虚しき無


 何もやっても満足しない、何をやっても意欲が湧かない、何をやってもただただ疲れるだけ。

 そのような窮屈(きゅうくつ)な男が居た。

 この男は容姿も悪くなく、品もあり、その上器用で何をやってもそこそこ出来る、言ってみれば便利な

存在であったのだが、何故だか常に虚しさに囚われていたのである。

 別にしたくない訳ではない。むしろやりたい、何かをしたいと思うのに、いざやってみるといつも虚し

さを覚え、その出来が良かろうと悪かろうと、人が喜ぼうと残念がろうと、全く関係なく。いつも自分の

中にぽっかり空いた穴を感じるのである。

 いつも浮んでくるのは、こんな事が一体何になるのだろうか、という自問。

 自答する中には良い答えもあり、頭の中では色んな良い事が、物事の良い面がいくつもいくつも浮んで

くるのだが、それでも何だか満足できない。何となくそらぞらしさを覚え、自分で納得出来ないのである。

 そんな風だったから、本来悪い男ではなく、それなりに愛想もあるのだが、何処か皆からは敬遠され、

何を考えているのか解らん男だと、怖がられてもいた。


 男の暮らしは簡単だ。

 毎日畑に出かける。晴耕雨読、晴れては畑を耕し、雨が降れば本を読む。そんな暮らしをしている。

 ただそれは自分が望んだ暮らしではなく。どこかでそういう暮らしが良いと聞いたので、そのようにし

ているだけで、そこにもまた虚しさを感じていた。

 けれども、他にするような事は無いので、とにかく頑張ってやってみる事にしている。

 しかしそんな風だからどんどん胸に空いた穴が広がってしまう。自分が望んでもいない事をどれだけ行

おうと、やっぱりそれは虚しいのである。

 いくら良い事でも、逆に悪い事でも、やればやるだけ虚しい。虚しさを味わう為に、わざわざやってい

るような気にさえなる。

 男はそんな風にして今日も虚しさを募(つの)らせていた。

「ああ、いっそお天道様でも落ちてきたら、面白いのかね」

 そう言って天を眺めるが、お天道様も大地にぶつかれば痛い。男の為に我慢して落ちてくれるような事

はなかった。お天道様は我関せずと、ひたすらに輝いている。

「あの雲に乗れたら、面白いのだろうか」

 空を漂う雲に手を伸ばしてみるが、届く筈もない。

 雲も我関せずとあるがままに浮いている。

「ああ、やっぱり今日も昨日も明日も、私は私なのか」

 男は虚しさを抱え、それを忘れるように必死に働いた。彼はやる気がない訳ではなく、ただ退屈してい

るだけなので、やるとなればいつも真面目に働いていたのである。

 勿論、真面目に働けば働くほど、また虚しくなっていくのだが。


 男は晴耕雨読の生活を繰り返し、いよいよ収穫の時を迎えた。

 男が種を蒔き、懸命に育てた作物達は見事に実り、青々と繁っている。お天道様と大地の恵みがたっぷ

りで、非常に美味そうにも見える。

 こうして育ってくれた作物を見るのは、喜びが湧かぬでもない。

 しかしこの作物達も大半は税として取られてしまう。やはり虚しさが湧いてくる。一体自分は何の為に

懸命に育ててきたのか。わざわざ見も知らぬ誰かを食わせる為に、自分は頑張ってきたのだろうか。

 確かに誰かを食わせる、食わせてやっているんだ、と思えば、それはそれで誇りに思わぬでもない。だ

が、だから何なのだろう。別にそんな事が目的ではなかった。男はそんな事の為に作ったのではないのだ

から、いくらそういう事があったとしても、虚しいのに変わりはないのである。

 では男は何の為に作ったのか。

 それが男にも解らない。言ってみれば何の為にも作っていない、という事か。男は目的を持って作った

訳ではなく。他にする事がなく、単に食う為には作らなければならないから作ったのである。

 暇潰しで作ったような物に、何か意義を見出せる訳もないし。自分が食う為に作ったのに、大半は他の

誰かに食われてしまうのだから、それはそれで虚しいに決まっている。

 ようするに何をとっても、虚しいのである。

