侵略


 赤軍が攻めてきた。

 のんびりしていた五平もさすがに慌てて起き上がったが、すでに大部分が侵略され、逃げ場はなくなっていた。

 長い長い戦いが始まる。こうなれば心を落ち着け、開き直って休み、体力を温存しておく方が良いのかもしれ

ない。

 そうして援軍を待ち、さっさと逃げるのだ。

「まったく面倒な事になったもんだ。赤軍も素直に消滅してくれればいいのによう」

 いずれは味方が勝つ事は決まっている。変わるのはいつも過程だけだ。

 そんな戦いの犠牲になるのは御免である。

 そこへ昔から知っている茂吉がえっこらえっこらやってきた。

「五平どん、五平どんじゃないかい。あんた一体こんなとこで何やってなさる。さあさ戦でござる。戦でござるぞ」

「茂吉どんは相変わらずじゃのう」

 五平は茂吉を嫌いではなかったが、彼はこんな性分であるから少々うっとうしくなる時があった。正直を言え

ばあまり好きではない。しかし彼の方は好いているのか、何をするにしても五平を連れ出そうとする。

 頼られていると思えば悪い気はしないが、都合よく使われていると考えれば腹が立ってくる。

「まあまあ茂吉どんも休んでおけ。どうせまだしばらくは襲ってこんじゃろう」

 しかし茂吉は聞き入れない。

「そんな事言ったとて、すでに我々は囲まれておるのだ。はようせぬと包囲殲滅されてしまうでござる。さあさ、

戦じゃ、戦じゃ」

 手にした武器のようなものを意気揚々と振り上げ、振り下ろし、茂吉はますますいきり立つ。

 何を言っても焚き付けるだけと悟った五平は仕方なく立ち上がった。

「解った、解ったから、それ以上そんなものを振り回すのは止めや。危なくてかなわん」

「そうは言ってもこの猛る気持ちを抑えてはおけんのじゃ。さあ、戦でござる。戦でござるぞ」

 五平は必死に茂吉をなだめようとしたが、全く聞き入れない。押しても引いても変わらない。人の話なんて初

めから聞く気がないのだろう。

「やれやれ、仕方ないのう。じゃあ、偵察だけじゃ。決して手は出すまいよ」

「軟弱な事だが、多勢に無勢では仕方ない。承った」

 多勢なのは知っていたのかと呆れつつ、五平はこの場から逃げる事だけを考えていた。偵察を申し出たのも赤

軍の手薄な所を探そうと考えたからで、やる気が起きた訳でも覚悟を決めた訳でもなかった。

 もし茂吉がいきり立って赤軍に戦いを挑んだとしても、無視して逃げるつもりだった。茂吉など厄介者に過ぎ

ない。ここで一生の別れができれば、それはそれで好都合というものだった。

「じゃあ行くぞい、茂吉どん」

「いんや、わしが先陣をきるわい」

 二人っきりで先陣もあるかと思ったが、先に行かせた方が囮にしやすい。五平は何も言わず茂吉の後に付いた。

 この場所もここ数日ですっかり荒廃した。以前は牧歌的な農村風景で、退屈ではあったけども恐怖など感じる

事のない場所だった。居ても野犬で、その野犬も出会うのは稀。会っても向こうから逃げていく方が多いという

代物だ。

 それが今茂吉なんぞと一緒に命を賭けている。五平は心底うんざりした。早くいつもの生活に戻りたいものだ。

 しかしそんな事を考えている暇もなさそうだ。

「ご、五平どん」

 茂吉が無防備に指差す方を見ると、赤いのがうじゃうじゃと居る。多分巣にしているのだろう。

 やつらはとにかく赤い。そして数も多い。赤集団は珍しいからすぐに解る。余り強くはないが、数が多いとい

うだけでも厄介だ。

 これだけの数相手に刀や槍をいくら振り回したとして同じ事。

 赤軍の繁殖能力はとんでもなく。一体やっている内に二体に増えているという有様で、個人の武勇など役に立

たない。

「しッ、伏せろ」

 五平は茂吉を地面に引き倒し、そのまま草むらに息を潜めた。

