お前はホラーじゃない!


一日目

 目の前には古い洋館が在る。

 視界を埋め尽くす程に大きく、そしてそれ以上に古い洋館だ。オンボロという言葉がしっくり当てはまる。

 母の遠い親戚の家だったそうだが、不幸にも母以外の親類が亡くなり、母が相続する事になった。

 しかし母はもう老人と言っても差し支えない年齢で、こんな山奥までくる元気がない。そこで俺に管理を任

されたという訳だ。

 大きな家だとは聞いていたので期待していたのだが、まさかこんな家だとは思わなかった。

 最寄り駅から車と歩きで半日もかかるようなへんぴな場所で、その上こんなボロ館では資産価値は望めない

だろう。この圧倒的な大きさが余計に哀しみを膨らませる。

 俺はそっと溜息をついた。

 こんなはずではなかった。そんなありふれた言葉が頭の中に浮かぶ。

 母が俺に管理を任せたのも頷ける。こんな収入の望めない館では管理人を雇うだけ無駄だし、困って子供に

押し付けたのが本音といった所か。無職のすねかじりを体よく追っ払うには丁度良かったのだろう。 

「まあいいさ。どうせ暇だしな」

 贅沢はできないが食ってはいける気楽な暮らしだったが、だらだらと遊んでいるのにもいい加減飽きてきた。

お世辞にも住み心地が良いとは言えない館だが、何もする事が無いよりはましだ。適当に修繕でもやっている

間に買い手でも見付かるかもしれない。

 それまでの親孝行だと思う事にした。

「とにかく、入ってみよう」

 鍵を開け、昔は立派だっただろう両開きの扉をゆっくりと開くと、むわっとした臭いが風に乗ってやってきた。

 かび臭くもあるあの湿った古い臭いだ。

 元の持ち主が亡くなってからそれほど長くは経っていないはずなのだが、もう何十年も人の出入りがなかっ

たかのように感じる。ボロ所か廃墟と呼ぶ方が似合っている。ホラー映画のセットとしてレンタルでもした方

が良いんじゃないかと思えてきた。

 世の中には廃墟好きな人間も少なくないようだから、そういう人向けのテーマパークみたいな感じに仕上げ

ても面白いかもしれない。

「後で母に言ってみるか」

 儲かるかどうかは解らないが、思いついたことを知らせれば何となく仕事しているような気になれる。何も

しないよりは気分がいい。

「しかしやっぱ広いな」

 玄関は外観を裏切らない広さで、二階まで吹き抜けになっていて、圧倒される空間が広がっている。内装も

まさにイメージ通りの洋館といった作りで、正面には広い階段があり、二階と一階の丁度真ん中辺りの高さで

左右に分かれ、二階まで続いている。

 階段の分岐点の真上には大きなシャンデリアが配置されていて、スイッチを入れるとくぐもった光を放った。

埃汚れを落としてやれば、案外綺麗な明かりを提供してくれるかもしれない。

 二階廊下はコの字を横にしたような形で、コの字で言えば上下右それぞれに二部屋ずつ扉が付いている。横

に広い作りの建物だから、右の二部屋は他の部屋よりも広く作られているのだろう。

 一階も構造的には二階と同じだ。設計としては至極簡単なものである。

 これなら中で迷う事はないだろう。

 館内をまわり、目に入った部屋を一通り確認してみたが、どの部屋にも家具が備え付けられており、今すぐ

に住めるようにはなっていた。広さも大体同じで、二階奥(コの字の右部分)の部屋も他の部屋より横長では

あったが、奥行きはそれほど変わらなかった。

 一階の奥は食堂になっていて、調理室もその隣に設置されている。王侯貴族が晩餐にでも使うような設計で、

完成した当時はさぞ立派だったのだろうと思われた。

 母の親類が何をやっていたのかは知らないが、これができただろう何十年かもっと前まではきっと羽振りの

良い生活を送っていたのだ。

