村雲


 一叢(むら)の雲がある。

 その雲は不思議な事にずっとその場所に居て、決して動かない、消える事も無い。

 何故かは誰も知らないが。その雲は昔からそうで、今もそこに在る。

 長い年月ずっと動かずにいたものだから、少しずつ下界の風景を映し込んで、今ではそれが鏡のように

見えるようになっている。

 空にかかるふわふわした、不思議な鏡に。

 雲の下には村がある。ふわふわした雲に浮かび映る村は、幻想的で何とも言えない風情を出している。

 外で暫くじっとしていたら誰でも映り込むので、村人は記念写真でも撮るように、何か祝い事などがあ

るとその姿を雲に映して、天を漂う自分を見、満足した。

 映り込んだ映像は暫くそこに留まるが、その内ふうっと何処かへと消えてしまう。村人達はそれを雲が

天に送ってくれたんだろうと解釈した。

 これはいつしか雲送りと呼ばれるようになり、非常に縁起の良い儀式とされるようになった。自分を雲

に映す事で、天に昇った、幸福に近付いた、という風に考えたのだろう。

 雲に映る景色は村人の知らぬ間にもどんどん映り込み、次第に雲全体に映り込むようになって、雲全体

が一枚の写真のようになってきた。

 この映り込んだ絵は、実はどこかに消えてしまうのではなくて、雲を通して上へ上へと上がっている。

そして雲はその上がる最中にその絵と同じ形にされて雲の上に上がり、下界にあるのと全く同じ村を雲の

上に作ってしまったのである。

 村は始終映り込んでいるから、どんどんどんどん同じ村が作られる。

 そしてそれが雲の上に上がって、前にあった雲村を上書きするようにして、新たな村を作る。

 これを繰り返す事で、まるで過去を映し出した映像が、雲の上で流れているかのような状態になった。

 それを長い年月繰り返していると、ただ村の生活を再現するだけではなくて、自分達で勝手に動くよう

になってきた。

 初めは小さな物で、その範囲も限られていたが、次第に大きく規模も広くなり、とうとう村全体が命を

持ったかのように、勝手に動き出すようになってしまったのである。

 勿論、映り込んだ映像である事は変わらないので、雲が考えたりする訳でも、何かの意志を持った訳で

もない。もしかしたら雲の中を上がっていく内に、何らかの理由で、その映像が変化してしまったのかも

しれない。

 しかしそうして独自に動き始めた雲は次第に知恵を宿し始め、とうとう雲人達は下界とは違う新たな社

会を創り、その中で生活し始めるようになってしまった。

 勿論下界からは見えないので、村人達は自分達の映像がこんな風に勝手に動き回っているのを知らない。

いつもと変わらぬ生活を営み、暮らしている。

 雲の上からも下界は見えないので、この二つの村は完全に独立していて、全く違う社会が雲を隔てて二

つ存在する事になったのである。

 そして長い時が過ぎ。二つの世界はお互いを知らないままに過ごしていたが。ある時雲人の一人がうっ

かり雲から落ちてしまい、下界に来る事になってしまった。

 雲だから落ちても痛くも痒くもない。身体のいくらかは壊れてしまったようだが、それもそんなに大き

くはなく、応急処置で何とか元と変わらない外見を取り繕った。

 しかし驚いたのは、それを見た村人である。

 何しろ空から降ってきたので、心配でたまらない。その姿が近所の豆腐屋の親父さんそのものだった事

もあって、皆して側に寄り、怪我はないか、一体どうしたんだ、などと聞いた。

 しかしお互いに言葉が理解出来ない。村人達も初めは落ちた衝撃で少しおかしくなってしまったのだろ

うと思っていたが、あまりにもおかしな事を言うので、これはおかしいという事になって、一刻も早く病

院に連れて行こうと雲人を掴んだ。

 すると雲人は雲で出来ているから、ふわふわして掴めない。その上冷たいし、触った掌には水滴が付い

ている。これはお化けに違いない、という事になって、人間達は大騒ぎし始めた。

 そしてそうこうしている内に雲人はさんざん村人に触られたせいか、身体が全て溶けて水になってしま

い、その姿を人の前から消した。

 そうなると人は益々騒ぎ立て、村中が大騒ぎになってしまった。

 村人達は一致団結してとにかくお化けを探そうという事になったが、これがいくら探しても見付からな

い。豆腐屋の親父さんも店から一歩も出ていないと言うし、自分に似ている親戚や兄弟が居る訳でもない。

手掛かりとなるものも全く見付からなかった。

 そこで雲人を見たという人達に順番に事情を聞いてみると、幽霊が上から降ってきた事が解った。

 その結果、どうにもあの雲の上が怪しいという事になり。村人全員で高く大きく立派なはしごを作って、

雲の上を見に行く事になった。

 村人達は一月の間懸命に働き、何人登っても壊れない、とても丈夫なはしごをこしらえた。

 そして元気な若者を選んで武器を持たせ、雲上へと昇って行かせたのである。

 雲に近付くにつれて、雲に映った村がはっきりと見えてきたが、別にその中の人が動いているような気

配は無い。写真のように正確だが、何一つ動くものは無い。村人が毎日見てきたのと同じく、いつもどお

りの姿だ。

 そこでこのままここに居ても高くて恐いし、雲に映っている人は動いていない、お化けは何かの見間違

いだったのだろう、と言う事にして、降りようという事になった。