 やつらは規律を持って行動し、何が起こっても予定を変えようとはしないが、襲ってこない保証はどこにもな

い。まだ距離があるとはいえ、その前にぼうっと立って指差しているなんて殺してくれと言っているようなもの

である。

 茂吉がどうなろうと知らないが、巻き添えになるのは御免だ。

「ご、五平どん。・・・・・五平どん」

 さっきまでの勇ましさはどこへやら、茂吉はぶるぶる震えて五平の名を呼ぶばかり。

 こいつはこういう奴だから困る。弱いくせに粋がって周りの者に迷惑をかける。反省もしなければ、後悔もし

ない。他人の力と善意を自分の運の良さ、実力と勘違いしているのだ。

 五平もできれば関わりたくはないのだが、今は一人でも味方が欲しい。それにこいつならいざという時に見捨

てても心は痛まない。

「・・・・・・・・・・」

 茂吉を無視して敵軍を眺める。

 こちらに気付いた様子はなさそうだ。

 特に変わった動きは見えない。

 しかし少し騒がしいようにも感じる。近い内に大きな動きがあるかもしれない。

 味方がどれくらい生き残っているかは解らないが、多分もう一度大きな攻撃を受ければ終わりだろう。五平達

は全滅し、全ては赤に染められる。

 何とかして勝ちたいものだが、その方法は見付からない。

 生き延びる道は無い。

「ちきしょう」

 五平には特に大きな目的がある訳でも、夢や使命、生きる何かがある訳でもなく、漠然と生きている。五平と

いう生命が居ても居なくても、きっとあまり変わらない。

 でもだからといってこんな所で死ぬのはごめんだった。茂吉のように望んできたのならともかく、五平は巻き

込まれるようにして連れて来られた。仲間の為に殉じるなんて御免だ。死にたくない。

 どうしたらいいのだろう。どうしたら自分だけは生きられる。

「・・・・・そうだ、もしかしたら」

 五平の目に震えているだけの茂吉の姿が映る。

 こいつは口だけの男だが、少なくとも自ら望んでここにきた。赤軍を滅ぼせるなら死をも厭(いと)わない。

そう言って生きてきた。

 そんな男ならばここでその意に殉じたとして、不満はないのではないか。

 むしろそうしないのがおかしいのではないのか。

 茂吉は今まで多くの者を犠牲にしてきた。今ここで一人の命を救う為に犠牲になったとしても、決して罰は当

たらない。そうだ、そうに決まっている。

「茂吉どん、茂吉どん」

「へっ」

 茂吉は何度話しかけても全く気付く様子はなかったが、肩をつかんで揺さぶるとやっとこちらに気が付いた。

「な、なんだい、五平どん。わ、わしの槍さばきをみたいのかえ。し、しかし残念ながら今は偵察任務であって、

個人の戦闘は禁じられておる。いやあ、残念至極。もし許されていたら、赤の千や二千などわし一人で容易く討

ち取ってくれるのに」

 気持ちの悪い笑みを浮かべ、ここに到っても馬鹿な事を言っている。

 五平は哀れみの気持ちすら消えていくのを感じた。

「茂吉どん。赤にはまだ気付かれていないようだが、あれだけの数じゃ、二人で逃げようとしても見付かってし

まうじゃろう。ここは一つ二手に分かれ、別に逃げよう。そうすればきっと逃げられる」

「う、うむ。そ、そうしよう」

「となればまずは赤にもっと近付かなければならんな」

「ち、近付く、じゃと」

「そうよ、茂吉どん。突然自分から離れていく者が、それも二手も見えればやつらも怪しむじゃろう。ここはゆ

っくりやつらに近付きながら左右へ離れていくとしよう。そうすればやつらも怪しむまいよ」

「お、おう。なるほどのう。さすがは五平どんじゃ」

 茂吉はもう冷静に考えている余裕がないようで、五平の言葉を疑いもしない。ちょっと考えればとんでもない

事を言っているのが解るのに、全くもって阿呆な奴だ。