 元の持ち主の事をもっとちゃんと知りたかったのだが、母は何故かその人、いやその人に連なる親類の人達

の事は話したくないようで、参考になるような話を聞けなかった。

 もしかしたら人には言えないような事をして一財産を稼ぎ、それが祟って没落し、こうなったのかもしれない。

 例え想像ででも親類を、それも故人をおとしめるのは大人として良い行いではないのだが、そうとでも考え

なければしっくりこない。

 でも何となく罪悪感を覚え、俺は誰に向けるでもなくそっと手を合わせた。

「不思議な点があるとすれば、この上か」

 二階奥の部屋に比べ、食堂は奥行きが広すぎる。外観では一階より二階が狭いような印象は受けなかったか

ら、おそらく食堂の上にはまだ部屋なり何なり空間があるはずなのだが、そこへ行く階段が見付からない。

 わざわざ埋め立てる意味もないだろうし、一体どうなっているのだろう。

 隠し部屋でもあるのか。それとも後でわざわざそこに行けないように改修したのか。どちらにしても不自然

だが、それを悩んでいても仕方が無い。

 とりあえず行ける範囲は見たので、二階の部屋を一つ拝借して休む事にした。



二日目

 寝具はどれもかび臭く、埃が乗っていて、快適とはとても言えない寝心地だった。一度全部外に出して日差

しに当てなければ安眠できそうにない。

 寝付きが悪く、夜中に何度も目が覚め、そのせいで寝ぼけたのかおかしな音がしていたような気もする。

 まずは寝床に決めたこの一室だけでも掃除し、清潔かつ快適に使えるようにする必要がある。

 結局、その作業だけでこの日は終わった。



三日目

 掃除したおかげで昨夜はぐっすり眠れたが、二日目と同じく夜中におかしな物音を聞いたような気がしたの

で、その原因を突き止めるべく行ける範囲は全て探してみた。

 しかし何も見付からず、疲れだけがたまってしまった。

 ふてくされてそのまま眠る。

 気のせいであったのなら、それで良いのだが。



四日目

 起きるとひどく空腹を覚えた。考えてみればここ数日まともに食事をしていないような気がした。食べても

インスタントばかりだったので、栄養が足りていないのかもしれない。

 今日は少し頑張って食事を作ってみる事にしよう。

 簡単な料理しかできないが、それでも自分で作った物を食べるというのは気分が良い。

 調理場だけは不思議と埃もほとんどなく、道具なども綺麗なままであったので、掃除で余計な体力を使わな

くて済んだ事も気分が良い理由かもしれない。

 元の持ち主は金持ちらしく食事に気を遣う方だったのだろう。

 そう考えても寝室の埃具合と比べると違和感があるが、その答えを見付ける手がかりはない。母に聞いても

多分よく知らないか、知っていても教えてはくれまい。

 世の中にはそういう理不尽というのか、自分の思うようにはいかない事が多々ある。

 大人になってそれがようく解った。

 そういう場合には大人しく諦めるのがいい。疲れてしまう。

 若い頃は諦めると負けたような気がして、明らかにそうであったとしてもそれを認めるのが嫌だったし、怖

かったが、いつの間にか諦める方を楽に思うようになってしまった。

 良い事なのか悪い事なのかは解らないが、どうもそういうものらし・・・・。 

「ん?」

 何か音が聞こえた気がしたが、耳をすませても何も聞こえない。

 気のせいか。夜中の音といい、疲れているのかもしれない。

 少しゆっくりしよう。

 食事をとり、少しぼんやりしていると久しぶりに料理した事もあってかひどく眠気を覚えた。

 一応ここの管理が仕事だが、何かしなければならないという事はなく、時間は自由に使えるので今日はもう

寝てしまう事にした。

 こういう時、一人は気楽だ。何をするにも許可をとる必要はない。思うままに振る舞えばいい。

