水泥棒


 例年に無い干ばつで川は干上がり、大地はひび割れ、田畑に水が無く、海の水位までが下がった。

 人が使える水は極僅かで、井戸もとうに飲み干され、水滴も数える程しかない始末。何とか生きるだけ

は捻り出しているものの、それもいつまで持つのだろう。

 田畑に作物が育つ訳は無く。このままでは全滅し、今年の収穫までなくなってしまう可能性もあった。

水がなければ食料も消える。生命はまず水在ってこそ生存する事が出来る。

 深刻な事態だが、解決方法は天にでも祈り、雨乞いするしかない。人の手には負えない問題である。天

候だけは本当にどうにも出来ないのだ。

 手当たり次第に井戸を掘る労力も、他から買い入れるだけの蓄えも無い。村人に出来る事は我慢する事

だけだった。

 そんな中で、毎日手桶に半分くらいの水を何処からか得て、村人に分け与えている男が居た。

 彼は樵(きこり)を生業(なりわい)としており。生まれた時からどこか鈍く、知恵者には見えず、と

にかくのんびりした男だったが、人柄だけは底抜けに良かった。

 自分一人で全て飲んだとて、誰も文句は言えまいに。彼だけは皆に水を振舞っていたのである。

 村人は当然、何処からそれを得ているのかと男に問うた。

 すると男は別に隠しもせず。

「森から得ているのだ」

 とだけ答える。

 村人がそれでは解らぬ、と言えば。

「布を張っておくのだ、出来るだけ沢山。そしてその布の下に桶を置いておく。朝起きてみると、少しず

つだが、その桶に水が溜まっている。それをわしが集めて、この桶に容れ、持って来ているのだ」

 村人は目を丸くし、とても信じられなかったが。それでも現に毎日こうして水を持って来るのだから、

信じるしかない。

 話を詳しく聞くと、どうも樵の爺さんが、良くそんな事をしていたらしく。樵が今それを思い出して、

試しにやってみると、本当に水が取れたという訳だ。真に森の恵みというのは偉大である。

 村人はきっとこの男が正直者だから、山神様が与えて下さったのだろうと、そんな風に噂した。

 そういえば、そういう不思議な事がたまに起こったとか、彼らも自分の爺様や婆様から聞いた事がある

など、樵を弁護でも補完でもするように、次々と村人達は話し出す。

 そう言われて見ると、なるほどそう言う事もあるのだろうと、皆納得した。

 もしかしたら、竜神様が雨を降らせない事に、山神様も怒っておられるのかもしれない。同じ地に住ま

うからこそ、山神様の方が情が深くなるのかもしれない。

「ありがたや、ありがたや」

 村人は感謝を込めて、毎日樵の住む山を仰いだ。

 しかし純朴な村人の中にも欲深な者が居るようで、ある日樵に向かって、こんな事を言った。

「山神様のお恵みが、こんなにちっぽけな訳がねえ。どうせお前はお前の分をたんと残して、後でこっそ

り飲んでおるのだろ」

 それを聞くと単純な村人達もそれはそうかと思い、今までと一転して樵を責め始めた。干ばつで色々と

苛立つ事が多いのもあったのだろう。

 人は怒りの矛先を、いつも探している。

 しかし樵は正直者であるから、怒るどころか吃驚して。

「そんなら明日一緒に行ってみればよかろ」

 それだけを言い、にこにこ笑って山へと帰った。

 そう言われれば、村人達にも異論は無い。明日が楽しみじゃと、皆してとっとと寝るべく、それぞれの

家に帰って行った。水が無いから元気もなく、皆出来るだけの仕事が終われば、すぐに寝るようにしてい

たのである。

 しかしそれで内心困ったのが、例の欲深者。彼も樵が正直者だという事は重々知っている。ただあまり

にも皆が樵に感謝するので、悔しくてあんな事を言ってしまったのだった。

 言ってしまえば、今更引っ込める訳にはいかない。

「どうするべ。わしの言い分が間違いだと解れば、皆苛々しておるから、わしなんぞ袋叩きにされてしま

うわい」

 この男、実は口ばかりの小心者。こうなると怖くなってしまって、どうにも落ち着かない。

「そうじゃ、間違いじゃなければいいのじゃ」

 何を思いついたか、男はくすりと笑って家へ戻ると、夜を待って山の方へ出かけて行った。皆寝ている

から、日が暮れてくればもう外には誰も見ない。こっそり行くのは簡単な事である。