「ではわしが先頭を行く。茂吉どんは後ろから付いてきてくれ。そうしてほどよき所で別れよう」

「う、うむ。ま、任せた」

 こうして二人はゆっくりと赤軍に近付き始めた。

 近付くにつれて赤の威容がはっきりと目に映ってくる。

 多い。どこまでも続くかのような赤。それら全てが蠢(うごめ)いている姿は何ともいえない気持ち悪さがある。

 こうして見る限り、奴らが滅びる事など夢のように思える。

 しかし不思議な事に赤の勝利は常に一時的で結局は我々が勝利する。ただ犠牲は多く、いつも誰かが本体が到

着するまでの時間を、命がけで稼がなければならない。

 それは多分崇高な使命というやつなのだろうが、五平にとってはとんだ貧乏くじである。

「さあて、この辺で良かろう。茂吉どん、いち、に、さんで行くぞ。わしは向こう、おんしはあっちじゃ。後は

全力で走るだけじゃ。お互い無事で落ち合おう」

「お、おうよ」

「いち、に、さん。ほら行け」

 五平の叫びと共に立ち上がって一目散にかけていく茂吉。それはちょうど赤軍の視界を横切る方角で、奴らも

そこまで挑発されれば黙っていないはずだった。

 程無く茂吉はつかまるだろう。でもその間、赤軍の注意はそちらへ向く。

「さあ、走れ。もっと、走れ」

 五平はその場にうつ伏せになったまま、赤軍が動くのを待った。

 派手に動くのは茂吉だけだ。自分はそれを待てばいい。

 しかし赤軍は動かない。

 いくら待っても動く気配すら見えてこなかった。

 計算を間違えたのか、あれでは挑発にもならなかったのか。

 と、そう思ったその時。

「ぎゃああああああああああああっ!! た、たすけ、たすけてくれぇ! た、たすけ・・・・て。ご・・・へ・・・」

 茂吉の断末魔の叫び声。

 しかし目の前の赤軍は動いていない。一体どういう事なのだろう。

 ぶるぶる震える身体を抑え、そうっと頭を持ち上げて周囲を見回す。

「なッ・・・・・・・」

 呆然とした。

 視界一面真っ赤に染まり、いつの間にか五平達は完全に囲まれていた。どこを見ても、赤、赤、赤、みっしり

と赤で埋まっている。

 そして少し離れた場所で茂吉だったものが赤く塗り上げられていく姿が見えた。ごく近い将来、自分もまたそ

うなるのだろう。

 嫌だ、嫌だと思う暇も無い。一瞬で全てを諦めさせられた。

「すでに、包囲されていたんか・・・・」

 正面の赤軍が動かなかったのは、その必要がなかったからだった。奴らの任務はあの場所を占拠するだけで完

了していたのだ。

「あ・・・・あああ・・・・・」

 五平はゆっくりと頭を下ろし、今見た光景が全て夢である事を祈った。

 しかしそんな事は無意味である事も解っていた。

 せめてもう少し決断が早ければ助かったのかもしれない。全てを甘く見すぎていた。全ての計算を赤軍は上回

ったのだ。

 おそらく最近の暑さで宿主の抵抗力が落ち、逆に赤軍、つまり病原菌にとっては最適な気候になっていたから

だろう。

 じめじめと暑い今の気候は赤軍の成長を促進する。五平の読みなどその程度ですぐに綻ぶ。それを過信したの

が敗因だ。

 赤軍は増え続け、全てをみっしりと埋めるだろう。

 五平は食われ、その為の糧となる。

 赤軍がいずれ滅ぶとしても、それは自分が死んだ後の話、何の慰みにもならない。

 こうして病原菌に蹂躙された細胞は、耐えられない痒みという断末魔の悲鳴を残し、今日も死んでいく。

 それは必要な犠牲であり、治療の為には避けて通れない道。

 我々は感謝しなければならない。そして悔いなければならない、犠牲の上の生である事を。

 そして終わらない生は続いていく。

 そんなお話。




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