「作物が倍になれば、ちったあ嬉しいんかな」

 そう思ったが、そうなれば倍取られるだけだと思うと、余計にがっかりした。


 男は釣りに出かけてみた。銛でも持って魚狩りに行きたい所だったが、もう秋である。いくら毎日の農

作業で鍛えた体でも、自然の寒さには敵わない。

 餌を付け、釣り糸を垂らす。後は何も考えずぼんやりと待つだけ。

 虚しいと思えるが、男はこの待ち時間はそんなに嫌いではなかった。むしろぼんやりと待つ為に釣りを

しているのかもしれないとすら思う。

 潮の香りを身に浴び、肌寒いが、しかし悪くない風を受けながら座っているのは、心地良い。

 座して結果を待つという事に意義があり、しかし座して待つという事自体には意義は無い。そんな禅問

答のような事柄が、男は好きだったのだ。

 何故なら、そういう問答には答えが無いものだからだ。答えが無いと初めから解っていれば、うだうだ

と悩む事も無い。自分で折り合いを付けて、後は放っておけば良いのだから楽なものだ。

 そんな事を言うと坊主に怒られそうだから口にはしていないが、答えの無い悩みほど気楽なモノは無い

と、男は思っていたのである。答えがないという事は、自分で答えを創れると云う事。自分で答えを付け

れば良いのだから、こんなに楽な事は無い。

 しかしそれはそれでまた虚しくもある。

 自分で付ければ良い程度の答えなら、有っても無くても同じではないか。それで何が変わる訳も無く、

お天道様は輝き、海は波で瞬いている。何も変らない、だから虚しい。その答えは答えではない単なる気

休めのような気がする。

 男はまたがっかりした気持ちになって、まだ一匹も釣れてなかったが、もう帰る事にした。


 帰り道に花を見付けた。

 秋に咲く花、それはそれで趣き深い。詩情を誘う光景と云うやつだろう。

 だが男には詩情というものが解らない。人がそれをどう思おうと、別の誰かがまたそれをどう思おうと、

結局何も変わらない。無駄に感想を述べ立てたとして、だから一体何になるのだろう。そう思うと虚しく

なるのである。

 この溢れる想いを、言葉にして残したい。

 そういう想いも、結局は自己満足ではないか。誰がどう想おうと、そんな事は知った事ではない。人の

満足を追っている限り、決して自分では満足出来まい。

 男はまたがっかりして、足早に花の前を去った。


 川が流れている。

 中には魚が泳ぎ、ここで釣りをすれば良かったと多少後悔した。

 今から釣れば良いのだが、今更そうする気が起こらない。何で一度片付けた物を、またここで広げなく

てはならないのか。それは二度手間ではないだろうか。例えそれで釣れたとしても、面倒なだけではない

のか。そもそも自分は本当に魚を釣りたかったのだろうか。

 男は獲物を見付けた事に、むしろがっかりしながら家路を急いだ。


 足早に家に帰ってきたが、帰ったとして誰が待っている訳でもなし、がらんとした中に帰るのは、酷く

虚しい気持ちにさせる。

 独りだから気楽だが、独りだから何も無い。家の中も空っぽだ。

 男は空っぽの空間を眺めていると、まるで自分の中を覗いているようでどうしようもない気分になり。

その考えから逃げるように布団に包まって、独り眠った。腹が減っていたが、今は何をする気も起きなか

った。

 何も考えず、今はただ眠っていたかった。


 眠りながらゆっくりと考える。

 男は何か自分に意味が欲しかったのかもしれない。しかしそんなものは無い事を、不幸にも男は良く解

っていた。何をやろうと、何をしようと、それによって何がどうなろうと、結局は無限の時間の中の、針

の穴にも満たない間の、虚しい一つの出来事に過ぎない。

 それをやった事はいずれ忘れるだろうし、その事の意味もいずれ失せるだろう。

 その時は良いと思ってやった事も、後から見れば酷い害と思えるかもしれない。

 良し悪しも虚しい。全ては虚しい。理解したくないのに、どうしても理解してしまうのだ。

 人の営みの虚しさというものを、男は身に染みて理解している。だからこそ何をやっても満足しなかっ

