窓からの風景


 窓からの眺め。いつもの風景。しかしそこには様々な人間模様がある。

 いつも同じ眺めと言う人もいるが。窓から見る景色も、我々が常に変化し続け、年を重ねるのと同じよ

うに、やはり移り変っていくものである。

 その一瞬一瞬が一度きりのものだ。

 例えばあるみすぼらしい男を見た事がある。

 失業したのか、或いは別の理由なのか、彼の心までは流石に覗けないが。確かにみすぼらしく、その表

情には精気が感じられなかった。

 彼を見る人には、同情の視線を送っているのかじっと眺めている人も居れば、見るのも嫌そうにおおげ

さに避けていく人も居た。

 しかしその男が次の日になると、一転して姿が変り。煌びやかな格好をして、意気揚々と歩いているの

を見た。

 人は羨望の視線を送り、それから改めて自身を見返しては、絶望の溜息をついてでもいるかのように、

遠目に見ても肩から力が抜けていくのが解った。

 また、その男と逆に、きらびやかな衣服から一晩にして一変し、あくる日にはみすぼらしい格好になっ

ていた人も知っている。

 見る人の態度も、先の場合とはぴったり正反対であった。

 人は他人の何を見ているのか。そして自分の何を他人と比べているのか。

 それらを見た時、私は人生とは何であるかを考えずにはいられなかったものだ。

 時には、突然雨が降ってきた事がある。

 確か天気予報では晴れだと言っていたように思うし、実際、それまでは朝からずっと晴れていたように

思う。

 当然雨具など準備していない人々は慌てふためき、口々に悪態をつきながら家路を急ぐ姿が、次々と窓

を流れては消え去って行った。

 逆に突然雨が上がった日もあった。

 それまでは凄まじい豪雨で、私の窓も割れるのではないかと思うくらいの強風が吹き荒れ。鍵が外れて

しまわないか、ヒビでも入ってしまわないかと、何度も窓の側へ行き、確認したのを覚えている。

 常にない嵐のような天候で、確か台風であったように思う。

 しかし突然、台風の目に入ったのか、遠くへ過ぎ去ったのかは覚えていないが、からりと晴れ上がり、

満天の日差しが我々へとそそぎ始めた。

 人々は眩しさに目を細めるように天を見上げ。それから自身のズブヌレのみすぼらしい姿を見て、輝く

太陽とあまりにも不釣合いに思ったのか肩を落とし。何故今更晴れたのかとでも言うかのように、機嫌悪

く足並みを乱して去って行ったものである。

 これを見た時、人は周囲の変化、環境の変化というものに対し、一体どういう考えを持っているのかと

考えずにはいられなかった。

 大雪に沈む町並みを見た事がある。

 その年は珍しく大いに雪が降り、私もそこに住んでから初めて見るくらいに積もっていた。

 私の家も、もしかしたら潰れてしまうのではないかと思った程である。

 行き交う人々は少なかったが、しかしそんな日でも必ず外を出歩く人がいた。

 思ってみれば、いついかなる状態でも、私は一日中窓から誰も見ないという事はなかったのである。

 それが嵐であれ、大雪であれ、例え雷や雹が降っていてもだ。

 これは考えてみればとても怖ろしい事ではないだろうか。何故そこまでして人は、外へ出なければなら

ないのか。

 家の外と内とで、いったいどれだけの差があるのだろう。

 仕事がある。勉強する事がある。確かにそれは生きる為に何某かの力にはなるだろう。

 しかしその中には買い物袋を持った人、明らかに物見遊山である人、そういう無理にでも外へ出る理由

が無さそうな人も居た。

 何が人をそこまで外へと駆り立てるのか。人は常にゆっくりとは出来ず、何かに追われ続けていなけれ

ばならないのか。

 私はそれを思う時、人と言うモノに恐怖を覚えずにはいられない。

 他にも様々な人を見た。

 それはいつも一つの風景として私の目に映る。

 一つの絵を見て、その場の雰囲気と一連の流れを想像して楽しむように。記憶の中には、流れる窓から

の風景が、いつも一枚の絵として残っている。

 走り去る人がいた。追う人がいた。

 誰に追われる事も無く、一人でひたすらに走り去る人もいた。

 声をかける人がいた。振り返る人がいた。

 誰にも声をかけられず、下を向いて歩き去る人もいた。

 悲しそうな人がいた。慰める人がいた。

 誰にも関係なく、ただただ一人で喜んでいる人もいた。

 見詰める人がいた。気付かない人がいた。

 人目を避けるように、身を縮めて隠れ去る人もいた。

 歩く人がいた。走る人がいた。

 ふと立ち止まる人もいた。

 人は皆違う。しかし誰もがいつかは窓の端から消えていく。

 私はそれを静かに見ていた。

 そしてそれらは全てが一枚の絵として私の心に残っている。

 そういえば、眺めるだけの人生だった私の記憶の中で、一度だけ外から窓を叩かれた事がある。

 悪戯されたのでもなく、割るように力を込めて叩かれたのでもない。

 その人は道を尋ねたかったのだ。

 私は初めてその窓を開け、道を教えようとした。

 しかし道筋は複雑で、どうにも説明しきれない。私は懸命に教えたが、どうにもその人には伝わってい

ないようで、しきりに頷きながらもその表情が晴れる事はなかった。

 二言、三言交わした後、その人は諦めたのか、丁重に礼を言って去ろうとした。だが、私はどうしても

その人に道を教えたかった。どうしても教えたかったのである。

 私は決意し、その人を引き止め、外へ出、後は共に歩いて目的地まで案内する事にした。連れて行くし

か、他に方法がなかったのである。

 そうして二人で歩きながらぽつぽつと話題が生まれ、とても楽しい時間を過ごした。

 その人はしばしば私の窓を叩くようになり。その内一緒に窓を眺めるようになった。

 二人で眺め、二人で考え、時には意見の相違を感じ、それでもお互いを尊重したりもし、結局は変わら

ずずっと一緒に眺めていたのを、一つ一つよく覚えている。

 年月が過ぎ、三人、四人と一緒に窓を眺める人が増えていった。笑顔もあり、悲しむ顔もあった。その

頃からだろうか、私は家の中の景色にも目を向けるようになっていったのである。

 それからまた年月が経ち、眺める人数は二人に戻った。しかし私が家の中の景色を眺める事は、そうな

っても変わる事はなかった。

 そして今、私は一人で眺めている。一番初めに戻ったのだろう。ただ違うのは、私がひどく年老いた事

と、一人になっても時折家の中を見回すようになった事である。

 私は窓の外だけでなく、この家の中にも思い出が出来たのだ。

 私もその内ここからいなくなるのだろう。

 その時私は、果たして何処から何かを見ているのだろうか。或いは何も見ていないのだろうか。

 思い出は増えるのだろうか。それとも無くなってしまうのだろうか。

 だが例え何がどうなったとしても、この窓からの風景は変わるまい。

 そこにはいつも人が居て、いつでも変化に満ちているのに、変わらないと自身で決めつけている毎日を

続けているのだろう。 




                                            了 




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