私は盗人、しがないこそ泥でやす。 何の因果かこんな稼業。悪い悪いと思いつつ、皆々様から日々拝借させていただきそうろう。 今日も今日とて無用心な御宅を探しておるのでございます。 「まったく誰も彼も無用心ですなあ」 風呂場の窓が開いてござる。ベランダの鍵を閉め忘れてござる。 二階三階だからと無用心ではありませんかい。私共も流石に足腰くらいは鍛えておるのでございます。 大してお金も無いからと油断してはなりません。私共はその油断を突くのが商売なのであります。 「今宵はこの御宅に参らせたもう」 何とまあこの御宅は玄関が開いてござった。これはもう忍びこんでくれと言う事でありましょう。私も 人の好意を平気で裏切れる程、そんな情け無い人間ではございません。ここはありがたく入れさせていた だきやした。 「こりゃあたまげた」 しかし入って吃驚、たまげましたよ。居間でございましょうか、ここになんとまあ脱ぎ捨てられた衣服 がほったらかしで山のよう。男物も女物もしたい放題に放ってあります。 この御宅の御仁は洗濯とか整頓とか、そう言う言葉を知らないのでございましょうか? 無精にも程が ありましょうや。 仕方ありません。玄関をわざわざ開いてまで、この私を招いて下さった恩義、これに応える為にも、こ こは私が片付けやしょう。 いやいや、礼には及びません。それにそうさせる為にわざわざほっぽっておかれたのでしょう。 見て下さい、こんな下着までほったらかし。親父殿ならともかく、うら若き乙女がこのような事はする はずがございません。ええ、ええ、わざとこうしてあるのですとも。私には解っております、伊達に長年 盗人稼業をやっている訳ではございません。 しかしまあ何と言う量でありましょうか。これはどうやら一日二日ではありませんな。ざっと推量して も、一週間は下りますまい。 とすれば、そんな前から用意して下さったのに、私と言う愚か者は一週間以上も待たせてしまった事に なります。これはどれだけ謝っても償える事ではありませぬ。 せめてしっかり片付けさせていただきやす。 「色物、柄物、無地などは混ぜてはいけませんな」 衣類を区別し、さて洗濯機と向ったはいいものの。ふと思えば、こんな真夜中に洗濯機など使える訳が ございません。折角お休みされている方々を、私のせいで起すわけにはいきませぬ。 解りました。一つ一つ精魂込めて、手洗いさせていただきます。
ふう、やっと終わりました。何時間かかったのか、もう思い出すのも嫌でございますが、一生懸命させ ていただきました。おかげで手の皮もぼろぼろになりました。でもそれもこれも御恩を思えば何でもあり ませぬ。 しかし一つだけ問題がありやす。何せ真夜中、これでは干しても満足に乾きますまい。 ここは涙をこらえて、洗濯機の中へ入れておくと致しやす。それにこうしておけば、きっと洗った事を 忘れていたと思うはず。乾燥機も使えない故、致し方ございません。何卒御勘弁下さいまし。 いやいや、私がやったなどと解らなくて良いのでございます。お礼をいただく為にしたのではございま せん。私がお礼をする為にしたのでありますから。 こんな半端な仕事でありますし、わざわざお礼をいただくのは勿体無く存じます。 「さて、いよいよ私のお仕事をさせていただきますか」 金庫などはありませんな。ふむふむ、では押入れかタンス辺りですかな。おお、在った。 こういう物は大体皆同じ所に仕舞うものでございます。少し捻られる方もおられますが、私共にとって それは大した効果はございません。せいぜい皆様の自己満足で終わるかと存じます。 冷蔵庫に台所。本の間に、普段開けないと思っておられる扉の中。 何処でも同じでございます。人の生活域を超える隠し場所はございませぬから、何処にあっても同じな のです。少し探せば、はいこの通り。 「ん、いやはや最近の方はなっておりませぬな」 貴重品をいただこうと手を伸ばすと、暗がりでも解るほど埃がたまっておるではないですか。これはい けません。ダニやゴキブリ等々害虫の良い餌になってしまいます。 ええ、ええ、仰りたい事は良く解ります。 私もこの道長うございます。楽に儲けられるなどとは思ってはおりません。誠心誠意、心を込めて掃除 させていただきます。 良い機会ですから、目に付く所を全て掃除させていただきましょう。 いやいや、お礼には及びません。これも仁義と言うモノでございやす。
いやはや、私もこれ程汚れているとは思いませなんだ。 雑巾だけでなく私まで真っ黒でございます。私が来る時の為に、我慢に我慢を重ねていただいたのであ りましょうや。そんなに思っていただいて、涙が出そうでなりません。 どう考えても、人間ここまで汚い所に住める訳がありませんから、きっと私の為に放っておかれたので ありましょう。わざわざ仕事を与えていただき、私の罪悪感を和ませてくれようとの御計らい、真に感謝 しております。 解っております、解っておりますとも。皆様のお志、しかと受け止めさせていただきましょう。 さてさて、いよいよいただく物をいただく時間となって参りました。お名残惜しゅうございますが、こ れも盗人の定め、止めて下さるな。 「おや、いけない」 すみませぬ。うっかり時間をかけ過ぎました。もう朝日が登ろうとしておりました。私なんかがお天道 様を拝もうなどと、そんな勿体無い事は出来ません。 今日はこれにて失礼させていただきます。 はい、はい、解っております。折角の御好意を無駄にする事は解っておりますが、もうここには居れぬ のです。 人に別れは付き物。それにまた御縁があればお会い出来ましょうとも。 ではでは、これにて失礼させていただきます。今宵は楽しゅうございました。
おっと、忘れる所でございました。 何でも昨今、家にこっそり忍び込み、洗濯掃除をして何も盗らずに消える奇特な御仁がおられるそうで す。どうも戸締りに気を付けるよう、暗に警告しているのだとか何とか言う噂でございますよ。 皆様もお気をつけになるよう。 この話のような良い御仁ばかりではございませぬ。私のような盗人が数多く、貴方の御宅を狙っている のでございます。 努々油断なされぬよう御注意を。 それでは、皆様お元気であられますよう。
了 |