っていれば良いではないか。それを申し合わせたように一

度に笑う。まるで大勢で共に行えば、それを許されるとでも考えているかのように。

 王は粛清の必要を感じたが、この全てを一度に殺す事は面倒でしかない事も充分解っていた。だから今

は不問にしている。

 しかしそれはいつまでだろう。

 そして何故王たる俺が遠慮しなければならぬのか。

 天か。いや、天は何も言わぬ。天は一度預けたものをいつまでもぐだぐだ述べているような器の小さい

存在ではない。

 ああそうか。だから俺も天に習い。この愚者どもを許しているのか。

 確かにそれはありうるべき答えである。

「・・・・・・」

 王がそれ以上言わぬので、乞食はいつまでも震えている。場違いなその姿を晒すのを恐れているのだろ

うか。

「何故、震えておるのだ」

 思わず問うた。

「へ、へえ、さ、寒いのでございます」

 返答は予期せぬものであった。

 百官が息を呑む。

 この乞食は王の面前で事もあろうに王の考えを無視するような事を言った。ここは王威に圧倒されて声

も出せませぬ、などと答えると決まっている。そこに本心を出すなどやはり愚かな乞食よ、と皆蔑(さげ

す)みの視線を浮かべた。

 だがそれを向けられた王だけは違った。あの澄んだ目で、事の全てを理解した。

 何故今日この日、この場所でこの者と出会ったのか。

 王は悟らされたのだ。

「もう帰ってよい。この者に衣服と食事、金を与えよ」

 それだけを述べ、王はたまらず私室へ引き篭もる。

 王は気付いたのだ。乞食が自分と同じであるという事実に。

 確かに身分は違う。居る場所も振舞いも違う。生活も何もかもが違い、考え方、物の捉え方も違うだろ

う。しかし本質的には全く同じなのだ。同じ人間だと考えたのは間違いではなかった。王たる俺が間違え

るはずがなかったのだ。

 あの乞食はどこに居ても乞食。路傍であれ王前であれ、例え天意の前でも変わらぬ乞食。誰に対しても

自分を変える事も偽る事もない。それは王と同じである。乞食もまた王。王とは逆の理由で王なのだ。

 孤高も孤独に変わりない。王も独り。あの乞食と同じように、どこに居ても独り。何も変わらない。未

来永劫変わる事がないのも同じだ。俺は王として万民に君臨し、乞食は乞食として万民に侮蔑される。だ

がそれはどちらも同じ、万民から外れている事に変わりはない。

 誰にも理解されず、誰とも同じではなく、ただ己がのみ在り続ける。その果てが王であれ乞食であれ、

何が違うだろう。誰も一個の人間として見ていない。誰にも理解されず、おそらく誰を理解する事も無い。

 王は百官が乞食を嘲笑していたように、裏では王の事を同じように嘲笑している事を知っている。

 百官は政務に励む王のおかげで安楽に暮らせているというのに、独り懸命に働く王を馬鹿にしているの

だ。自分達のように楽に楽に生きるのが一番良いやり方だと隠しもせず、心の内では全てを見下している。

 一番下らない存在に、万民の頂点に立つ王が馬鹿にされているのだ。

 そしてその点で彼らは誰よりも通じ合っている。だから申し合わせたように動く事ができるのだろう。

 そう考えた時、王は自分の孤独と無力さを思い知らされた。

 王とはなんと無意味な存在なのだろう。

 どれだけ励み。どれだけ天意に適ったとして、それがなんだ。結局あの乞食と同じではないか。

 大勢の人間に嘲笑され、利用され、その為に死んでいく。自分を馬鹿にする者達の為に身を削り、命を

消費し、ぼろぼろになって自分を哂う者に囲まれて死んでいく。その場所が高かろうと低かろうと、天か

ら見れば等しく同じ。どちらも常に愚かである。

 ならば王たる自分に何の意味があるだろう。何故万民を治めなければならぬのだ。何故俺が独りでやら

ねばならぬのだ。

 滅ぶなら滅ぶがよい。救うなら救えば良い。お前らの生き方が、この世で一番賢いというのなら、お前

らだけでやってみるがいい。そして証明せよ。己が無能さを。愚かさを。

 王はその日の内に全てを脱ぎ捨て、王宮から去った。誰も何も知らない。

 王宮は大騒ぎになったが、王がそう望んだ以上、誰が止められるだろう。誰が見付けられるだろう。雑

多な街並みの中、乞食が一人増えようと、一体誰が気付くのか。

 百官は王探しもそこそこに、互いに争い始めた。自分こそが誰よりも上に立ち、誰よりも利を受けるの

だ。自分こそそれに相応しいと。

 国は腐敗の極限に行き着き、程無く滅びを迎え、しかる後に新たな王が誕生する。

 しかしそれにどんな意味があろう。乞食が一人、増えただけではないか。


                                                          永続




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