 部屋に戻ってベットに寝転がり、うとうととしているとどこからか音が聞こえてきた。今度ははっきりと聞

こえる。

「・・・・・うるさいな」

 腹が立ってきたが眠気に打ち克てる程ではなく、我慢して目を閉じているといつの間にか眠ってしまっていた。

 それとも初めから夢を見ていたのだろうか。

「・・・・・・」

 目を開けるとすっかり日は落ちて、館内も真っ暗になっていた。

 黒く塗り固めたかのように暗い。

 目が慣れるのを待ち、手探りでスイッチを探して入れてみたが、何故か反応してくれない。電気は通ってい

るし、電球も昨夜はちゃんと点いていたのに、何度スイッチを入れても何も起こらなかった。

「こんな事なら面倒がらずに電球を全部替えておけばよかった」

 今更言っても仕方ないが、悔しい思いに胸が満ちる。

 この惨めさは何度体験しても慣れる事はない。自分に対する純粋な嫌悪感と失望感でうんざりする程嫌な気

分になった。

「もういい。もう寝てしまおう」

 起きていてもこの暗さでは何もできない。それなら黙って寝た方が腹も立たない。

 もう一度横になり、目を閉じる。

 気分はまだ晴れないが、眠った時刻が中途半端だったせいもあるのか、目を閉じるとそれでもゆっくりと眠

気がやってきた。

 だがそうしてうとうととしてきた時、また音が聞こえてきた。

 寝る前に聞いたものよりも大きく。まるで耳元で鳴らされているかのように気に障(さわ)る。

 我慢して目を閉じていたが、音は益々激しく強くなり、指を耳に入れてもふとんをかぶっても我慢できない

くらいになってきた。

「うるせぇッ!!」

 怒鳴ってみたが、治まる所か音は更に大きくなっていく。

 暗いだのなんだの言っている場合ではない。今すぐこの場を離れないと気が狂いそうだ。

 幸い目が暗闇になれてきたのか、はっきりは見えずとも輪郭だけなら解る。

 手探りでドアを開け、廊下に飛び出した。

 音はその瞬間にぷっつりと止んだ。

 後には静かな静かな闇が広がっている。

 その落差に背筋に寒気が走った。

 あれだけ腹を立て、勢い込んできた後なので余計に静けさが心の中で引き立つ。忘れていた恐怖感がよみが

える。

 自分一人しかいないはずのこの洋館で、あれは一体何の音だ。

「・・・・・・・・・・」

 壁のスイッチを探し、入れてみると電気がぱっと灯った。停電とかではないらしい。少しほっとする。

 安心からか勇気が湧いてきたので、一通り見回ってみる事にした。

 それも管理人の大事な仕事だ。

 調査を開始する。

 一通り確認してみたが、これといったものは見付からなかった。もっとちゃんと探せば何かあるのかもしれ

ないが、今の明るさではどうしようもない。

 残念だがここで打ち切ってもう一眠りする事にする。

 朝を待とう。



五日目

 かすかに音がする。

 目が覚めるとまたあの気分の悪い音がしていた。

 何かを叩いているような、ノックでもしているような、足で床を何度も叩いているような。

 音が認識を求めてくるように聞こえて気持ち悪い。

 それでもしばらく我慢していると、諦めたようにすうっと聞こえなくなった。

「なんなんだ、この音は・・・・・・。まあいい、とにかく飯にしよう。腹が減った」

 昨日の残りを温めて食べると少し元気が出てきた。

 睡眠を取り、しっかりご飯を食べると嫌でも元気がわいてくる。

 気分も晴れやかだ。

「ん?」

 そのまま少しまどろんでいると、ずるっ、ずるっと何かを引きずるような音が聞こえてきた。

 壁の向こうから聞こえてきたような気がしたので、一度外に出て辺りを見回してみたが、気になるようなもの

はない。音も聞こえなくなった。

 でも館内に入るとまたずるっ、ずるっ、と音がしてくる。

 からかわれているのだろうか。だとすれば誰に?

