心をむいて


 丸い玉がころころと、歪な丸い玉がごろごろと、軟く丸い玉がほろほろと、無数の玉達が無数の場所で

転がっています。

 何処から何処まで、何時から何時まで、そんな事は皆お構いなしに色んな丸玉が転がって行きます。

 多分丸いから転がっているのだろうと思われていますが、でも誰も本当はどうなのかを知りません。多

分転がる為に生まれてきたんだとその形から判断して、転がるままに転がっているのです。

 時に優しく、時に強く、時にちょっぴり悪戯に。

 そんな中に一際堅い玉がありました。確かに丸いのですが、確かに堅い。どれだけ転がっても擦り切れ

ず、どれだけ転がっても柔らかくならない。いつまでも堅く、そして強く転がります。

 それはとても怖くて、でもどの玉よりも転がっていけるような気がしていました。

 その玉には他の目的も疑問も要らなかったのです。ただいつまでも誰よりも転がっていられれば、それ

で良かったのです。だから誰よりも堅く、そしていつまでも堅いのでしょう。

 でもそんな玉もいつしか疲れてきました。

 初めは良かったのです。何も考えずに、誰も考えずに、ただそこにある物を見て、そこにある道を知っ

て、そしてただ転がる。

 何も思いません。疑問も理由も要りません。そこを転がっていくだけで良かった。

 それだけで満足出来ていたのです。

 他に何も要らない。それがお決まりの心でした。

 でも堅いと痛いのです。転がられる方も痛いですけど、転がる方もやっぱり痛い。その玉がその上を転

がる度に、その場所とその玉自身が同じだけ傷付きます。

 そして軽かったり、妙な感じだったり、柔らかかったり、色々な心を落としていきます。

 堅い丸は痛いだけです。誰も、何処も、いつまでも、痛いのです。

 堅い玉には沢山の傷が出来てヒビ割れてしまい、そのヒビは体の深い所まで付いていました。体の奥の

奥までヒビ割れているのです。

 堅いから、何に対しても堅いから、いつもぶつかって、そうして傷付いて、傷も癒える事がありません。

 いつまでも誰よりも転がれる代わりに、堅く強いだけの丸い玉は、誰よりも傷付きやすく壊れやすかっ

たのでした。

 このままでは近い内に割れてしまうでしょう。そうなったらもう二度と転がれません。転がるだけが玉

なのに、転がれなくなったらどうなるのでしょうか。

 堅い玉は怖くなりました。とても怖くなりました。ここで立ち止まったらどうなるのか。そして割れて

しまったらどうなるのか。多分もう二度と転がれない。それがどういう事なのか考えるととってもとって

も怖くなりました。

 考えてもそんな事は解りません。それはきっと転がらなくなった時に解る事です。でも一度止まると、

もう転がれない気がします。例え割れてなくても、一度止まってしまったら、もう一度転がり出せるので

しょうか。転がり方も知らないくせに。

 もしかしたら何事もないかもしれない。止まってもそれだけで、また何も無かったように転がり出すの

かもしれない。でも転がれないかもしれない。

 どちらでもあるような気がしました。その時々で玉の出した答えが変わります。確かめられない答えは、

そういう風にいつまでもずっと悩むしかないのです。その時まで、きっとその最後の時まで。

 だから無理して転がりました。でもどんどんヒビ割れてきます。ヒビが広がります。もう全身がヒビ割

れて、転がる度にきしきしきしむのです。

 誰か助けて欲しい。不意にそんな気持ちが湧いてきました。でも誰も居ません。堅くて強い玉の周りに

は、何処にも誰にも居ないのです。今まで誰とも繋がらなかった。関わろうとしなかった。だから玉には

助けてくれる誰かは居ないのでした。

 何処にも、誰にも。決して居ないのです。

 玉はいつしか泣いてしまいました。気付かないまま、何も言わないまま泣いていました。自然に涙が流

れていたのです。

 でもその涙に誰も気付きません。誰も玉を見ていないからです。皆必死で転がっていきます。何処にも

誰にも見てくれる玉は居ないのでした。

 それはまるで鏡のようでした。自分が見なければ、誰も自分を見てくれない。自分がそれを見る事で、

初めてそこに誰かを見るのです。

