ネガロポージ


 ネガティブとポジティブの狭間を流れるのがネガロポージ、略してネガポジ。

 その境界は何処にあるのか、その違いはどこから生まれるのかは、誰も知らない。

 ただその狭間をゆらゆらと流れる心。それがネガポジ。

 山あり谷ありの折れ線グラフのように、ネガポジはそちらへこちらへと常に向きを変えて、ゆっくりと、

時には何よりも速く流れていく。

 その行き着く先が何処にあるのか、そもそも行き着く先なんてあるのかさえ、誰にも解らない。

 ただネガポジは流れ続け、そこに在り続ける。

 そこから抜け出す事も考えず、ただネガポジである事を全うする。

 人が人生を全うするのと同じ事かもしれない。

 どちらかへ行ければ良いのかもしれないけれど、どちらにも行かない。ただその狭間でゆらゆらと、い

つまでも流れ続けている。

 悲しんでは笑ったり、笑っては悲しんだり、何も解らないままその間を揺れ動く。

 それはただの流れだから、止める事も自由に動かす事も出来ない。

 心はその流れに乗って、いやその流れそのものとなって動き続ける。

 そこには終わりはなくて、いつまでもいつまでも続いていく。

 いつからそこに居て、いつそこから消えるかも解らない。人にはその理由も意味も解らない。解らない

ままそこに在り続けている。

 ネガポジが在り続ける事と、人が居る事の間には関係がないという事かもしれない。

 普段は誰も意識していないから解らないが、誰もが皆そこに居る。そしていつまでも流れ続けている。

多分死んでも流れ続けている。いつまでも誰にも解らないけれど。

 しかし中にはそんな誰にも解らない場所に潜り込んでしまう人が居る。

 その姿は解らない。男か女か、身長は高いのか低いのか、体重は重いのか軽いのか。何も解らない。

 何故ならそれはただの流れだから。

 流れに乗っているだけの心だから。

 一度流れになってしまえば、ただ流れるだけの自分がそこに在る。他には何も無い。

 いつから潜り込んでしまったのかも解らない。ただ目が覚めた時にはそこに居て、いつからか流れ続け

ていた。それを初めてここで意識した。

 怖かった。そうだ、始めは怖かったのだ。何も解らない場所で、何も解らないまま流れていく。先も解

らず、目的も意味も解らない。これは怖い。何がと言われても解らないが、何か解らないままに怖い。

 でもそんな事にも次第に慣れてくる。

 そして慣れてくると今度は興味が湧く。一体何がどうなのか、どうなってこうなっているのか。自分は

一体どうなってしまうのか。興味の種は尽きない。

 しかしそうなるとまた怖くなってくる。知りたくても何も解らない、決して理解出来ない。だから怖く

なる。でも次第にまた慣れてくる。そして解らない。でもそこに居る事は確かだ。本当だ。本当にそうな

のだ。でも違うのかもしれない。本当、本当って何だろう。

 ネガポジの流れと同じように、その心もふらふらと揺れを繰り返す。どちらにも行くし、どちらにも行

かない。流れは何処にも落ち着かない。

 そんな中でふと気付く。今更実感する。

 ここには誰も居ない。

 ネガポジには自分独りしかいない。

 これはおかしい。でもおかしくないかもしれない。

 何故なら、ネガポジは一つではなくて、無数にあるのかもしれないから。

 誰もがその流れに居る。でも誰もが同じ流れの中に居るとは限らない。たまたま独りだけその流れに居

ただけかもしれないし、大抵は沢山その流れの中に居るのかもしれないけど、そうとは限らない。限るか

もしれないけど、限らないかもしれない。

 解らない。だからそんな事はもうどうでもいい。とにかく今は独りしかいないのだ。

 いつから独りだったのだろう。生まれてから独りだったのか。生まれる前から独りだったのか。

 いや、そんな筈はない。独りじゃないから生まれてきたのだ。

 でも今は独り。じゃあ、いつから独りになったのだろう。それとも独りじゃないのかな。

 ネガポジには何も無く、何も解らない。ただ自分だけが在るのを感じる。だから本当は沢山居るのに解

らないという可能性もある。

 でも今は確かに独り。やっぱり独りなのか。最初から独りだったのだろうか。

 悲しくなってきた。

 いや嘘だ。悲しくなんてない。悲しいなんて嘘だ。最初から独りだったのなら、独りになって悲しいと

は思わない筈。だったらやっぱり独りじゃなかったのか。それとも、初めから悲しかったのか。

 浮かんでいる。流れのまま浮かんでいる。

 今度は楽しくなってきた。楽しいから楽しい。解らない。それも嘘かもしれない。でも何だか落ち着か

ない。とても落ち着いているのに、安定しない。どちらにもぴったり合うのにすぐに外れてしまう。

 結局どちらにも行き着く事は出来ないのだろう。

 このまま流れ、流れてただ流れる。それだけの事なのかも。

 だとしたらやっぱり悲しいのか。いや悲しくなんてない。楽しい。いや楽しくなんかない。違う。悲し

いけれど楽しいんだ。いやそれも違うのかもしれない。

 どちらでもあってどちらでもない。そういう時はどうすれば良いのだろう。どうすればしっくり納得で

きるのだろう。どう話せば良いのだろう。

 誰か納得してくれるだろうか。自分は納得出来るだろうか。

 納得。そんな事に意味があるのか。多分ある。やっぱりない。あるけどない。でもまたそんな感じ。

 だからどうでも良くなって真ん中辺りをぶらぶらと流れたい気分になる。

 結局そうなってしまう。そうなのだ。

 でも暫くするとまたあちらへこちらへとゆらゆら揺れ始め、時に激しく、時に緩やかに、そして最後は

また真ん中辺りをぶらぶらと。

 何がどうかとか、理由とか意味とか、そんな事を思う事がそもそも違うんだろう。解らないけど違う、

多分それこそがネガロポージ。

 どこにもなくて、どこにもある。そんな気分。それがネガロポージ。

 だからこのままでいい。このまま居ればいつかは何かがそうなるかもしれない。

 もし何も起きなくてもそれはそれでいい。そう思える何か。それがここには確かに在るのだから。

 そこへ到る可能性という流れ。そうなのかもしれない。

 それが真理かと問われれば、きっとそうなのだろう。でも違うかもしれない。合っているかもしれない。

きっと外れている。でもそれでいい。

 そんな事は重要なんかじゃない。大事なら、何故それを知らない。大事だったら初めから知っている筈。

発見なんて出来やしない。初めから無かったものは探しようがないのだから。

 だからそれも在るのだとすれば、きっと初めから在った事。

 発見できないとすれば、知らないのだとすれば、それは初めから無かった事。

 どうでもいいそれだけの事。

 ネガポジの意味や理由も初めから無かった事。

 そこにただ流れている。それがネガポジ。

 その場所がネガロポージ。

 ただそれだけの事。終わりも始まりも無い。ただ流れ続ける。いつまでも、いつまでも。

 今日もまたその中で。




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