もぐもぐロトフ


 子馬のロトフは丸々と、太っていても機敏な子。

 子馬のロトフは独りでも、ぽくぽくぽくぽく歩きます。

 一日中でも、一年中でも、さっさかさっさか歩きます。

 ロトフは食べるのが大好きで、良い草を見つけてはむしゃりむしゃり。

 美味しい草はいませんか。美味しい草はありませんか。

 いつも尋ねて歩きます。

 ぷっくりふっくらまん丸お顔。

 ぷうっと大きな息を吐いて、さっさかさっさか歩きます。

 何があっても挫けない、そんな子馬のロトフのお話です。

 辛い事も哀しい事も、みんなロトフのお話です。


 ロトフは生まれた時病弱な子でした。

 お母さんも病弱だったので、私に似たのと不憫でなりません。

 相談しようにもお父さんは遠くへ行っています。もう一度会えるかどうかも解りません。

 お父さんは誰よりも速かったので、兵隊さんに連れて行かれてしまったのです。

 お母さんは一人で悩みました。そしてとにかくロトフにたくさん食べさせました。

 でも自分の分まで食べさせてしまったので、お母さんの方がだんだん弱ってしまいます。

 それでもお母さんは止めません。ロトフにたくさん食べさせます。

 ロトフもまだ小さかったので、そんな事には気付きません。

 出された分だけむしゃりむしゃりと食べてしまいます。

 こうしてロトフは丸々と大きく育ちました。

 しかしお母さんはそのまま段々弱り、ロトフが一人前に駆けられるようになる頃には。

 眠るように、そして満足そうに。

 静かにそっと逝ってしまったのです。

 ロトフはでも悲しみません。お母さんは満足していたのです。

 その顔はいつも笑っていました。お母さんはロトフが元気にさえなれば、それで満足だったのです。

 他には何も要りません。自分の命も要りません。

 お母さんにはロトフが全てなのです。

 ですからロトフは悲しみません。笑っていないと、お母さんが悲しむからです。

 ロトフはお母さんが好きだったので、悲しませたくはないのです。

 そしてロトフには気になる事がありました。それはお母さんもずっと気にしてた事。

 そう、何処かへ連れられたままのお父さん。お父さんは今何処で何をしているのでしょう。

 結局お母さんは二度とお父さんに会う事が出来ませんでした。

 ロトフはお母さんの代りにお父さんを見付けようと考えました。

 そしてお母さんを弔ってから、お父さん探しに出かけたのです。

 ロトフ自身もお父さんに会いたかったのでした。


 ロトフは道を知りません。

 ですから、とにかくお父さんが連れて行かれた方へと歩き始めました。

 うろ覚えですが、近くに一本道があるので、何となく方角は解ります。

 初めはゆっくり、でも段々弾みが付いて、どんどん速くなっていきました。

 そしてお腹が減ると立ち止まり、むしゃりむしゃりと草を食べます。

 ロトフが食べる分だけなら、何とか見付けられるのです。

 お腹が膨れると元気いっぱい、さっさかさっさか歩きます。

 お母さんがくれたこの元気な身体、何処までも平気で歩けます。


 暫く進んで行くと、目の前に小さな川が現れました。

 ロトフは水の心地良い冷たさを楽しみながら、さっさかさっさか渡ります。

 また暫く進んで行くと、今度は大きな川が現れました。

 ロトフは立ち止まり、首をかしげて考えます。

 ロトフは泳いだ事が無いのです。

 ロトフはこんなにたくさんの水を見た事がないのです。

 どうしていいのか解りません。

 試しに渡ろうとしましたが、すぐに足が届かなくなって、慌てて岸に戻ります。

 ロトフは足がつかない事が、こんなに怖い事だなんて知りませんでした。

 でもこの川を渡らないと、お父さんには会えません。

 でも怖いです。

 震えながら、悩みます。

 悩んでいると、向こう側からゆっくりゆっくりと、小さな舟がやってくるのが見えました。

 舟は側に着て言います。

「乗ってくかい。渡るのかい。それとも乗ってかないのかい」

 ロトフは初めて舟に会ったので吃驚しました。

 それでも渡りたかったので。

「わ、わ、渡りたい」

 そう言いました。

 すると舟は。

「じゃあ乗ってきなよ」

 水面の下からにゅっと腕を出して、ロトフを舟に乗せました。

 舟はこの大きな手で、水をかいて泳ぐのです。

 ロトフが舟に乗ると、川面から魚が顔を出しました。

「僕も乗っけてよ」

 でも舟が魚をでっかい手で押しのけます。

「ダメダメ、君は水から出ると干上がってしまう」

 魚は諦めて川に潜りました。