たのだろう。満足してはいけないとすら、自分で想っていたのかもしれない。

 男は何も望まなかった。何も望めなかった。だから何をしても満足出来ない。初めから何も望まぬ人間

が、何をしても虚しいのは当然の事である。

 しかも彼はそこで諦めずにやってみる、やり続ける。そして出来ない事はやはり出来ないのだと改めて

気付き、知っていながら二重にがっかりする。知っていたからこそ、余計にがっかりしてしまう。

 あるかもしれない希望が、やはり無かったから、どうしようもない気持ちになるのだろう。

 ん、とすれば、男は何も望まなかったのではなく、望み過ぎていたのか。

 そもそも男ががっかりする事がおかしい。もし何も望んでいなければ、何かにがっかりするような事は

ない筈だ。何かに期待していなければ、裏切られたような気持ちになる事もない筈。だとすれば、男は単

に望み過ぎていたのかもしれない。

 望み過ぎていたから、がっかりする。がっかりするから、満足しない。満足しないからまた望む。しか

しそれは叶わず、がっかりする。その繰り返し。

 自分は諦めていたのではなく、ずっと望んでいたのかもしれない。

 ずっと何かを望みながら、ずっと何も果たせなかった。

 なら何故果たせなかったのだろう。そうだ、勘違いしていたからだ。何も望んでいない虚しい人間、そ

う誤解していたから、自分は何をやっても虚しかったのだろう。

 そう自分に言い聞かせ続けていたから、虚しさを覚える事を、まるで義務のように勘違いしていたのだ。

男は初めからがっかりする事を前提に、全てを行ってきた。虚しいのは当然だろう。

 この心に大きくぽっかり空いた穴は、不満から生まれたモノでは無くて、自分で敢えて創り出していた、

自分が望んで生み出していたモノだったのだ。

 原因は全て自分の中にあったのに、いつも男はその原因を外ばかりに見ていた。そんな風では初めから

満足出来る筈がない。それは当然の虚しさだった。あるべき虚しさだったのだ。


 男は明け方、お天道様の光が差し込む頃、目覚めと共に自分を初めて理解出来たような気持ちになった。

 これで全てが解決出来た訳ではない。それを理解したからといって、それで終わりではない。むしろこ

こからが始まり、これからが本当の人生。

 でも不思議と今はそれも虚しくは思えなかった。これからが本当だと思えば、見る物全てが新しい、い

や物事が本来持っていた本当の楽しみを、今初めて知れるように感じたのである。

 男はようやく本当の世界で暮す事が出来る。

 今まで気付かなかった事へも虚しさは感じなかった。何故なら、その全ての無意味に思えた虚しい日々

があってこそ、今その本当の意味、理由に気付けたからである。

 あの虚しさも無駄ではなかった。むしろあの虚しさがあったからこそ、今自分は悟る事が出来たのだ。

 むしろ虚しさを知らぬ事の方が虚しい。虚しさを知らない者は、きっと本当にはまだ生きていないのだ。

 本当に生きようと願ったからこその虚しさ。だとすれば、それこそが求めていた生きる意欲だったので

はないだろうか。

 男はいつもよりもお天道様が輝いているように感じた。

 身に触れる光が、いつもよりもほんの少し暖かいような気がした。

 全ては今日からだ。今からだ。

 この輝きと温もりが、本当のお天道様だったように。全てはいつもよりもほんの少し違って映り、ほん

の少し違って感じるだろう。

 そしてそんな些細な違いが、きっと男に幸福を与えてくれるのだ。

 男は農具を取って、畑へ向った。来年の今頃は、作物の実りを、本当に喜べているだろう。

 そしてその時はもう、独りではないのかもしれない。

 男の心には、もう虚しさは無かった。いや、その虚しさが本当は何だったのかを知った今、それは辛い

ものではなく、本当の意味の希望に変わっていたのである。




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