 もしかしたらここには俺以外にも人が住んでいるのだろうか。

「ありえない話ではない」

 これだけ大きな家だ。一人二人くらいなら隠れ住む事も可能だろう。前の持ち主が亡くなってからどれだけ放

っておかれたのかは解らないが、その間に誰かが住み着いたとしても不思議はない。

 それにしてはその存在をほのめかすような事をしているのが気になるし、初めてきた時に生活感を感じなかっ

た事も気にはなるが、可能性としては最もありうるものだ。

「少し探ってみるか」

 本当に人が居るのであれば放っておく訳にはいかない。

 そいつが俺を追い出そうとしているのだとすれば尚更だ。

 いつも通り何気なく過ごし、夜を待ち。食事をとって、自室へ戻る。

 ここまではいつも通りの行動。もし相手が俺の事を観察していたのなら、一日の過ごし方も大体把握している

だろうし、夜中はずっと室内で寝ている事も知っているだろう。

 たまにトイレに起きたりもするが、注意すべき点がその程度だとすれば、御しやすい相手と向こうには映って

いるだろう。

 勝機があるとすればその油断だ。

 俺はベットに入り、目を開けたまましばらく待った。

 一時間くらい経った頃だろうか。あの嫌な音が聞こえてきて、少しずつ強くなっていく。

 数分としない間に至近距離で壁を叩いているくらい大きな音に成長した。

 今だ。

 俺はそーっとドアを開け、廊下へ出た。廊下の電気は点けっぱなしにしている。相手が警戒してしまうんじゃ

ないかと心配したのだが、それも要らぬ心配だったようだ。

 出し抜けるかもと期待していたのだが、壁を叩くような音は廊下に出るとすうっと消えてしまった。複数犯で

一人は俺を見張っているのかもしれない。

 それならそれでもいい。見張っているのだとすれば、いつでも俺が見える位置に居るということだ。それは俺

から離れないということだ。人間はいつまでも影のようにはいられない。いつか尻尾を出す。それを待てば良い。

 今夜はどこまでも探し、必ず見つけ出してやる。

 館内はおそろしい程静寂に包まれていたが、今はそれを何とも思わない。怒りと決意が恐怖を飲み込んでいた。

「さあ、今度はこちらの番だ」

 そう思い一歩踏み出そうとした瞬間、ずるっ、ずるっ、と何かを引きずるような音が聞こえてきた。

 朝聞いた音と同じ。相手もここが勝負と考えているのか、出し惜しむつもりは無いようだ。

「うかつなやつだ」

 脅しているつもりなのだろうが、これ以上解りやすい目印はない。この音をたどっていけば、そこに奴はいる。

 さあて、どうお仕置きしてやろうか。

 俺は少し楽しくなってきて足取りも軽く音のしてきた方へと向かった。

 音は一階の方から聞こえてくる。

 ずるっ、ずるっ、大きく小さくもなくはっきりと聞こえ続けるのが不気味だが、今はそんな事どうでもいい。

そいつさえ見つけ出せば全て解決する。このうんざりする騒音ともおさらばだ。

 一階に降りると音が食堂の方から聞こえてくるのが解った。

 迷わず食堂へ入る。

 ずるっ、ずるっ。音はより大きくはっきりと聞こえてきた。

 食堂のテーブルの上にある燭台のロウソクに火が点けられていた。薄明かりが逆に暗闇を引き立て、まるで闇

がのしかかってくるかのような重苦しさを感じる。

 良い気分がしないので電灯のスイッチを入れようとしたが、何度カチカチと押しても点灯しない。

「くそっ、なんだってんだ」

 息が荒くなるのをこらえ、目と耳を澄ます。

 ずるっ、ずるっ。

 音はキッチンの方から聞こえてくるようだ。何かを引き摺るような、はっているかのような嫌な音。

 薄闇に包まれたままのキッチンの方を見ていると、ぼんやりとだが何かが近付いてくるのが解った。

 それはずるっ、ずるっ、とゆっくり近寄ってくる。

 背が低い。

 いや、低いどころじゃない。うつぶせになるくらいの高さだ。少し盛り上がっている影は頭部だろうか。それ

が上下に揺れながら寄ってくる。

 自然と体が強ばり、拳をぎゅうっとにぎった。

 本能的な恐怖心が背筋をぎゅっとつかみ、皮ごと後ろに引っ張られているような気になる。

「・・・・・・・・・」

