青い空の男


 のどかな街並み。海と向かい合うようにして成り立つこの町は、そこそこ人が多く、さりとてごみごみ

とする程の人口ではない。明るい空の下、雨天の少なく変化の少ない気候、まったくもって良い町だ。

 新鮮な野菜と果物を売りながら海を眺め、日がな一日のんびり暮す。最高の贅沢だと思わないか。

 夏場ともなれば呆れる程の人が集まるが、こう秋にかけてちょっと冷え込む季節には、程好い寂寥感と、

落ち着き払った海が味わえる。

 それもこれも毎日海岸を皆で清掃しているからだ。俺達はとても気分の良い事をしている。

 そんな所へ一人の男が現れた。

 予告していたわけでも、運命的な何かでもない、ただの旅行客、秋には珍しい旅行客の一人だった。

 東洋人だろうか、黒髪に黒い瞳、俺らからみればとても珍しく神秘的に見える。最も、最近じゃあ東洋

人なんて何処ででもみかけるようになったんだが。

 俺は暇なのも手伝って、何となくその男を眺めていた。

 美人の女ならともかく、男では大した興味も無かったが、物珍しさがあった事は確かだ。ぼんやりと絵

でも見ている気分といえば良いのか。

 メロンを買ったようだ。メロン売りがその場で真っ二つに割って、半分を男へと手渡す。半売りってい

うらしいが、メロンなんて一個も半個もそう変わるもんじゃねえ。でも何故か半個売りなんだ。

 男も半分切ったメロン渡されて困っている。どう食べて良いのか悩んでいる風だった。そりゃあ断面が

平たいんだから、食い難いに決まってる。どうせなら四半個売りにすりゃあ良いのにと思うんだが、この

街ではいつも半個売り。どこでもここでも半個売り。

 俺の店でもそうなんだから、人の事は言えやしねえ。でもいつか言いたいと思っている。まあ、それが

今でないというだけの話だ。

 男は困った挙句、自力で半分に割るという力技に出たらしい。まったくなかなか面白い事をする奴だ。

 悪戦苦闘した挙句、不恰好にメロンは割れた。男は気持ちの良い笑顔を浮かべた。

 とても良い笑顔をする男だった。これは相当なメロン好きに違いない。

 しかし男は食べない。別の一点を見て、顔を強張らせる。

 地雷でも見つけた訳じゃああるまいし、一体何を見ているのだろう。

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

 異様な雰囲気に根負けし、しぶしぶ目線を下げてみると、男の前で、学校帰りだろう、ちっこい集団が

そのメロンをじっと見てやがった。子供っていうのは餓鬼っていうくらいだから、本当にとんでもなく良

く食べる。餓鬼に見付かったらもうお仕舞い。運が悪かった、御愁傷様って奴さ。

「・・・・食べるか」

「うん、食べるッ」

 遠慮なんかしねえ、それが餓鬼ってもんだ。それでもキラキラした目しながら頬張る子供を見てると、

そりゃあいい事した気になるもんさ。しかしそれだけでは終わらねえ、ほんとに怖いのはここから、子供

ってのは怖ろしい。

「あ、メロンだ」

「こいつメロン食ってるぞ」

「ずるいずるいずるい」

「私も私も」

「よこせったら」

「あのおじちゃんにもらいなよ」

「何だって、どのおっさんだよ」

「あれ」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そう集団なんだ。餓鬼共なんだ。集団も共っていう言葉も、一人相手には使わない。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