 舟が岸に着き、ロトフは丁寧に降ろされます。

「気を付けて行くんだよ」

 舟はとても親切でした。


 ロトフは進みます。

 どんどんどんどん進みます。

 何処まで行くのか自分でも解りません。

 でも進みます。お父さんを探して。


 大きな街が見えてきました。

 大きな壁に囲まれて、兵隊さんが武器を持って立っています。

 ロトフはちょっと怖かったのですが、お父さんを連れて行った兵隊さんに似ていたので、思い切って話

しかけてみました。

「兵隊さん、お父さんを知りませんか」

 兵隊さんはじろっとこっちを向いて。

「新入りか、ちょっと太っているが、まあいい。じゃあ、あっちの馬屋に行きなさい」

 ロトフはお礼を言って、言われた方に行きました。

 そこにはずらっと沢山の馬が並べられています。

 ロトフは一頭一頭確認したのですが、お父さんは何処にもいません。

「ここには居ないのかな」

 すると元気をなくしたロトフが可哀想だったのか、一頭の馬が話しかけてきました。

「どうしたの」

「お父さんを探しているの」

「お父さんって、どんな馬」

「あのね・・・」

 ロトフはお父さんの事をその馬に話しました。

 すると馬は気の毒そうな顔になって。

「ああ、あの馬か。残念ながら、戦争で死んでしまったよ」

「そんな・・・・」

 ロトフはどうして良いか解らず。そのままゆっくりと馬屋から出て、街からも出て行こうとしました。

 お父さんを戦争に連れて行った人の近くに何か居たくなくて、もう帰ろうと思ったのです。

 でもそんなロトフを兵隊さんが見付け。

「何処へ行くんだ。勝手に出るんじゃない」

 ぐいっと強い力で掴まえられて、そのまま知らない所に連れて行かれたのです。


 ロトフは重い鎧を付けられて、上には兵隊さんを乗せて、いつまでも歩かされています。

 逃げ出したいのですが、兵隊さんがいつも掴んでいるので、どうしても逃げられないのです。

 お父さんもきっとこんな風にして戦争に行かされたのでしょう。

 ロトフは哀しくて泣き出しました。

「うるさい! このデブ馬め!」

 兵隊さんに強く叩かれて、泣き声を堪えるしかありませんでした。

 でも流れてくる涙までは抑えられず、黙って泣きました。

 周りを見ると、他の馬達も泣いています。

 兵隊さんには解らないのでしょうが、馬同士だから解るのです。

 どの馬も泣いていました。

 でも逃げられません。

 強い力で掴まえられて、黙って連れて行かれるしかないのです。

 勇気が無いとか、意気地が無いとか、そう云う事ではないのです。

 どうしても逆らえないのです。


 何日も何日もロトフは歩かされました。

 もうぐったり疲れています。でも休ませてくれません。

 どの馬も疲れていますが、黙って歩きます。何か喋ると殴られるのです。

 ロトフもふらふら、ふらふら歩いています。

 もう限界でした。

 そんな時、突然横から大きな声がして、馬に乗った兵隊さんが大勢こちらにやってきたのです。

 でも何だか違う兵隊さんでした。鎧と帽子が違うのです。

「敵襲、敵襲!」

 乗っている兵隊さんがワーワー叫んでいましたが、やってきた兵隊さんにドシンと突き飛ばされてしま

いました。

 ロトフは今だと思って、必死に逃げました。

 でももうふらふらだったので、やってきた兵隊さんに捕まってしまったのです。

 そしてロトフはまた囚われの身になったのです。


 ロトフは大きな街に連れて行かれました。

 前に見た大きな街とまったく同じような街ですけど、兵隊さんの制服が違います。旗の色が違います。

 ロトフは馬屋に入れられ、ここでじっとしているように言われました。

 ロトフも諦めて、大人しくする事にしました。

 もう逃げられない事は、解っていたのです。

「これからどうなるのかな」

 溜息をついていると、隣りの馬が話しかけてきました。

「災難だったね」

「はい・・・」

「でももうじき戦争が終わるらしいから、きっと大丈夫さ」

「はい」

 でも話しかけてくれた馬は、次の日に戦争に連れて行かれ、死んでしまったのです。


 とうとうロトフの順番が回ってきました。

 また重い鎧を着せられて、兵隊さんを乗せて、のっこらのっこら歩かされます。

 強い力で掴まれているので、どうしても逃げられません。

 ロトフは諦めて歩きました。

 でも希望を全部捨ててしまった訳ではありません。

 逃げる機会をいつもどこかで探していました。

 また兵隊さんが落ちてくれれば、今度は逃げられるかもしれません。

「全隊止まれ!」

