まるこい玉葱


 玉葱一つありまして、大きくまあるい玉葱が、たった一つ道端に、コロリコロリと転がって、どこまで

もコロコロコロコロ進みます。

 それを一人の人間が、よっこらやっこら追いかけて、ヒイヒイゼーハー駆けてきます。

「やいこら待てやい、玉葱め。そんなに急いで何処へ行く。わしがそこに行くまでは、どんと座って待っ

ていろ」

 それでも大きな玉葱は、構わず気にせず転がります。

「おいおいそこな人間め、お前がわしの何になる。止まるも行くもわし次第、お前に何を言われても、気

にせぬ、構わぬ、考慮せぬ。わしはわしの行く道と、お前も確か言ってたな」

 人間は腹を立てましたが、転がる玉葱は止まりません。息を切らせてせっせかせっせか走るしかありま

せんでした。

 転がる玉葱、追う人間。世界はこのように過ぎて行くものなのです。

「やあやあ玉葱、どこさ行く」

「さても玉葱、何故急ぐ」

 一玉と一人を見送りながら、通りすがりの人が声をかけます。

 玉葱と人間のおいかけっこ。それは珍しい光景ではないのですが、見ていると心騒ぎ、黙っていられな

くなるものです。

 誰でも一生に一度は玉葱を追いかけますが、その時の気持ちが甦る、又はその時の気持ちを想像して、

心の中に熱く燃えるモノが生まれるのでしょう。

「やれやれ、呑気な人間め。わしが何処へ転がろうと、どれだけ急ごうと関係ない。わしは玉葱、自由な

玉葱、誰もわしを止める事、適わぬ事とこれを知れ」

 玉葱は人間達の声なんか関係なく、正々堂々転がります。

 それこそが玉葱の生きる道。人が人らしく追いかけるように、玉葱は玉葱らしく転がり続けるのです。

 それが無意味だとか、疲れるだとか、そんな人間の感想なんか知りません。

 何故ならそれが玉葱の生きる道。誰がどう思おうと、それを阻む事も、止める事も、悪く言う事も出来

ないのです。

 人がそうであるように、玉葱もまたそうであるべきなのです。

「しかししかし玉葱よ、お前を必死に追いかける、このわしの気持ちにも、応えてくれていいだろう」

 でも追いかける方にとっては堪りません。

 玉葱はそのまま自然に転がれば良いのですが、人間は走れば走るだけ疲れます。勝手に足が走ってくれ

るような事はありません。

 玉葱のように転がれれば楽なのですが、人はどうしても不恰好で、まあるくコロコロ転がるのは、生ま

れつき出来ないようになっています。

「はっは、愚かな人間め。転がるように出来ていぬ、愚かな愚かな人間め。その姿形を恨むがいい。見よ、

このわしの美しい、まあるいまあるいこの姿。決してお前に掴まらぬ、わが道、わが気持ち、わが心、誰

が阻むというものか。それが出来るというならば、今すぐとんとやってみろ」

 玉葱は構わず転がります。というよりも、玉葱は自分で自分の転がり速度を変える事も、止まる事も出

来ないのです。

 人間は勝手な事ばかり言っていますが、初めから玉葱に自分を止める事は出来ないのです。

 玉葱はただ転がり続けるだけ、転がした人間の方が悪いのです。

 そんなに必死に追うのなら、初めから転がさなければいいのにと、玉葱は内心思っているのです。

「今日も一つの玉葱が、転がり転がり転がるぞ」

「やあやあこれは見物だぞ。今日は、今日こそ、今日だけは、人が玉葱掴まえる、そんな姿が見れるのか」

 見物人は無責任にはしゃぎ続けます。彼らは楽しければ良いのです。自分が追いかける訳ではないので

すから、ただ楽しければ良いのです。

「ハーハー、ゼイゼイ、玉葱よ。ここはも一度止まらぬか。流石のわしのこの足も、流石のわしのこの肺

も、さきから悲鳴をあげ続け、もうこれ以上走れぬわい。さてさてここで提案だ、一時休戦、これ如何」

 追いかけ人はそう言いますが、勿論玉葱は止まれません。

「なんと愚かな人間め。さあさあわしを止めてみよ。途中で音をあげくじけても、誰がお前を助けるか。

誰がわしを止めるのか。馬鹿な事を馬鹿が言う、そんな暇があるのなら、さあさわしを止めてみよ」

 玉葱も少し人間が気の毒になっているのですが、自分では止められないので、こうして強がりを言うし

かありません。

「あああ、何て酷い玉葱か。紳士の提案無下にする。なんと酷い玉葱か」

 人間は玉葱心を知りませんから、もっと酷い事を言います。

「さても愚かな人間め。それなら今すぐ諦めよ。われらと人の神聖な勝負、ここで逃げるなら止めてしま

え。わしは決して諦めぬ、地の果て、海の果て、天の果て、決して何処までも諦めぬ」

「ううむ、この悪しき玉葱め。わしはお前に負けはせぬ。しかし暫しの休憩だ。もう手足が動かぬわ。し

かしお前に負けはせぬ。我が魂、我が心、我が気持ち、決してお前を逃がしはせぬ」

 追いかけ人はとうとうその場にへたり込み、捨て台詞をはいてぐったり倒れます。

 玉葱はそれを可哀想だと思いながらも、やっぱり自分を止める事が出来ないのです。

 そのままコロコロ何処までも、道の果てまで転がるしかありません。

「ああ、人は止まれば救われる。しかし我ら玉葱は、いつまでどこまで転がるか、誰にも玉にも解りはせ

ぬ。人よ何故止められぬ。わしのまあるいこの身体、むんずと掴まえしっかりと、止めてくれれば楽なの

に。いっそ人に食われたい」

 人が追いかけるのを止めても玉葱は止まれません。

 その上、追いかける人がいないので、面白くも無い玉葱は、誰にも見向きもされなくなるのです。

 ただ一人で転がって、いつまでもどこまでも転がって、そのまま誰からも忘れられ、独りで何処かで朽

ちるまで、転がり続けるしかないのです。

 玉葱を掴まえるべき追いかけ人は、もう決して現れません、追いつけません。

 もう一度追いかける事があったとしても、それは別の玉葱でしょう。

 もう二度と追いかけられる事も、止まる事も無いのです。

 後は流れに身を任せ、何処までも地の果てまでも転がり続けるしかないのです。

 朽ちるか止まるか、その日まで。

「嗚呼、わしはどこまで行けばいい。どこまで転がれば許される。わしが望んだ道ではないというのに、

わしはどこまで転がるのだろう」

 こうして今日も死ぬまで転がるだけの、悲しい悲しい玉葱が、世界のどこかで生まれているのです。

 玉葱達は止まる事も、掴まえられる事も、永遠に無いのかもしれません。

 誰が決めたか解らないでも、それが玉葱の宿命なのです。

 玉葱は自分で止まる事ができないのです。

 だから永遠に転がり続けるかもしれないという恐怖と共に、一生泣きながら生きるしかないのです。

 忘れられた玉葱の一生は、かくも悲しいものなのです。




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