「すいません、この子等にメロンを・・・」

 視線の魔力、初めから勝てる筈もない。お気の毒さま、ごきげんようってなもんだ。

「毎度ありー」

 メロン屋の嬉しそうな事。うちにも売ってるぜ、忌々しい。

 男にとっては散財だろうな。この街のメロンは安いしどこでも買えるが、かといって貧乏人が毎日腹い

っぱい食うもんじゃない。金持ってんのか知らねえが、あの男も迷惑なこったろう。

「お兄ちゃんありがとー」

「うまい、うまいぜ、これ」

「ありがとな、おっさん」

 餓鬼共はもう男には目もくれやしない。餓鬼たる所以だ。まあ、餓鬼の特権とでもしとこうか。

 案の定男はがっくりと肩を・・・・と思いきや、例のとびっきりの笑顔のままだった。餓鬼が美味そう

に食べてるからって、自分もそれで食べた気になってるんじゃねえだろうな。

 まったく妙な奴だよ。

 男は何も言わずそのまま通り過ぎて行く。何がそんなに嬉しいのかは知らないが、何だか俺も知らない

間に笑ってた。

 餓鬼んちょ共は、暫くメロンと格闘して、なかなか見事な食いっぷりだったな。

 俺も欲しくなって、ついつい店の物に手を出してしまった。こりゃあばれたらどつかれるか。


 

