野山の裾野へ


 ある所に小さな山が在りました。

 その山には草木が満ち、木の実や果実が豊富で、そこかしこから動物達が集まり。正に動物達の楽園と

言った様子です。大自然の生命に満ち溢れていたのです。

 そこへ何処からか一人の大男がやって来ました。

 大きな斧を持った大きな男です。歩くたびに地面が揺れてしまう程、そんな大きな男でした。

 男はその身体と同じくらい大きな溜息をついて、山の側に座りました。どうやらかなり疲れているよう

です。とてもとても大きな溜息で、木々が吹き飛ばされないように、しっかりと動物達が抑えていなけれ

ばいけないくらいでした。

「もうこれ以上何もしたくない」

 男はそんな事を呟きながら、斧を放り出して、そのまま動かなくなりました。

 ずっとずっと、そのまま動かず。風雨に晒され、草木や土苔がまとわりついてもじっとしています。そ

の内どんどんと色んな物が積もってきて、いつの間にか元在った山のような小山となりました。

 小さな山は仲間の小山が出来て喜びましたが、その男は息をしているのかも解りません。

 ただただ自然と同化するように、他の人間とはまったく違う生き方をしていたのです。

 たった独りで。

 男の持って来た斧だけが、苔むした刃に光を照らし、悲しそうにそれを眺めていました。ずっとずっと

眺めていました。

 でもある時男だった山から、微かですが声がもれてきました。くぐもっていたけれど、よくよく聴いて

みれば、どうやら泣き声のようです。

 それはとても悲しそうな声をしていました。

 それを聴いて斧もとても悲しくなりました。今までよりも、ずっとずっと悲しくなりました。

 でも斧にはどうする事も出来ません。この斧は独りでは動けないからです。

 だからどうする事も出来ずに、静かに黙って泣き声を聴いて居るしかありませんでした。それは哀しい

哀しい時間でした。

 でもやっぱりどうする事も出来ません。

 そうして一体どれくらいの時間が流れたのでしょうか。

 男の鳴き声も、斧の悲しみも消えてしまうかと思えるくらいに時間が経った後、そこに大きな女が現れ

ました。丁度山になった男くらいの大きさで、歩くたびに地面が同じくらい揺れました。動物達は前に似

た様な事があったなと思いながら、必死に木が抜けないように抑えています。

「綺麗なとこね」

 女は大きく笑って、その側に座りました。女は疲れているらしく、足腰をさすっていましたが。それで

も不思議なくらいに、太陽くらいに明るい表情をしています。

「そこの方、そこの方」

 斧は朽ち果てようとしていた身体を精一杯に伸ばして、何とか声を出しました。小さな小さな声でした

が、それでも女は聴いてくれたみたいです。どしどしとやってきて、斧を掘り起こすようにして、取り出

してくれました。

 斧は長い年月の間に、少しずつ地面に埋まってしまっていたのです。もう少し放って置かれたら、腐り

落ちて、大地と一緒になってしまったかも知れません。山になった男のように。

「なんでしょう、斧さん」

「私を使って、そこの山を切り倒してくれませんか」

「何ですって!?」

 女はびっくりしました。何と言ってもその斧は朽ちかけていて、そのまま使おうものなら、きっと真っ

二つにへし折れてしまうと思ったからです。

 そんな事は出来ませんと、女は断りましたが。それでもその斧は何度も何度も頼みます。もし涙が流せ

ていたなら、きっと顔中涙で濡れていたでしょう。それくらいに必死に頼んでいるように見えたのです。

「解りました」

 女は深い訳があるのだろうと思い。仕方なくその斧で山を崩し始めました。斧が折れないように優しく、

優しく使いながら。

 斧も必死で折れないように頑張りました。

 するとどうでしょう。山の中から次第に手足が見え、暫く崩すと大きな男が現れたではありませんか。

「なんて事でしょう」

 女は斧を置いて、急いで男にまとわり付いていた色んな物を剥ぎ取り、男を自由にしてあげました。

 そして泣いていた男を優しく撫でてあげました。

「ありがとうありがとう」

 男は涙を流して喜び、何度も何度も御礼を言います。よっぽど辛かったのでしょう。

「ああ、何と言う事だろう」

 でもふと見た時、信じられない物が目に入りました。いつの間にかあの斧が真っ二つに折れていたので

す。ボロボロで崩れており、今まで使えたのが不思議なくらいでしたけど、一体いつの間に折れてしまっ

たのでしょうか。

 でも哀しむ男と女に、その斧は小さな声で言いました。

「ああ、出てこれたのですね。良かった、良かった。思えば私はずっと貴方を見てました。哀しむ貴方、

泣いている貴方、今まではそんな貴方に何も出来なかった。でも今ようやく貴方の役に立てました。貴方

をそこから出してあげる事が出来ました。私は嬉しいのです。嬉しいのです。私をずっと使ってくれた御

礼がやっと出来ましたから」

 そして斧はゆっくりと砕けていきました。まるでそれで全ての力を使い果たしたかのように。

 その斧は男がずっとずっと昔から大切に使っていた斧だったのです。

 男も女も長い間、そこでたくさんたくさんの涙を流して、大声で泣きました。動物達が川を造ってあげ

ないといけないくらいに、凄い涙の量だったそうです。

 涙がようやく乾き、心の整理が付き始めた頃。男と女はそこに家を建て、斧の事を想いながら、二人で

暮らし始めました。

 やがて二人に子供も産まれ、家族皆で幸せに暮らしたそうです。

 そして彼らの家にはいつも何処かに、必ず斧が立てかけてありました。きっと崩れてしまった斧が、独

りで寂しく無いようにと思ったのでしょう。男は自分と同じ想いを、斧にさせたくなかったのです。

 そんな御話。

                                       了  




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