一日は火のように回る


 日月の歩みは早い。時間というものの流れは無慈悲と思われるくらい早く、いとおしい。

 あまりにも早いが為に、愛し、惜しみ、二つの意味でいとおしい。

 あっという間に過ぎ去って行く時間を思えば、その中で限りある時間を無意味に費やしている事に後悔

を抱く事が多々ある。振り返って余りの早さに気付き、悔いが浮かぶ。違う未来もあったのではと想像す

る。あの時こうしていれば、こうなっていれば。

 どうしようもないが、どうしようもないが為にそういう気持ちが浮かんでくる。

 そうなるとこの時間というものに対して、少し怒りも湧いてくる。どうしてこうもあっという間に過ぎ

るのだ。しかも楽しい時間程短く感じ、辛い時間程長く感じるとは何事だろう。これを逆にする事こそ当

然あるべき配慮、あるべき姿であると思える。

 だがどう思おうとも現実は変わらない。

 悔いている時間もまた無意味で、とても勿体無い時間の費やし方である。それならばここはその怒りを

紛らわす為、現実的、建設的な方法を考えるべきだろう。

 これこそ充実した時間の使い方というものである。

 まずはどの時間を対象とするかを考えてみよう。一分、一時間、一日、一月、一年、時間の単位という

ものは多くある。秒を割愛したのは、秒という時間があまりにも短すぎるからだ。同様の理由で分もまた

避けよう。そして一年は逆の理由、長すぎる為に避ける。

 人というのは長いのも短いのも同様に持て余すものだからだ。

 さて、残ったのは一日と一月、まあ無難な所といえるが、一月もまた長い。ここは一日の方を選ぶとし

よう。

 そういえば一週という単位もあった。だがこれもまた長い。やはり一日が一番具合が良いように思う。

人にとって一番身近に感じられる時間の単位といえば、一日、これだろう。

 この一日という奴がとにかく早い。明日の今の時間になる事もあっという間である。驚くべき早さ、気

付けば過ぎ去っていた時間の第一位にあると思われる。

 何でも過ぎた時間はあっという間であるが、一日以上にそれを感じられる事はない。確かに一時間もま

たなかなかに過ぎ去り応えのある時間であるが、しかし一日には及ばない。

 一日、この単位は人にとって大きな意味を持つ。大きく作用する。そういう時間である。

 だからいとおしくもあるが、憎らしい。

 一日のままでは憎らしくて堪らないので、ここはいとおしさだけを強調できるよう、憎らしさを減じら

れるよう、何か愛嬌のある姿に変えてしまおう。

 姿を変えるといえば擬人化がある。人でない存在を人に近くする事で、何となく親密になったような快

さを覚えるものだ。

 変える姿は鬼や少女、少年といったものが一般的だろうか。動物であれば立たせるだけでそれとなく良

い具合になるが、一日では無理な話。一日を立たせるというのもおかしな話である。だから何かに変えな

ければならないだろう。

 しかし考えてみると、人そのものに例えると生々しくなってしまう。いくら愛らしい姿に変えたとして

も、その生々しさから憎らしさもより強まると考えられる。

 人に近い姿にし過ぎるというのも、それに対する愛着や感情を強める上でとても効果的だが、その効果

が全ての感情にまで及んでしまう。いとおしさと憎らしさがある以上、これはいけない。

 ではいっそ動物ではどうだろう。そのまま動物を持ってくるのではなく、ある程度人化させた動物を一

日の変わりにする。

 時間の早さは自分から逃げていくように感じるものであるから、脱兎の如くという言葉をもじって兎が

良いかもしれない。愛らしい白兎何かなら、憎らしさも減るだろう。

 だがどうもしっくりこない。動物とは違う。我々はそこに何かもっと違う何かを求めている。

 となれば鬼、つまりは想像上の存在。良いかもしれない。鬼そのものでもしっくりはこないが、そうい

う曖昧というのか、もう全てをここで想像して生み出してしまう、つまりは新しい存在を創造してしまう

事で、元々一日という形に出来ないものを表す事が出来るようになるのかもしれない。

 やってみよう。

 まずは一日という漢字をそのまま置いてみる。一日はやっぱりこの一日という文字で表すのが一番しっ

くりくる。漢字というのも我々にはとても身近なものだから、擬人化と同様の効果を得られる筈だ。

 時間は早く過ぎ去るのだから、当然足が必要だろう。足を四本くらいにゅっと生やしてみようか。この

足は足という漢字ではなく、普通に足である。好きな足をにゅうっと生やしてやればいい。

 そしてこの足が素早く動いて過ぎ去っていく訳だから、物凄い早さで回転しているのだろう。足が高速

で回転している所を想像してみよう。うむ、良い具合だ。だがこれだけでは物足りない。何かもっと印象

的なものが必要だ。

 そう、勢い、勢いが要る。では勢いと言えば火である。昔から勢いといえばこれだ。この火を足の回転

にくっ付けてみよう。あまりの回転によって火が出ている。そんな姿がいい。

 これで随分形が出来てきた。でもまだ物足りない。もう少し加えてみよう。

 足があるのなら、手があってもいいだろう。ただこいつは足が速い。つまりは足が重要なので、それよ

りは重要度が劣るように、手は二本としようか。一本でないのは、何となく偶数の方がしっくりくるから

だ。二本の方が絵としても見栄えがする。

 手があるとなると、足には火がくっ付いているのだから、手にも何か持たせないと具合が悪い。

 何にしようか。足が速いといえば飛脚を思い出す。妖怪のような具合も出したいから、昔の物を持って

きてみよう。飛脚が持っている手紙を入れるあの入れ物、棒の先に箱のくっ付いたあの棒が丁度良い。あ

れを持たせよう。

 おお、なかなか良いじゃないか。ぐっとそれらしくなってきた。

 こうなると一日の漢字が横置きでは具合が悪いか。ここは漢字を縦置きにしてみよう。一が上で日が下。

そうだ、そういう感じ。これで一が頭、日が体という風に、姿も一層らしくなってきた。

 そして最後にごうっと走っている感じを出す為に、風をまとわせてみよう。風に乗って火が出る程に足

を回転させ、物凄い勢いで飛び去る一日文字。これだ、これで完成。立派なものだ。

 これが一日である。こういう奴が毎日毎日呆れるほどの速さで休みなく飛び回っているのだ。そしてそ

の中を我々が右往左往しながら無駄に時を費やしている。

 何と馬鹿馬鹿しくも愛嬌のある事だろう。

 こんな奴が相手では腹を立てる気にもなれない。後悔してやるのも阿呆らしい。

 こう考えて行くと、時間の流れと言う奴も、なかなかどうして味わいがある。

 暇な人は更に一秒から一年までの時間をそれぞれ擬人化してみればいい。こんな時間があるだけ幸せと

いう事に気付く筈だ。

 何をどう生きようと、過ぎれば悔いが残らない訳がないのだから、たまにはこういう事を考え、記憶の

中に一つのおかしみを作っておくのも良い人生ではないかと思う。

 暇つぶしにもなり、思い出し笑いも出来る。何と無駄の無い過ごし方だろう。

 この時間がたまらなくいとをしい。




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