入るまつげ


 こぼれ落ちるまつげが目に入りたがる。

 まるでそこに帰りたがっているかのようだ。

 目の端から生まれた。或いは目の端に追いやられたまつげがまぶたからはがれ落ちる時、必死に必死に目

に食らい付いてくる。

 そこからのけないで。

 まだそこに居させてと。

 目の奥へ、まぶたの裏まで入っていこうとする。

 本来は目に対する進入を防ぐ為のまつげが、その目に進入しようとする。

 目というものはそんなにも魅力的なものなのか。

 そうかもしれない。

 人も皆目を意識する。

 視線もまた敏感に受け取る。

 それは意識であり、人が外界へ発する一つの大きな情報、自らの発露である。

 元々は外界の情報を得る為の手段が。

 いつの間にか外界に情報を送る為の手段に変わり。

 言葉より雄弁に自らの心を飛ばすものになってしまった。

 つまり入るまつげは私の心に触れたがっている。

 私から外されてしまったまつげが、私に帰りたがっている。

 不思議だ。

 人はそこまで自分というものを捨てられないものなのだろうか。

 こんなにちっぽけに見える自分が。

 いやちっぽけに見えるからこそ、私独りがこんなに愛おしく。

 自分を護りたいと願うのか。

 だとすれば自己愛は自分にしか愛されないという寂しさの現れなのかもしれない。

 誰も解ってくれない。

 私のことは私だけが解っている。

 そう思う事で自分を愛していると錯覚する。

 それが自己愛だと思い込む。

 誰もがそう望み、誰も誰一人解らない。解ろうとしない。

 自分への愛故にそうする。

 それは必然なのか。

 しかしまつげが目に入るとき、人は痛みを覚えるのだ。

 ごそりと目の中に違和感を見る。

 人は自分の物ですら、一度離れた物を自分とは認めない。

 きっと失った心もまた、このまつげと同じ。決して受け容れない。

 自己愛もまた、きっと受け付けないのだ。

 それでも人はそうしたがる。

 このまつげのように。




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