 そのままの姿勢で耐えていると次第に這う者の姿がはっきりとしてきた。

 そう、這っている。両手を使い、匍匐前進をするような姿勢でずりっ、ずりっ、と動いている。

 そいつには下半身が無かった。ちょうど腰の部分から引きちぎられたかのように腸や臓器が飛び出していて、

それがずるっ、ずるっ、と音を立てていたのだ。

 一瞬けが人かと思って心配したが、表情は笑っている。

 さらさらの髪でにこやかに笑っている。

「・・・・・・・・・・・」

 そいつは何も言わない。ようやく会えたね、とでも言うような嬉しそうな顔で笑っていた。

 俺は腹が立っていたので、ずかずかと近付き、

「ふんっ!!」

 渾身(こんしん)の力を込めてそいつの頭を踏み潰した。

 ここまで損傷していればどうせ命は無いだろうし、こんなへんぴな場所に誰が来るとも思えない。まともな人

間とも思えないし、やってしまえばそれで済む。後は静かに眠れるというものだ。

「ふんっ! ふんっ!」

 たまっていたストレスをぶつけ、何度も踏みつける。

「ぎゃひッ、ぎゃひッ」

 しかしそいつは何度頭を潰しても、一向に死ぬ様子が無い。子供の頃見た、胴と頭が離れてもまだぴくぴくと

生きていた虫を思い出した。

 さすがに足が痛くなってきたので、そいつの両手を引っ張って肩を外し、ひも代わりに結んでしまう事にした。

 大した力もないようで、簡単にまとめられた。

「ぎゃひッ、ぎゃひッ」

「うるさいやつだ」

 それでも黙らないので腹が立って、外に持って出て力一杯地面に叩き付けてやった。

 ぷぎっ、という妙な音を立てて潰れたので、後は一度蹴り飛ばしてからつかみ上げ、ぶんぶん振り回してから

ハンマー投げのようにどことも知れぬ方角へ投げ飛ばした。

 あの調子ならこの程度で死にはしないだろうが、相当のダメージは受けるはず。帰ってくるとしても時間がか

かるだろうし、両手で結ばれた状態だからもう二度と帰ってこられない可能性も高い。

 できればどこかに埋めるなりしたかったのだが、その為の道具があるかどうか解らないのでこうする事にした。

次善の策というやつだ。

 殺虫剤をかけたけれど姿を隠してしまったゴキブリを思うかのような気持ち悪い部分は残るが、人生において

そういう気持ち悪さと付き合わなければならない状況は少なくない。俺も大人であるのだから、我慢すべきだと

思う。

 ともかくこれでゆっくり眠れるはずだ。

 気疲れした心を引き摺るように自室のベットに入り、目を閉じる。

 しかしそこにまたあの音が聞こえてきた。

 壁を叩くような音だ。

 気が立っていたので反射敵に壁を叩き返したが、相手はその反応を喜ぶかのようにもっと壁を叩いてくる。何

度も何度も叩くが、相手はそれ以上に激しく叩いてくるのだ。

「なんだってんだ、ちきしょうめ!」

 腹は立ったままだが、壁を思いっきり叩いた痛みで少し頭が冷えてきた。

 この音はどこから聞こえてくるのだろう。あの這いずり野郎ではなかったのか。

 苛立つ気持ちを抑え、耳を澄ませてみると、どうも音はこの壁の向こう、つまりは食堂の二階に当たる場所か

ら聞こえてくるらしい事が解った。

 だがそこへ行く道はどこにも無かったはずだ。

 どうすれば良いのだろう。

 そう考えている間にも音は激しく強くなっていく。

「もういい! やってやる! やってやるよ!!」

 道なんか探すから迷うのだ。憎き相手はこの壁の向こう側に居る。それが解っているのなら、そうだ、この壁

を壊してやればいい。

 その為の道具がなければ買ってくればいいのだ。

 もう深夜をとうに過ぎているが、今から近くのそういった物がおいてある店に向かえば、ついた頃には朝にな

るだろう。

「明日にはこじ開けてやるからな! せいぜい待っていろ!!」

 俺は壁に怒鳴り散らし、肩をいからせながら部屋を、館を出た。



六日目

 ふもとまで歩いて降り、そこから車で探して半日、ようやく買う事ができた。洋館に戻ってきた時には日が暮

れかけていたが、夜になる前についただけでも奇跡だと思える。

 手には大ぶりの両手持ちハンマー。解体業者が使う代物だ。このオンボロ壁を壊す事など簡単だろう。

