オポオポ人形


 いつ解らぬ昔から、そこに設置されているオポオポ人形。

 手はひじの部分で直角に曲がり、短い足がぼてっと伸びる。丁度卍の字のような形でしょうか。

 埴輪のような外見に、楕円形の目口鼻、ぽっかり空いた空洞で、オポオポオポオポ笑います。

 悲しくてもオポオポ、苦しくてもオポオポ、笑っていても泣いていても、オポオポオポオポ笑います。

 何の為に、誰が何をしようとして作ったのか、それは誰も知りません。遊びで作ったのか、はたまた儀

式の為か。精霊なのか玩具なのか、何にもかんにも解りません。

 ただただ、オポオポオポオポ笑います。

 人が通ると笑います。カラスがよぎれば笑います。子供が泣いても笑います。

 人はここを待合場所として、良く使っているようです。

 日の当る気持ちの良い場所で、オポオポ人形のぽっかり空いた瞳から、中までしっかり日が通り。さな

がら日にあぶられたかのように、オポオポ人形は真っ赤に変色しております。

 材質が土なのか金属なのかはわかりませんが、その場所といい、色といい、とにかく目立つ場所であり

まして、待ち合わせには最適なのでした。

 でもうっかり人形の前を通ると。

「オポオポ、オポオポ」

 良く通る声で笑うもので、ちょっぴり気まずく恥ずかしい思いをします。

 相手が遅れ、苛々して前をうろつこうものなら。

「オポオポ、オポオポ、オポオポ、オポオポ」

 人形は張り切って笑います。

 苛々している時に笑われて、人は皆腹が立つ訳ですけども、近付けばまた笑われるのでどうしようもあ

りません。

 しかもオポオポ人形に悪戯すると祟りがあるという噂まであります。

 だから少し怖がっている人もいるようです。

 例え苛々していても、人形の空洞の目をいざ向かい合って見てみると、人は恐怖でさっと覚めてしまう

のでしょう。空洞の目口鼻で笑っているのですから、これは相当怖い。

 でも遠目に見れば案外愛らしい格好をしております。

 とぼけた形と言っても良いかもしれません。おかしみがあって、愛着のある姿です。だからオポオポ笑

っても、今まで大事にそこに残されてきたのでしょう。

 オポオポ人形が好きだと言う人も、少なくはないのです。

 今まで何度もこの人形を取り壊そうという話が出ましたが、結局今もこうしてここにあります。

 憎めないのです。それにオポオポ笑われると、かえって楽しく思える事もあります。

 うるさければ少し離れれば良いのです。近付かなければ笑いません。

 どうして笑うのか。どういう仕掛があるのか。それも何も解りません。でも元々そういうものだと慣れ

てしまえば、何も不気味ではなくなります。おどけた格好で笑うのですから、観光客にも人気です。

 オポオポ人形はずっとこの場所を見守ってきました。お年寄りの中には守り神様だと仰る方もおります。

一体いつから居るかは知らないけれど、だからこそ誰も知らない昔から、毎日毎晩オポオポ様が見守って

下さるのだと、仰います。

 しかし突然笑い出すので、子供が泣き出しと怒る母親もおられます。でも子供が泣くのは当たり前、ま

だまだ色んな感情表現や言葉を知らないから、代りに泣くのでしょうに。だからそういうものだと教えら

れれば、いつかは慣れて、一緒に笑って遊んだりもします。

 そりゃあ見る物全て初めてなのですから、誰でも何もを見ても泣きます。泣く時はジャガイモが転がっ

ても泣きます。子供はそれで良いのです。どうしていいか解らないから泣き、そうする事で色んな事を覚

えるのですから、むしろ泣かせておけば良いのです。言ってみればそれが仕事なのでしょう。

 でもやっぱり母親は過剰に反応してしまいます。壊そうという声が出た事も、一度や二度ではありませ

ん。けれど不思議な事に泣いたはずの子供の方が止めるのです。オポオポさんを怒らないで、と。

 子供はいつも何かしら解っているようで、心配するのは親だけなんて事も、きっと良くある事なのでし

ょう。子供の好悪の情は教えられて育つ訳で、子供の頃は良いも悪いもないのです。だからオポオポ人形

も見慣れれば、逆に好きになるのでしょう。

 きっと元から嫌いな訳では無いのです。初めて見るか、見慣れるか、多分それだけの事です。

 そんな訳で、オポオポ人形は今日も変わらず笑っております。

 悲しいのか嬉しいのか、それは誰にも解りません。それでも毎日笑います。

