マカオの種


「先輩、これは何ですか?」

「ああ、店長のお土産だよ」

 店内の窓際に置かれた一つの鉢植え。まだ芽も出て無くて、土しか見えない。

 喫茶店を営むにしては、どうにも殺風景で緑の少ない店内。それを今更嘆いた店長が、お店へのお土産

じゃいと、洒落た事を言って買ってきたと言う、そんな鉢植え。

 唯一と言ってもいい色彩だけに酷く目立つ。

「で、何の鉢植えです? チューリップとかヒヤシンスとか?」

「何だっけな・・・、ああそうだ、確かマカオの種とか言ってたなあ」

「マカオ!?」

 マカオ・・・・マカオ・・・。あれ、マカオって聞いた事あるけど、何か違うような。

「先輩、マカオってあれじゃあ無かったですか。あれあれ、確か都市か何かの名前ですよ、マカオ」

「え、そうだっけ」

「もしかして、カカオの間違いでは?」

「カカオってチョコレートで使う奴?」

 先輩は鉢植えを指先で弾いた。

「でも確かにマカオって言ってたぞ。それにカカオって鉢植えなんかになるか?」

「うーん・・・、でもカカオ豆って言うくらいだし、大丈夫なのでは」

「馬鹿だなあ、カカオって果実だよ。木になる果実。んで、カカオ豆はその実の種。こんなちっさい鉢植

えで育つ訳無いだろが」

「え、そうなんですか?」

 吃驚した。意外に知ってそうで知らない事って多いんだな。

 そう言えば、マカオも中国だっけ。前はてっきりインドネシア辺りだと思っていたけど。

「それはそれとして。やっぱりマカオなんて植物は無いですよ」

「いやいや、確かにマカオって言ったさ。なら店長に聞いてみるか?」

「良いですよ。店長は何処ですか?」

 すると先輩の顔が変った。まるで悪戯を見付かった子供みたいな顔だ。

 やってしまったと言う、あの感じ。

「しまった。そういや、店長また買い付けに出たままだよ」

「じゃあ、聞けないじゃないですか」

 うちの店長はやけにコーヒーに拘っていて、しょっちゅうそこかしこに出掛けている。お店をやるのが

目的でなくて、どうやら美味しいコーヒーを出すのが、いや自分で飲むのが目的らしい。

 その為には喫茶店店長で居る方が、万事都合が良いそうだ。

 単なる趣味だとやり過ぎと思われる事も、仕事だと言えば、仕事熱心な人だ、で通る。こんな便利な事

は無い。

 しかしそんな事バイトの俺に言われても困る。ほんとはコーヒーなんて一度も淹れた事無いし、出来れ

ば一生淹れずに済ませたいもんだ。まあ、客なんて滅多に来やしないから良いけど。それに先輩にやらせ

ときゃ良いし。

 それはそれとして。

「じゃあ探しますか、マカオって言う植物」

「ああ、今日は店じまいだ。さあ図書館に行こう」

 そうして俺達は店を閉めて、図書館へと出かけた。まだ昼過ぎだと言うのに。

 まったくもって不良労働者である。


「やっぱりねえよ・・・マカオなんて」

「だから言ったじゃないですか」

 とっぷり調べ疲れた俺達は、げんなりとして店に戻った。

 片っ端から探して見たけど、マカオなんてどこにもありゃしない。元々探す方が無駄だったんだ。

「ったく、誰だよマカオなんて言い出したのはよ」

 先輩はご立腹で、何故か一人でずっと怒ってる。むしろ怒るのは俺の方だろ。

「しっかし、解らないとなると、何故か気になるなあ・・・。そうだ、店長に電話して聞こう」

「え、電話番号知ってるんですか!?」

「当たり前だろ。店長の行き先も知らないで、店を任せてもらえると思うか? ほんとに、馬鹿な奴だな

あ、お前は。・・・えーっと、ピポパピポパと」

 先輩はちゃっかり店の電話を使う。

 と言うか、番号知ってるなら初めからそうしろ。この先輩は馬鹿だ馬鹿だと思ってたけれど、まさかこ

れ程とは思わなかったよ。今までだって、店長居なくて困った事が何回かあったのに、一体何度目で思い

出せたんだよ、このポンコツは。

「あ、店長。いやいや、お店は順調ですよ。ええ、まったく問題ありません」

 そりゃ店閉めてりゃ、問題なんか起こるはずがないよ。

 客何か一人も来りゃしないしさ。

「それでは無くて、あれですよ、あの鉢植え。ええ、そうです、その鉢植え。確かマカオの種って・・・

え、はい、ええッ!? いや、すみません。そうですか、ああ、なるほどね。解りました、手間かけてす

みません。ありがとうございました」

「どうでした?」

「ああ、マカオで買ったコーヒーの種らしい。んで、マカオの種」

「ええッ!?」

「何だ大声出して、吃驚するじゃあ無いか。まあ、そう言う事だ。うんうん、良かった良かった、これで

すっきり眠れるな」

「・・・・・・・」

 流石にブチッと来た俺は、やむなく鉢植えで先輩の頭を張り飛ばしました。

 ええ、そりゃあもう小気味良い音がして鉢植えが割れましたとも。綺麗に破片が飛び散りましたとも。

「さあ、少しすっきりした所で、そろそろ帰るかな。今日は栄養ドリンクでも買って帰ろう」

 声も我ながらぐったりと疲れてる。全てが無駄だと解った時のこの苦痛、何度味わっても慣れやしない。

 先輩は打ち所が良かったのか、たんこぶがぷっくり膨れ、口からあわあわ言ってるみたいだけど、まあ

それはそれ。報いあれだ。

 しっかし。

「こんなろくでもない暮らししてて良いのかな」

 店を出、一人で日暮れの中を歩いていると、何だか無性に虚しくなった。

 俺もまだ若い。今からやり直そう。

「よし、明日から職探ししよう!」

 そんなお話。




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