熱の花


 全ては循環し一になる。

 全ては同じ所から生まれ、数多に別れ、また一つに還る。

 気温も同じ、それは一つの花によって定められている。

 大気に寒気が満ちれば瞬く間に萎(しぼ)み、押し付けていた熱気を放出し。

 熱気が満ちれば大きく花開き、熱を奪い取る。

 そうする事でこの花が一番過ごしやすい気温が保たれている、と言う訳だ。

 全ての生命はこの花の気分に付き合わされている。

 それを多くは仕方ないと諦めているが、中にはどうしても我慢できない者がいた。

 その者達の中の一人の猿が、この花をどうにかしてやろうと思い、探し始めた。

 しかし花の咲く場所を誰も知らない。最も高い場所だとも、最も低い場所だとも言われている。

 見た者も居なければ、聞いた者も居ない。本当にそんな花があるのかと疑いたくなるが、それだけは本

当であるという。

 猿は信じた。信じなくてはならなかった。

 この寒さが腹立たしい。何故自分がこんな環境で生きていかなければならないのか。

 草木は葉を落とし、枯れたのか生きてるのか解らない姿になり。食べ物もなければ、飲み水さえ凍って

しまう

 かと思えば、いずれ暑さ極まり、溶ける程光に照らされ、一日中汗をかいて萎(しな)びてしまう事に

なる。

 丁度良い時はほんの少し。花の求める気温は猿の求める気温と離れ過ぎている。

 これは許しがたい問題だった。

 何とかして止めさせなければならない。

 猿はとにかく探そうと思い、まずは一番高い場所を目指す事にした。

 一番高い場所、それは山だ。どんなものよりも山は高くて大きい。そこに咲いていたのなら、世界中の

気温を感じ取る事もできるだろう。

 猿は途方も無い時間をかけ、どうにか一番高い山を探し出し、その頂上にまで辿り着いたが、どこにも

花の姿は無い。

 花どころか、草木一本生えていなかった。もくもくとした煙で涙と鼻水が止まらないし、何度も何度も

咳き込んでしまう。

 あまりにも酷い場所なのでうんざりして、逃げ帰るように転げ降りてしまった。

 話に聞いていた天国という所は、こんなに煙たくて息がし難い場所だったのかと、猿はほとほとうんざ

りする。

 そこで高い場所は諦め、一番低い場所を目指す事にした。

 野を越え谷を探り、やっと一番低い場所を見付けたが、そこも花が咲くような環境ではなさそうだ。

 そこは湖だが、非常に暑く。海水が注ぎ込んでは蒸発し、水中の塩分濃度だけが増していく。魚も居な

ければ植物も生えていない。ただただ塩辛いだけの湖だった。

 そこに居るとそれだけで全身が痒くなりそうだったので、猿はうんざりして諦めた。

 もう高い所も低い所もこりごりである。

 長い長い年月をかけてやっと見付けたのに、結局は誰も生きられない過酷な環境。一体自分は今まで何

をやって、何を求めてきたのだろう。

 猿は途方に暮れて座り込む。

 一番高い場所、一番低い場所、そのどちらにも求めている花は咲いていなかった。これ以上の手がかり

はない。探そうにもどこを探せば良いのだろう。

 そんな風に思い、長い長い年月によって年老い衰えている自分の体を改めて見ていると、なんだか涙が

止まらなくなってくる。足腰が痛くてたまらない。もう歩くのさえ嫌になってきた。

 でも今更諦められるのか。猿はその花を探し求める為だけに生きてきたのだ。初めは腹立ち紛れに旅立

ったに過ぎないが、今では一生を賭けてやり遂げなければならない命題だと考えている。

 自分はもう死ぬ。誰でもいずれ死ぬ。だからそれはいい。ただ願いが叶わず死ぬ事は悔しい。

 終わりなのか。終わりなのだ。

 それを自覚した時から、猿はもう動けなくなってしまった。

 仕方なく横になって空を見上げ、迎え来る何かを待ち続ける。涙は止まらない。もうすぐ自分は死ぬだ

ろう。

 それでも最後の力を振り絞り、立ち上がって進んでみようとした。しかし一歩も動けず、沈む。

 肉体が死に向かってなだらかに落ちようとしている。止める事はできそうにない。

 抗う事が生だとすれば、それはもう尽きたのだ。

「ああ、死ぬのか、ここで死ぬのか」

 立ち上がる力さえ失くした。

 どんなに願っても、求めても、どこへも行けはしないのだ。

 何かが消えていくのを感じた。自分の中にあった大切な何かが、確かにゆっくりと消えようとしている。

 そしてそれが失われる度に、体はどんどん軽くなっていく。

 何かが引き寄せているのではなく、自分から天に進んで逝くのだ。

 最後の時は近い。

 猿はどうしようもない思いで、最後の最後に神に願った。

「神様。神様。どうかお願いです。私に、私に、せめて、せめて一目だけでもお見せ下さい。私はその花

を求める為だけに生きてまいりました。それだけが私の生なのです。それを見ない内は逝けません」

 しかしその言葉を言い終わった時、猿は自分の全てが費えたのを知った。

 もう何も無い。自分はどこにも存在しない。終わってしまったのだ。

 猿は絶望に包まれ浮いて逝った。どこまでも、どこまでも、果てしなく浮かぶ。そして自分の何もかも

がどこかに溶け去っていくのを感じた。

 猿もどこかに還るのだ。その命を使い果たして。再び一になる為に。

 全ての重みが消え、僅かな意識が残る。

 これが最後に残された、命への証なのか。

 猿はゆっくりと目を開けてみた。

 見えるか見えないかは解らない。

 でも最後に一つだけは知って消えたいと。

 目の前には、丸く白く浮かび上がる、大きな大きな花が咲いていた。

 青い実を包むように咲くそれは、確かに猿がずっと探し求めていた花だった。

 一度も見た事はなくても、それと解る。

 一匹の猿は、その生に満足した。




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