 オポオポ、オポオポ。



 オポオポ人形は思います。

「何故自分はこうもオポオポとしているのか」

 悩みます。人は面白がるか腹を立てていれば良いのですが、人形本体としてはそうもいきません。何故、

自分とは何か、そんな事を一度でも思ってしまうと、もう逃げられないのです。

 人形とはいえ、記憶出来ないくらいずっと昔から居るのです、そりゃあ自我も生れます。

 オポオポさんが誕生した訳です。

 でもオポオポも望んで現れた訳ではありません。気が付いたら生れてしまっていたのです。だから何で

居るのと言われても、何で生れたのと言われても、オポオポには解りません。

 ただただ、オポオポ、オポオポと泣くだけです。

 そう、泣いていたのです。これは本当は笑い声では無いのです。

 どうして良いのか解らずに、何がきてもとにかくオポオポ泣いていたのです。オポオポにはそれしか出

来ないのですから。

 でもじゃあお前は悲しいのかと言われれば、それは解りません。悩んでいるのは確かですが、そもそも

悲しいだの嬉しいだのの違いも良く解りません。ただ自分の前に来る人を見て、ああ悲しいのか、これは

嬉しいのか、そういう風に少しずつ学ぶだけです。

 どうしてオポオポ言うのかと問われても、自我が生れる前からあったのですから、初めからそういう風

に出来ているのですから、どうして笑うかと言われても、オポオポに解るはずが無いのです。

 ただ泣いている事は知ってます。生まれた時からオポオポは泣き声だと、それだけは解っていたのです。

 だからそれだけで満足で、初めは疑問に思ったりしませんでした。ただ何かが近付くたびに、オポオポ

泣けば良いのだと、それだけを理解したのです。

 いや、というよりも、勝手に人形が泣くのですから、もうそれは自我とは関係ありません。自分はそう

いうものなのだと思っておりました。

 初めからそう思っていたのですから、それで悩んだりはしません。

 疑問という言葉、それ以前にそういう感情すら知りませんでした。

 それでも。

「なんだよ、オポオポって」

 だの。

「何でいつも笑うんだよ」

 なんて何度も何度も人に言われ続けていれば、自然と自分でも悩んでしまいます。

 そりゃあ気になりますよ。だって自分の事ですから。

 しかしどう考えても、やっぱり解らない。オポオポが作られた時から、自我があったとしたら良かった

のですが。自我は最近生れたばかり。

 誰かに聞こうにも、オポオポしか言えないのですから、尋ねる事も出来ません。

 オポオポは一体だけですから、誰とも通じ合えないのです。独りで悩み続けるしかありません。

「オポオポ、オポオポ」

 人が通る度にその想いを声に託したりもしますが、誰も解ってくれません。そりゃあそうです。想いは

込めただけでは伝わりません。

 例え何らかの意識をオポオポ音に感じたとしても、人間は不気味がって逃げ出すだけでしょう。

 何だか今日はちょっと気持ち悪いオポオポだぞ。もしかしたら何か妙なものが乗り移ったんじゃないか。

などと言って、人が近付かなくなるでしょう。

 こんな事を繰り返す内、いつの間にか本当に悲しくてオポオポ泣くようになってしまいました。

 勿論、その感情を理解出来た訳ではありません。でもそれは確かに人の言う、悲しいという感情なので

した。

 色んな人や動物が目の前をよぎっていきますけれども、話しかけてもくれますけども、オポオポからは

何も伝えられないのです。

 人からは、また今日もオポオポオポオポ笑っている、なんて思われるだけ。これは流石にオポオポとし

ても辛いです。悲しいです。悩む事を知ってしまった為の不幸なのです。

 悩んでも悲しんでも、やっぱりどうしようもない。オポオポは空洞の目口鼻で、じっと動かずその場に

立ち、オポオポ泣き続けるしかない。悲しんでる暇も無いくらい、それが当たり前の事なのですから。

 オポオポは今日もずっと泣いております。明日もきっと泣くでしょう。

 いつか、それに慣れる日まで。




                                                          了




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