両足の影


 隣村のどんべさんは生まれた時から足が黒く、日向でもまるで影のよう、影の足でえっちらおっちら歩

きます。

 とても重くてしんどいですが、頑張れば何とか歩けます。

 だけどいつも遅くて、いつも一緒に行けなくて、どんべさんはいつも一人。結局最後はいつも一人。誰

も一緒には行けません。

 黒い足も少し不気味で、影に入ると何だか両足を喰われているようにも見えてしまいます。

 村の人は悪いと思いながらも怖くなって、よけいに一緒に行きたがりません。

 嫌われてはいませんでしたが。皆かわいそうだなあと思っていたのです。

 何もできませんが、そうは思っていたのです。

 かわいそうだけど何もできないから、近寄れないのです。

 でもそれは、一生懸命皆に追い付こうと歩き続けるどんべさんと、丁度同じく優しい考えでした。

 どんべさんも解っています。

 どちらもちゃんと解っています。

 だけどどうにもなりません。

 どんべさんはせめて怖がられないようにと、太陽がまぶしく照らす、明るい日向を歩きました。

 でもこんな風にも思います。

 このまま影に喰われてしまったら、とっても悲しいだろうけど。でもそれはそれで良いかもしれないな。

 いっそ居なくなってしまいたいな。

 そうして人がそばに居ない時、たまに影に入る事もあるのですが、そう見えるだけで実際に影に喰われ

る筈がありません。

 そしてそれを知っているから入るのでしょう。本当に食べられたくはないのです。ただちょっとそんな

事を思ったりするのです。

 どんべさんは一生懸命働きましたが、はっきりいって足手まとい。誰よりも頑張っているのは解るので

すけど、どうしても邪魔になるのです。

 どんべさんの一生懸命は、人の普通の半分にもいかないのです。

 始めは、それでも頑張っていれば、と思っていたのですが、だんだんその事に耐えられなくなって、追

い付こう、一緒にやろうと思う事を止めてしまいました。

 皆と同じ、皆に追い付くのではなくて、自分は自分の足で、この黒い足でできるだけの事を、行けるだ

けの場所でやっていこうと。

 どんべさんはいつ頃からか、家のすぐ近くにしか居ないようになりました。

 余計な事をすると心配をかけてしまうからです。

 村人は皆それを気の毒に思いましたが、正直ほっとしてもおりました。

 黒い足を見なくて済むし、家でじっとしていてくれた方が安心だったのです。

 村人達は心配しておりました。あんな足で歩いていたら、今に転んで大変な事になってしまうと。

 始めは何でも頑張ればいいと思って応援していたのですが、結局じっとしている方が安全で安心な事に、

皆気付いてしまったのです。

 お荷物とは思いませんでしたが、実際はそうだったのです。

 でもそれに気付いて、無理をしなくなったからこそ、どんべさんも村人もいつも平和に暮らせるように

なったのでしょう。

 それはごまかしかもしれません。何か言い訳めいているのかもしれません。でもきっと一つの答えでは

ありました。

 いつか変わると良いなと思いながら、今はただ休んでいなさい、と誰かが言ってくれたように思えたの

です。

 どんべさんもその言葉を受け容れておりました。自分が頑張る事、頑張れる場所は、他の人とは違う。

 どうしようもない。

 でもそれは決して悪い事ではないのです。むしろ当たり前の、誰でも同じその事でした。

 一人でずっと居ても暇なので、どんべさんは手仕事を始めました。

 昔から手先が器用でしたので、教えてもらえれば何でも出来ます。編んだり、縫ったり、作ったり、教

えてもらえばもらうだけ、どんべさんは上達していくのです。

 そしていつでもなんでも頼めば何とかしてくれるような、そんな人になっていきました。

 一番動けない人が、一番頼れる人になれたのです。

 これは不思議な事でしたが、いつもそこに居るという事だけでも、不思議と安心するものなのかもしれ

ません。

 皆はその事にも慣れて行き、当たり前のようになってきました。

 何かあれば頼みますが、普段は忘れていて、それぞれにそれぞれの時間を過ごしている。

 そんな当たり前の時間が流れていったのです。

 それは素晴らしい事だったのですが、ある日、ふとどんべさんは今の生活に飽きてしまいました。

 他の人は良いでしょう。たまに見れば優しくもして、それだけで満足できます。たまに見るなら、この

黒い足も良いものでした。

 でもどんべさんは毎日です。一分一秒離れられません。いつもすぐ側にいて、ずっと黒い足に笑われて

いるような気がしてきます。

 勿論そんな事はないのですが、どんべさんとしてはそう思えてくるのです。

 満たされない思いが黒い足に乗り移ったかのように、何だかずっと嫌な奴になってきたような気がして

きました。

 でもどんべさんも良い大人です。そんな事は誰にでもあって、黒だの何だの関係ない事を充分知ってお

りました。

 どんべさんにとっては解りやすい黒い足でしたが、他の人にとっても同じような厄介者は居るものです。

むしろはっきりしているだけ、どんべさんはましだと思いました。

 でもやっぱり苦悩は同じ、今を変えたい、抜け出したい。そう思うのはどんべさんも一緒です。

 こういう時いつも行動したいのがどんべさんなのです。

 でも足は言う事をききません。

 無理に出て行っても、皆を心配させるだけ。

 いっそ誰も居なくなればと思いましたが、そんな事は嘘の気持ち、村人皆に感謝してましたし、本当に

誰もいなくなったら、寂しくて仕方ないに決まっているのです。

 だからどんべさんはどうにもできずにもやもやしてきて、ずっと悩んでいたのですが、とにかく何かし

ようと思って、散歩に出てみました。

 ちょっとでも動いていれば、きっと何とかなるだろうと、そう思ったのです。

 でもどんべさんは勘違いしていました。

 外に出るとか出ないとかはどうでも良かったのです。この足が、黒い足がいう事をきかないのが不満な

のですから、外に居ても、家に居ても、腹が立つのは同じでした。

 どんべさんはいつもそれを目の前に突き付けられている気がして、どんどん気が滅入ってきます。

 だからもう散歩するのも止めてしまいましたが、どうにももやもやが止まりません。

 何とかしたかったのですが、どんべさんはこれを解決する唯一の方法は、もう諦めてしまう事だと悟り

ました。

 将来は知りません。でも今は諦める。下手に希望なんか持っているから、きっと駄目なんだろうと。

 でも希望を捨てれば捨てたで、毎日面白くありません。

 何をやっても始めは良いのですが、すぐに退屈になって、もやもやしてきます。

 先が見えないし、希望もないので、身が入らないのです。

 どんべさんは気付きました。何をやっても、何がどうであっても、きっと同じなんだという事に。

 例えこの足が黒くなくても、きっとどんべさんは別の事で同じように悩み、苦しみ、生きていたのでし

ょう。

 何も変わりません。他の人の方が楽だとも思いません。誰も皆、同じだけ、自分の中で同じだけ、それ

が誰にどう見えたとしても、きっと必ず苦しいのです。

 そしてだからこそその苦しみを乗り越えようとし、考えようとし、人は生きる事を学ぶのでしょう。

 どんべさんは生きる為に生まれてきたのではありませんでした。

 生きる事を学ぶ為に生まれてきたのです。

 おしまい。




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