 次の日も似たような時間にそいつは来た。あの何とも言えない笑顔を絶やさず、何が楽しいのか知らな

いけれど、不思議とこっちまで楽しくなってくる。

 下手なコメディアンよりも良いんじゃないかと思うくらい、ある意味おかしな奴だった。

 その男が何故か庇護を求めている。

 ようするにこれ以上餓鬼共にたかられるのがきついらしい。財布もペラペラで切ないもんだと言ってい

やがるし、すでに店内に入って来てる以上、追い出す訳にもいかねえ。

 仕方なく入れてやる事にした。隅っこに居るだけなら邪魔にならんだろう。

 男は礼を言って縮こまり、なるべく場所を取らないように心がけているようだった。それはありがたい

事だが、それくらいなら通学路に来なきゃ良いだろうに。

 あんまりにも大人しいと、逆に何か聞かないと悪いような気がしてくるから困ったもんさ。

 俺が東洋人ってのは大抵金持ちだって聞いたがな、と問うと、男は。

「ほんとにそうなら、世界中東洋人に買われてるさ」

 なんて言いやがった。大して上手い言葉じゃないが、それだけこいつも必死だったんだろう。真面目な

顔して食品棚の後ろに回り、息を殺して外を窺う。英国諜報員にでもなろうってのか、スパイなんかやっ

てたら、自分がどこの誰なのか解らなくなる、なんて言われてるんだが。

 まあ、この男は初めから得体が知れないし、同じかもしれねえ。

 不貞腐れた事言ってても笑顔のままなんだから、ほんとはどうだか知らないけれど、実際男の財布はヤ

バそうだった。申し訳程度にメロンを買おうとしたんだが、あまりのペラペラにこっちがサービスしてや

ったくらいだ。

 メロン半個けちって餓死でもされた日には、こっちの寝覚めが悪いからな。

 それに面白い男だったから、何となく助けてやりたくなったのも事実だ。

 段々退屈になってきたのか、ぼーっと隠れてたから、その間に色々話をしてやった。まあ大体はその男

の話を聞いてやっただけなんだが。それによるとぽっと思い立って計画もせずにこっちへ来たらしい。し

かもその理由が嫁さん探しときたもんだ。てっきり頭がおかしくなってるのかと思ったよ。

 ただ言葉も少々は学んできているようだし、どうやらこいつはこいつで本気らしい。

 その男気を買ったという訳ではないんだが、何だか哀れと言うかやっぱりおかしくなってきて、この男

を雇ってみる事にした。

 今は客なんて数える程しかこないんだが、まあ人手があればあったでやらせる仕事が無くはない。

 しこたま力仕事でもさせれば、俺の腰と肩も少しは良くなるかもな。

 食品関係ってのはなかなか力の要る仕事なんだぜ。毎日毎日箱詰めにされた食い物運んでれば、そりゃ

あ体もおかしくなる。

 まあ、初めからそれをやらせるのはちょっと可哀相だったから、手始めに店番させてみた。東洋人なら

レジくらい打てるだろ。客引きも出来れば尚良いが、そこまでは俺も望んでない。

 あくまでも暇潰しに雇ったようなもんだからな。

 男は乗り気で暇も手伝ってか、積極的に誰にでも声かけていたようだが、まあ大抵買いに来るのは馴染

みの常連ばかり、スーパーやデパートじゃああるまいし、街の一食品店なんざ、そんなもんだろうぜ。客

が付いてるだけましってもんだ。食っていけるだけ儲けられれば、御の字ってやつよ。

 案の定誰も興味を示さねえ。それでも男は手当たり次第声をかける。やる気だけはあるらしい。

「お姉さん、メロンはいかが。いらない? じゃあ今度ちゃんと料理してある物食べに行こうよ」

 綺麗な姉さん見つけて声かけたみたいだが、売り上げも撃墜マークも増えなかった。

「メロンは料理なんてしないもんな」

 男は妙な所を反省している。メロンで口説くなんて聞いた事ないが、まあ相手も満更じゃないようだっ

たし、使い方次第では何とかなるのかもな。

 メロンで口説けた日には、世界中からこぞってもてない野郎がやってきそうな気もするが、何でも絶対

無いって事はないだろうし。ただだからといってあるってはっきりと言えないのが辛いところか。

 ま、この国じゃその程度ではまだ消極的で、もっといかねえと女なんか振り向きもしねえけど。積極的

だが押しの弱い男だった。へこたれず声をかける所は買うが、闇雲にやってても、女なんてひっかからね

えと思うぜ。

 遠慮と優しさじゃあ、ちょっと無理さ。それが無いと困るけど、そればかりでもまた困る。ようするに

贅沢なんだな。

 しかし東洋っていうのは、さぞ奥ゆかしい国なんだろうぜ。

 男はそんな調子で2、3ヵ月は働いただろうか。高いホテル泊まってやがったから、うちの空き部屋貸

してやったが、うちの家族とは上手くやっていたようだ。その間家の雰囲気が良かったから、確かに雇っ

たかいはあったのかもしれない。

 ただ男の目的はちっとも叶わなかった。見た目も悪くなく、品も良かったが、何せあの口上じゃあ駄目

だろう。女を笑わせる事は出来ても、それ以上は無理だと、俺ですら思えた。

 男はそこに思い至らず、ナスだから悪かっただの、リンゴではちょっと赤すぎたかだの、おかしな事言

ってたが、まあ善戦はしてたと思う。妙な男が居るって噂も立ったし、もう半年も居れば、何とかなった

かもしれねえな。

 女心なんて未だに解らねえけど、粘れば不思議と釣れたりする。おっと言葉が悪かったか、まあいいさ

どうせ女が男をいう時も、似たようなもんだろうし。ただ聞かれねえようにしないと、訴えられるかもし

れねえ、くわばらくわばら。

 そんなこんなで俺は捕まらず、男も捕まえられなかったって訳さ。

 男はまだ居たかったようだが、事情があったのか、単に予定が終わったのか、ちっとも成果をあげられ

ないまま、自分の国へ帰ってしまった。

 家族はもう会えねえだの、涙して悲しんでたが、俺は違うと思う。

 あいつは必ずまたやってくる。それも忘れた頃にひょっこりと。

 皆が覚えているような頃には、恥ずかしがって出てきやしねえ。でも忘れられるのも癪(しゃく)だか

ら、きっと思い出させに戻ってくるぜ。

 この街は美人も多い、きっと忘れられないはずさ。

 またやって来て、あのおかしな笑顔を見せて、人を和ませながら、変な事をやって、いつの間にかまた

ここに居るんだろう。初めて会った時と同じように、楽しそうな笑顔を溢れさせながら。

 その笑顔を思い出すと、不思議とにやけてくる自分がいる。

 娘が後10も大きくなりゃあ、嫁にやっても良いかもな。まあ、あの男が後10年成果を出せず、その

くせうちの娘だけには好かれれば、の話だがな。

 そうなりゃ、それはそれで面白い。

 俺はそれを考えると、おかしくってたまらない。

 そして今日もメロンを並べて海を眺め、よく晴れた空を見ながら、男が来るのを待っている。娘が婆さ

んになる前にくりゃあ良いんだが。

 まったく奥ゆかしい東洋人め。

                                                     了




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