誤解なんじゃないか。 何となくそう思う。 あなたに対してのこの気持ちは、果たして本当なのだろうか。 誰かを想い、暖かい心があふれる時、私たちはその人を愛している。またはそれに近しい状態にあると考える。 逆に、その人を想う時、どす黒い心か、それに近しいものが浮かんでくれば、私たちはその人を憎んでいる、嫌って いると考える。 でもそこにどれほどの差があるだろう。 そもそも、それはどちらにもなる想い。 人の心が不変でないのなら、その時々の心のありように、一体どれほどの価値や意味があるのか。 いずれ離れていくのなら、それを愛と呼んでいいのか。 いずれ許す心なら、それを憎しみと呼んでいいのだろうか。 どちらにもなりうるのであれば、きっとそれはそのどちらでもない、濁りきった、混沌のままの何かなのだ。 好き、でも、嫌い、でもなく。そのどちらかですらない。そんなただの日常的な心の動き。 しかしそこに幸せがあり、不幸せがあり、今を生きているのだとしたら、それはそれで尊いものなのかもしれない。 変わりやすいから大事ではない、という事ではないとも思うのだ。 |