大きく振りかぶって、投げる。 何度も何度も繰り返し、まるでその為に生きているように、呼吸さえ聴こえない。 結果など気にしない。何も思わない。ただひたすらに投げる。投げ続けている。 どこに行くのか、どこにあるのか、それすらも考えないまま。 一人の人間。男か女かも解らない。その投げ続ける人は、勢い良く、力一杯投げ続ける。 朝から晩まで、その次もその次の日も、ただ投げる事を繰り返す。 その全てに意味があるのだろうか。 あるとも言えるし、無いとも言える。はっきりとは解らない。何を求めるかによるだろう。 全ての球を投げ終えれば自分で球を探しに行き、最後の一球が見付かるまで戻らない。投げない。 そして全部見付けては投げる、繰り返す。 疲れも感じないのだろう。 むしろ投げれば投げる程元気が出る。 一つ一つを諦めて、ただ投げる事だけを続け。一つ一つ軽くなっていく体と心が、嬉しそうに弾んでる。 それが力となり、また投げて、また力になって、もう一度もう一度と投げ続ける。 どんなに投げたい事があるのだろう。 その大きくはない体の中に、そんなたくさんの何かが詰まっていたというのか。 泣いたり喚いたり、人にはできる事が多いのに、たった一人そんな事をしている。 投げるだけで、全てを終えようとしている。 どれだけ投げれば気が済むのだろう。 そんなに遠くまで投げなければならない事なのだろうか。 探すのに、その分多くの時間が必要だろうに。 何度も何度も同じ球を投げる。 拾わなければ良いのに。 何度も拾っては投げ続けている。 嫌なのに、投げているのに、それでも逃れられないのか。 どうしても思い出してしまうのだろうか。 手にとって、潰れる程力を込めて握っているというのに。 忘れようとすればするほど求めている。 だからもう一度手にとって思い出し、嫌になってもう一度投げる。 嫌っている筈なのに、捨てきれない。 解っている筈なのに、思い出す。 理解とか不理解とか、そういう事ではなしに。 投げる。 何度も、何度も。 投げれば投げるだけ球の形、姿は変わる。そしてより遠くに飛ばせるようになる。 集める為の時間も増していく。 探す時間が増えれば、投げる回数は減ってくる。今では一日中探している事もある。 探している間は考えなくていい。そして見付かれば、その球を見詰め直す。 何度も何度もそうしてきた。 それを求めてきた。 もしかしたら探したいから投げているのかもしれない。 消したいはずのそれを、もう一度探したい、求めたい。だから投げては探す。許しを乞うように。 思い出したくない思い出は、きっといつまでも憶えていたい思い出なのだ。 忘れたいが、忘れたくない。 忘れたら、その時の全てが、本当に意味の無いものになってしまうから。 いつか大切だった事は、多分ずっと忘れたくない。 その事で何度苦しみ、悲しもうとも。 見詰めたい。いつまでも、何度も、形と姿を変えさせて、どこかに答えがあると信じ続けて。 だからずっと投げ続けている。独り、思い出をかみしめながら。痛い思い出を馴染ませながら。 一球、一球、何かを込め。もしかしたら次こそ何かが違っているかもしれない、という祈りを込めて。 そこに喜びもあった筈だ、と自分に言い聞かせるように。 投げる事は理由ではない。もう一度探す事が理由なのだ。 今日も投げ続ける。飽きもせず、力を増して。 いつまでも、消えるまで。 |