 目的地に着いたようで、皆一塊に集められました。

「これが最後の戦いになる。皆頑張ってくれ」

 偉い兵隊さんの声に応え、上に乗っている兵隊さんがワーワー言って手を振り挙げています。

 ロトフは解らないので、黙って待っていました。

「全隊、進め!」

 ロトフは今度は走らされました。

 お尻に鞭を打たれて、無理矢理走らされるのです。

 痛くてしんどくて、ロトフは倒れそうになりました。

 でもお母さんが丈夫に育ててくれたおかげで、何とか耐えられたのです。

 身体の弱いロトフのままなら、ここで倒れていたかもしれません。

 ロトフは仕方なく走り続けます。


 戦いは終わりました。

 沢山の馬と沢山の兵隊さんが死にました。

 多分お父さんや馬屋で隣りになった馬も、こうして死んでいったのでしょう。

 ロトフの上の兵隊さんも死にました。

 皆死にました。

 兵隊さんは皆死んで、少しの馬だけが生き残っています。

 今度はその馬を掴まえる兵隊さんも居ません。

 敵も味方も死んだのです。

 馬達は兵隊さんから解放され、思い思いの方角へ逃げて行きました。

 ロトフも重い鎧を着けたまま、当ても無く逃げて行きます。


 しんどくなったので、木陰で休む事にしました。

 そうして何度も休みながら、少しずつ進みます。

 何処へ進んでいるのかは解らないですが、それでも早くあの場所から逃げ出したかったのです。

 もう涙も出ません。

 何が起こっているのか、何が起こったのか、今もよく解りません。

 でもあそこに居てはいけない事だけは、ロトフにも解ったのです。

 もうたくさんでした。


 休み休み進んで行く間に、少しずつ鎧が外れていました。

 繋いでいた紐が緩んだり、横になった拍子に外れたり、理由は様々です。

 その度に身体が軽くなるのが、今のロトフの唯一の楽しみになっていました。

 泉や川を見付けて、水を飲み、そして水面を見るのが喜びなのです。

 少しずつ鎧が外れて元の自分に戻る。

 そんな気がロトフにはしたのでした。


 とうとう全ての鎧が外れる時がきました。

 もう何日も何十日も歩いているような気がします。

 ロトフは疲れ果てていましたが、嬉しさがこみ上げてきました。

 ほらほら、もうあと少しで外れます。

 ほら、あと一振りで外れます。

 ロトフは頭を振って、最後まで残っていたお面のような鎧を外しました。

 ぶるっと首を振ると、からからとお面が飛んで行ったのです。

 そして川面を眺めます。

 するとどうでしょう。

 いつの間にか小太りだった身体がすらっと痩せ。

 筋肉が付いて、精悍な姿になっていたのです。

 立派な立派な馬でした。

 ロトフは初めそれが誰だか解りませんでした。

 いえ、初めはそれをお父さんだと思ったのです。

 記憶にあるお父さんの姿と、今のロトフはそっくりでした。

 誰よりも速いお父さんの姿と、丁度今のロトフはそっくりなのです。

 ロトフは何度も自分と川面の自分を見て、こう思いました。

「ああ、僕はお父さんになったんだ。お父さんになるんだ」

 そう思うと、ロトフは何だか元気が出てきました。

 そしてこう思います。

「お父さんが居るのだから、お母さんも探さないといけない」

 こうしてロトフは再び歩き出しました。

 ただし今までのように誰かに連れられたり、逃げる為ではありません。

 自分の意志で、自分の目的で、今初めてこの大地を歩き始めたのです。

 ロトフはようやくロトフになれたのでした。

 悲しみと苦しみを乗り越えて、お父さんとお母さんに似た、立派な馬に育ったのです。

 ロトフは今自分の道を歩き始めました。

 お父さんはここに居る。お母さんも何処かに居る。

 もう悲しくはありません。

 ロトフ一頭だけではないのです。

 きっとお母さんも何処かでロトフを待っている筈。

 ロトフは張り切って走りました。


 ロトフはお母さんに似た優しい馬と出会い、末永く幸せに暮したそうです。

 お父さんとお母さんが願っていた暮らしを、ロトフがやっと叶えたのでした。

 そしてそれはロトフの願いでもあったのです。

 ロトフは求めていた家族との幸せを、ようやく手に入れる事が出来たのです。

 ロトフは幸せでした。

 ずっと、ずっと、永遠に。



                                                           了




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