 でもそれもまた解らない、怖い事でした。

 本当に誰かを見れば、誰かが自分を見てくれるのでしょうか。無視されるだけなんじゃないでしょうか。

そういう怖さがあります。これもやってみるまで解らないからです。解らない事は全部怖いのです。

 でも割れてしまう。もう割れてしまう。このままではもうすぐ割れてしまいます。

 どうにかしなければいけない。どうにかしたい。でも何も出来ない。何も解らない。

 玉は限界でした。もう少しも転がれません。あと少しで割れてしまいます。でも止まったらどうなるの

でしょう。このまま割れるのと止まるのと、果たしてどちらがどれだけ良いのでしょうか。それともどち

らも同じなんでしょうか。解りません。解りません。

 涙なんか何の役にも立たないのです。流れるだけで何も解りません。

 堅い玉はヒビの全てから涙を流していましたが、それは無力な涙でした。でも流すしかなかったのです。

痛くて怖くてどうしようもなかったのです。

 その時はもうすぐそこです。止まりたい。止まれない。怖い。痛い。割れてしまう!

 止まりたくない!

 でも玉は呆気なく割れてしまいました。堅い殻の全てが剥がれて、つるりとむけたのです。

 そして止まってしまいました。

 一体玉はどうなってしまったのでしょう。

 暫く怖くて自分を見る事が出来ませんでした。でも勇気を出して目を開けてみます。光が目を開けろと

まぶしく誘いました。

 おそるおそる自分を見てみますと、小さなそして軽くて軟らかそうな玉になっていました。何処にも傷

はありません。痛みもなくなっています。

 側には堅くて痛そうな殻がありました。無数にヒビ割れていて、怖くて近付けない殻が。

 新しい玉はゆっくりと辺りを見回しました。

 すると少しずつ自分がどうしてきたのか、何処を転がってきたのか、今何処に居るのかが解ってきたの

です。止まって見て、初めてそれが解ったのでした。

 そこは優しさに満ちていて、今まで何を拒んできたのか、玉自身にも理解出来ません。もっと早く止ま

れば良かった。そんな風に思います。

 そしてこうも思ったのです。ようやく一人前の玉になったんだと。

 今までの堅い殻に覆われていた自分は違ったのです。一人前ではありませんでした。多分本当は誰かが

とうに割ってくれていた筈の殻。でもそれを割ってくれる人が誰も居なかった。だから痛い思いをして傷

付いて、傷付けて、そうしてその殻がヒビ割れるのを待つしかなかったのです。

 でもそれは本当はもっと前に、もっと初めにむけている筈の殻でした。

 皆むけていたのに、自分だけがむけてなかったのです。

 自分だけが特別だったのではなくて、一番固くて強かったのではなくて、一人前になれる前の堅くて怖

い玉のままだっただけなのです。初めはみんなそうであるように。

 試しに転がってみると、ころころと優しい音を奏でて好きな方へと転がれました。進むばかりではあり

ません。後ろに戻ったり、横に行ってみたり、どこにでも転がれます。必死に転がる必要はなかったので

す。疲れても泣きながら転がる事はなかったのです。初めからこうしていれば良かった。

 玉は安心してゆっくり休みました。

 休んでいると一つ気付いた事があります。転がる玉の中に、堅い殻がむけてないままの玉が増えてきて

いるのです。むけていると思えても、実はまだずっと薄いけれどずっと堅い殻に包まれている玉も沢山転

がっています。

 玉は考えました。そして自分をもう一度見てみました。

 自分にもまだ堅い殻が残っていました。そうです。まだ一つが、たった一つがむけただけだったのです。

 これからが本当なんだ。

 玉はもう一度転がり始めました。相変わらず何処へ行くかは解りません。でも今は転がりたい方向が解

っています。誰と違っても、何処でなくても、行きたい場所がそこにある事を。そして多分、いつか辿り

着ける。いつか辿り着ける事を。

 玉は転がり続けます。今度はきっと少しだけ嬉しく楽しい旅になるでしょう。

 玉にはそれが解っていました。

 もしかしたら、間違っているかも、しれませんけどね。




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