 疲れが残る体をひきずるようにして館に入り、一直線に自室を目指す。

 怒りと決意と達成感とよく解らないものが混じった気持ちで、気持ちだけで歩き続ける。

 やっと終わるのだ。

 館はいつも通り静まりかえっていたが、今はそれもこれから開かれる騒音パーティを歓迎してくれているかの

ように思えた。

 今までは音を出すのは向こうだけだったが今度はこちらの番だ。うんざりする程聞かせてやる。

 そのままこの館全部を叩き壊して更地にしてやろう。土地だけなら管理も要らない。それですっきりする。

「さあ、帰ってきたぞ! もう逃げられないからな!」

 壁に怒鳴るとそれに合わせるように例の音が鳴り始めた。いつもは心を苛立たせるだけのその音も、今は歓迎

してくれているかのように聞こえる。

「はははッ! これで終わりだ!」

 叫びながら力を込めてハンマーを叩き下ろす。

 壁はあっけなく壊れ、内側へと弾き出された。そのまま人が通れるくらいまで穴を広げ、慎重に中へ入る。

「うあああッ、うああああッ」

 暗がりから叫びながら何かが近付いてくる。

 俺は必死にハンマーをふるった。

「あげひッ!?」

 そいつは奇妙な声を出して、壁と同じように弾き飛ばされた。

 手応えは軽い。拍子抜けするくらいに弱い。

「あぐがががッ」

 こいつだ。こいつが全ての元凶なのだ。

「さあこいッ」

 そいつの手をつかみ、明かりの差し込む場所へと連れ出す。

「あぐッ、あぐッ、なんで、なんで、せっかく、せっかく助けてくれたと思ったのに」

 だがそいつはおかしな事を言い出した。

 息も絶え絶えで上手く聞き取れないが、そんな事を言っている。

「何を言ってんだ」

 俺が訪ねると、そいつはあぐあぐ言いながらもこれまでの事を話し始めた。

 それに寄ると、こいつは泥棒だが殺人犯であり、逃亡中にこの館を見付けた。丁度良いと思って潜伏したのだ

が、あの妙な半身のやつが出てきておびえている所をここへ閉じ込められてしまい、毎日のように脅かされ、い

たぶられ、汚され続けたのだそうだ。

 逃げようにも出口が解らず、死のうにも死ねず、絶望して泣きわめいていたのだが、いつしかそんな気力も体

力も薄れ、ただただ死ぬときを慰み物として待つようになっていった。

 しかしそこに俺が現れ、再び希望を見出し、壁を叩いて必死に助けをこうていたのだそうだ。

 ずっと気付いてくれないから毎日泣いていたのだが、昨日ついに俺が半身を返り討ちにし、明日にはこじ開け

てやる、と言ってくれたので、悦びに打ち震えながら待っていたというのに、出迎えてくれたのはハンマーの一

振り。そりゃあ、なんでと問いたくもなるだろう。

 でもまあこんなにしゃべれるし、食べ物や水も与えられていたようで案外血色も良いし、元気そうだ。

 だから俺がハンマーで一撃入れた事を無かった事にするのを条件に救急車を呼んでやり、ついでに警察も呼ん

でやる事にした。

 裏切られた、この人でなし、などとわめいていたが、こちらは犯罪者を取り押さえ、通報した善良な一般市民

である。感謝状も出るし、金一封ももらえる。その上、この話がネットから広がり、化け物館としてこの洋館が

有名になってひっきりなしに人が訪れるようになった。

 俺は洋館をそのままホテルとして提供する事にして、母とも話をつけた。

 最近はテレビや雑誌の取材も多いし、いずれ人気が下火になるとしても、それまでに一財産稼げるだろう。

 稼いだらさっさと金持ってずらかればいい。後は気楽に余生を過ごせるだろう。

 心残りがあるとすれば、あの半身の化け物を捕獲してどこかの研究所にでも売り付ければ良かったなあと思う

くらいか。

 俺は今でもあいつが帰ってきてくれる日を心のどこかで待ち望んでいる。

 あれが何なのかはどうでもいい。俺の利益になるのなら、全てはそれで良いのだから。


                                                               了




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