善意


 戦争になってどれくらい経っただろうか、どうなっているのだろうか。私のような一市民には何も解ら

ない。勝っているという報道だが、負けているという人もいる。どちらでもないという人もいれば、どっ

ちだって死ぬ事は同じだ、という人もいる。

 私には解らない。

 檻に守られた動物達を護り続け、そして人々を楽しませる。私はそれだけを考えて生きてきた。今も、

昔も、それだけの為に生きてきた。

 そんな私を阿呆だという人もいたが、その人達も今は戦場に居る。すでに死んでいるのかもしれないし、

まだ生きているのかもしれない。

 私は足が不自由だったから、幸か不幸か行く事を免れた。戦争に行った人には悪いと思うが、おかげで

動物達を見捨てなくて済んだのだ。

 それだけはありがたいと思う。

 その想いがあればこそ、人の責めるような視線にも耐える事ができる。戦争に行かなくたって、誰かを

助ける事はできる筈だ。

 むしろ戦争に行かないからこそ、命を救う事ができる。何を恥じる必要があるだろう。

 動物に微笑む人達を見て、私はその事を実感する。

 これで良いのだと。



 従業員が次々に戦場へ行ってしまう。まだ少年と言っていい子供、老人に近い大人、誰でもかれでも戦

争だ。もう誰を救う為に戦っているのかも解らない。

 園に残っているのは老人か私のような傷病者だけ。これではとても運営していく事はできない。でも頑

張らなければ、動物達を護らなければ、それだけが私なのだから。そして彼らが帰ってくる場所を、護ら

なければならない。

「園長、あの噂は本当でしょうかいの」

「ん」

「いんや、いよいよここまで飛行機が飛んできて、爆弾落とすっちゅう話ですがいの」

「そんな事、ある訳がない」

「そりゃあわしもそう思いますがの。どうもおかしな事になっとるようで」

「ふうん。でもどちらにしても、我々のやる事は決まっているさ」

「そりゃ、そうですが」

 まだ何か言いたげだった従業員を納得させ、仕事へ向かわせる。我々に遊んでいる暇はないのだ。動物

達を護らなければ。この園を護らなければ。



 疎開が始まった。

 何故だ。こんな事が起こる筈がない。本当に負けていたなんて、誰が気付くだろう。誰も知らなかった。

だからこそ今まで何とかなっていたのに。

 少なかった従業員もますます減って、もう餌を配るだけで一日が終わる。掃除も運動も、何もできない。

勿論来園者などいない。このままでは、もう。



 もうやる餌さえない。

 我々もそうだ。配給制になって、満足に食えない日が続く。もうほとんどの人間は田舎へ逃げた。動物

達を見捨てて。

 私の身体は怒りに震えたが、どうにもならない。確かにそうだ、誰だって命は惜しい。でもまだきてい

ないじゃないか。爆弾は落ちていないじゃないか。なのに何故、逃げるのか。

 動物達を置いて、何故逃げるのだ。

 私には彼らが理解できなかった。

 独りになった私は何とか食糧をかき集め、動物達に分け与えた。満腹にする事なんてとてもできない。

でも少しでも食べさせなければ死んでしまう。

 命を、護りたい。



 何という事だ。

 これは何という事だ。

 軍から大型動物を殺すように命令が下った。そんな馬鹿な、こんな馬鹿な事があるだろうか。あってい

いのだろうか。

 勿論、私は反対する。やってたまるものか。私だけは護らなければならない。

 きっとだ。



 もう駄目だ。所詮、抗えない。

 絶対的な命令が下った。あの方のご命令ならば、逆らう訳にはいかない。逆らえばこの国の人間でない

というのと同じ事になる。つまり人間ではないという事だ。逆らえば、私は人ではなくなる。

 せめて安らかに死ねるように、獣医を探して相談し、泣く泣く一頭一頭殺していった。

 幸い、毒だけはわが国に腐るほどある。固形のものから液体、ガスに至るまで様々なものがいくらでも

あった。無色透明で無臭なものを餌に混ぜれば、それで済む。獣医がそう教えてくれた。

 最後の晩餐。できる限りの食糧を集める。

 これでも少ないと思うが、私のできる精一杯の気持ちだ。

 すまない。

 そして。

 ありがとう。

 動物達の亡骸を見て、不覚にも涙を抑えられなかった。

 全ては、終わったのだ。

「すまん」

 泣きながら亡骸に縋りつく私を、皆が阿呆を見るように見ている。

 それでも私は止められなかった。言いたい奴には言わせておけばいい。私は、私だ。護りたかったもの

を殺して、泣かない人間が居たとしたら、そんなものは人間ではない。

 私は人間だ。だから泣くのだ。笑いたければ笑え。私は本当の人間でいたい。

「許してくれ、許してくれ」

 動物達、安らかに眠ってくれ。

 お願いだ。

 それだけが私の願いだ。



 あの事が絵本になったそうだ。

 美談。人はそう呼ぶ。あの哀しい出来事を。美談でまとめようとする。私が流した涙を笑っていた奴ら

が、それを美しいと今は言う。

 酷い話だ。残酷だ。なんと残酷なのだ、人間は。その優しさを、あの時一片でも見せてくれれば、動物

達は、例え一頭か二頭でも、救えたかもしれないのに。

 今更そんな事を言って、何になるというのか。同じ事が起これば、また同じように笑うくせに。あいつ

らは何も懲りていない。自分の過ちを、美談にすりかえる事で、体よく忘れてしまおうとしている。

 酷い人間だ。酷い奴らだ。あんな奴らに動物達の事を語って欲しくない。

 戦争が終わってもう五十年。だが、私の中ではまだ続いている。動物達の最後の鳴き声、嬉しそうに食

べる最後の食事。それを思い出す度に、忌まわしい過去となってよみがえる。

 私は忘れない。あいつらがした事を。

 決して、決して。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝手な事を言っているのはお前だ。

 友達だと思っていたのに。

 家族だと思っていたのに。

 裏切られた。

 裏切られた。

 我々は裏切られた。

 見ろ、我々は全て殺された。

 お前の手で。

 亡骸は食ったのか。

 無慈悲に、当たり前のように。

 あれだけ呼んだのに。

 泣いても、喚いても、助けてくれなかった。

 誰も助けてくれない。

 そして殺された。

 あいつ自身の手で。

 恨んでやる。

 恨んでやるぞ。

 例えこの命が消えようとも。

 魂が果てるその日まで。

 あの人間を恨み続けてやる。

 我々を殺した。

 あの裏切り者を。

 涙。

 悲しみ。

 ならばあの時喜んで毒を食べた我々を。

 我々の気持ちを裏切ったあいつを。

 どう言えばいい。

 誰が何をすりかえているって。

 それはお前の事だ。

 お前が美談にしている。

 体よく忘れようとしている。

 いや、初めから忘れている。

 憎む。

 憎むぞ、人間ども。

 我々の最後は。

 全てお前らのせいだ。

 恨む。

 恨むぞ、人間ども。

 この地上に。

 お前らが居る限り。

 永遠に、罵ってやる。

 その魂を。

 死んでも。罵ってやる。

 消えるまで。

 罵ってやるぞ、人間ども。



 

 

 

 

 嗚呼、嗚呼、哀しい。

 哀しい。

 憎しみが。

 哀しい。

 望んでいなかったのに。

 誰も、望んでいなかったのに。



                                                           永続




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