 でもその中の一人の物好きが、自分は最後まで昇って見る、と言い出して、他の若者が止めるのも聞か

ず、ぐんぐん昇り始めたのである。

 この若者は乱暴な所があり、好奇心旺盛で、例え誰に反対されても、最後まで見ないと気が済まない性

分なのだ。

 若者はぐんぐん昇り、とうとう雲の上まで辿り着いた。

 そこ若者が見たものは、明るい太陽の下、自分達と全く同じ格好をした人間が、ふわふわと動き、ふわ

ふわと喋り、ふわふわと生きている姿だった。

 その上、ふわふわとした村までがある。

 そこにある家も植物も、若者が知る村のものと、寸分違わず変わりなかった。ただ一つだけ違うとすれ

ば、それが若者が知っている村とは、左右が逆になっている事だった。

 若者は腰を抜かし、はしごから落ちそうになったが、何とか踏ん張ってはしごにしがみ付き、ほっと溜

息を吐いた。

 それから足元を確認する為に辺りを見回すと、若者が動いた場所だけ雲が溶けて、ぽっかりと空間が空

いてしまっている事に気付いた。

 穴からは太陽が差し、下界へと光が伸びている。

 若者は何だか面白くなって、近くの雲をどんどん溶かし始めた。

 そうしていると若者に気付いたのか、雲人達が何人も近くに来て、暴れる若者に対して、口々に色んな

事を言い始める。

 若者は何とかそれを聞き取ろうとしたが、彼らがあまりにも訳の解らない言葉を話すので、自分が馬鹿

にされているような気になって癇癪(かんしゃく)を起こし、益々暴れ始めた。

 雲人達は止めようとしたが、若者に触ると水に溶けてしまったので、何かを叫びながら逃げてしまった。

 若者は雲人を追おうとしたが、雲の上に上がろうとしてもそこが溶けるだけで、下に落ちそうになって

しまった。雲の上を歩く事なんて、とても出来ない。

 そこで若者ははしごの上で暴れるだけ暴れてから急いで下界に戻り、上で見聞きした事を知らせた。

 村人達も実際に天から光が差しているので若者を信じ、そんな自分達と同じ姿をしたふわふわした訳の

解らない者が居るのはけしからんと思って、村人全員で退治してしまおうという事になった。

 そしてこの機会に雲も全部溶かしてしまおうという事にして、その準備を始めたのである。

 初めて見た日の光はそれ程までに美しく、村人達の心を満たしたのだ。

 若者達は長い棒を持って雲の上まで昇ると、はしごを始点にして道を造り始めた。はしごはしっかり作

ってあるので、少々の事ではびくともしない。

 そして若者達は雲の上でさんざん大暴れしては帰り、また大きなはしごを作って、その上に道を造り、

また大暴れした。

 こんな事をどんどんやっていったので、もう空にはほとんど雲が残っていない。

 雲人達も訳が解らないまま溶かされて、何処かへ消えてしまった。

 こうして村人は空と光を手に入れたのである。

 しかしやがてそれは困った事態を生み出す事になる。

 雨が降らないのは前と同じだから良いとして、ずっと日が降り注いでいるものだから、どんどん下界の

温度が高くなり、暑くて動けなくなってしまっている。

 それに村人は今まで雲越しにしか光を浴びた事がないので、直接浴びる光は強過ぎ、すぐに火傷をして

しまうのである。

 特に老人や子供は昼間には外に出られなくなってしまった。

 その内何かを被るとか工夫を付けたが、そうすると今度は光をほとんど浴びなくなるし、温度もどんど

ん上がっていくので、病気にかかる者が増え、暮らし難くなり、村がどんどん廃れていく。

 村人達はもうこの村もお仕舞いかと思ったが、その時窓から憎々しげに、或いは哀しそうに、久しぶり

に空を見上げると、残っていた雲が少しずつ大きくなっているのに気付いた。

 そこでよく観察してみると、確かに毎日少しずつ大きくなっているのが解る。

 村人達は喜び。もう悪さはしません。貴方達に危害は加えませんと一生懸命祈って、それからは数少な

い雲を崇め祭り、とても大事にした。

 そして長い年月をかけて雲は元の大きさを取り戻し、村人達に喜びと共に迎えられたのである。

 はしごも撤去され、村人は二度と雲に近付かない事を誓った。

 元の生活を取り戻した村人は、ゆっくりとこの事件の事を忘れていく。

 いつかまた、この雲が当たり前だと思うようになるのだろう。

 そしてこの雲がまた長い年月をかけて村を映し、雲の上に同じ村を作った時、どうなるのだろう。

 その時になってみないと解らないが。その頃にはおそらく、村人達は雲のありがたみを忘れていて。ま

た雲人が落ちてくれば同じように雲の上を見ようとし、そして同じように日の光に魅了されるのだろう。

 そうなった時、今度はどうするのだろう。

 雲人を認め、共存していくのか。

 それともまた同じように、邪魔者として全て溶かそうとするのだろうか。

 或いは雲人の方が村人を滅ぼしてしまうのかもしれない。

 遠い遠い時間の果て、もしその時を見る事が出来たなら、今度は忘れないように記録しておかなければ

ならない。

 同じ過ちを、二度、或いは三度繰り返さないように。

 でもその前に、今度は終わってしまうのかもしれない。

 次があるなんて、一体誰が保証してくれるのだろう。




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