 一夜明け。

 村人達は待っていた樵と合流し、一緒になってその場所へ向う。

 そこには一面に布やら何やらひらひらした物がいくつも張られ、その下には一つずつ桶が置かれていた。

中には木を削った物や草蔓で編んだらしい器もあって、なかなか面白い光景である。

 多分、この樵は家中にある物を、何から何まで引っ張り出してきたのだろう。

「さて、集めるべ」

 樵が中心になって、皆で一つ一つ丁寧に水を例の手桶へと移していく。するとどうだろう、いつもは半

分程度しかないはずの水が、今日は並々と桶一杯集まったではないか。

「ほうれ見ろ、こいつは毎日半分も自分の物にしてたんじゃ。なんて奴だ」

 村人達も一斉に怒り出し、昨日と同じように樵を責め始めた。

 しかし樵は何も悪い事はしていないので、そんな言葉は気にならず。

「そうだ。多分皆して来たから、山神様がいつもよりも多く下さったに違いない。これからも皆してくれ

ばいいべ、そうすりゃ沢山飲める」

 そんな風ににこにこと言うものだから、単純な村人達は、なんだそう言う事かと納得し。口々に流石は

山神様じゃと褒め称えながら、水を分け与え、それぞれの仕事へと戻って行った。

 欲深者は呆気に取られたまま何も言えず、ともかく助かったのだと思い、いつも通りこっそりと皆より

も少しだけ多く水を取り、同じように帰宅した。計画通りにいかなかったのは残念だが、自分が無事であ

ればそれでいい。今は他に何も要らない。

 しかし家についてほっとしていると、重大な事に気付く。

 そう、こうなると、男は毎日こっそり水を足しに行かなければならない。昨日は少しずつ溜めてきた水

を、身を切る想いをしてまで使って、難を逃れたけれど。さて明日はどうしようか。

 蓄えは全て使ってしまった。あるのは手元にある、今日いただいてきたこの水だけ。色々探したり、よ

そからくすねてくれば、多少は得られるが。どちらにせよ自分が飲む分の水までは得られない。

 自分が飲むか、それとも村人を騙し続ける為に使うか。

 初めは飲んでしまおうと思った。飲んでしまえばいい。あの村人達なら、どうにでも誤魔化せるではな

いか。今までそうしてきたように、上手く立ち回ればいい。誤魔化して、騙して生きれば良いのだ。

 だが水の入った器を持ち上げ、口に運ぶ段になると、どうしても不安が押し寄せてくる。

 これを飲んでしまえば、もう逃げ場が無くなってしまう。山神様の御加減が、今日はよろしくないと誤

魔化していても、きっといつかはボロが出てしまうだろう。

 それまでに雨が降ってくれれば良いのだが。小心者の欲深者の事、心配で心配で楽観的な事など考える

余裕はなかった。

 何より山神様の罰が怖い。人間相手ならばいくらでも嘘は付けるが、神様相手に嘘を付くのは怖かった。

神様に嘘なんか通じるはずがない。山神様を嘘の材料に使おうとでもすれば、一体どんな罰が下されるか。

 欲深者は酷く怖くなり。とうとう覚悟した。

「ええい、ままよ」

 天罰を受けるよりはましだ。

 その日から欲深者の断水行が始まり、手桶に並々とまではいかなったが、それでも以前よりは確実に多

い水を村人は得、喜びに湧いた。

 反面、欲深者は日に日に干からび、村人達が不思議がるまま、とうとう倒れてしまった。

 村人の親身になった介抱と、ようやく天の恵みが降ってき、干ばつが終わった事で、欲深者は難を逃れ

る事が出来たが。彼はその時より、全く口が利けなくなってしまった。

 話せないのではなく。怖くて怖くて、物を喋る事が出来なくなってしまったのである。

 村人達は干からびた後遺症だと、男の事を心配し、細々と面倒をみたが。彼らが優しくしてやればやる

ほど、男の口は固く結ばれ。最後には、人前で呼吸をする為に口を開く事すら、怖がるようになってしま

ったそうだ。

 

 天罰は人の気付かぬ内から、すでに下されている。

 天の采配、道のように、霊妙にして不可視なれど。そこから逃れる術を、人は与えられない。

 全ての罪悪と善行は、自らにのみ、真の意味で返されるのである。

 そんなお話。




                                                      了




EXIT