その境界


 日々犯罪が起きているが、果たしてその境界は何処に在るのだろう。

 と言うのも、どれだけ治安の悪い場所でも、当たり前に生きている人達も居る。当然のように犯罪が行

なわれている場所でも、まったく犯罪とは無縁に一生を終える人も居る。

 逆にどれだけ治安が良く、まったく犯罪とは無縁と思われていた場所でも、犯罪に巻き込まれてしまう

事がある。

 だとすれば、だとすればそれは、一体何が違うのだろう。

 それに関わってしまう人と、それと無縁で居られる人、その境界は一体何処にあるのか、そしてどのよ

うな物であるのか。

 危険の境界は多分、ある小さな領域として移動しているのだと思う。

 時間帯、暗闇、人の目から逸れる場所、そういう場所を例え一瞬現れて消えるような時でもすぐに見付

け、そしてその場所へ瞬時に移動する。

 その小さな(或いはとても大きな)常に形を変化させる領域が、普通という世界の中を、忙しなく蠢い

ている印象がある。

 治安が悪い程その領域の数が多く、良ければ少ない。それに遭遇し、実際に犯罪が起こるかどうかは確

率の問題である。

 しかしそれならば皆等しい確率である筈。だが単純に確率の問題で片付けるには、やはり腑に落ちない。

それに遭遇するのには、やはりもっと別の理由がありそうだ。本来なら等しい筈の確率を、不変にしない

何かの要素が。

 そこで考えられるのは、人は皆同じ生活をしていない、という点である。人によって考え方も違えば、

生活習慣も違う。これは当然な事で、ならばその差異にこそ理由があるのだと考えられる。

 そう考えてみると、一番危険の領域と関わり合うのは、やはりそういう場所を察知する能力だと思える。

その能力を上手く活かしていれば、犯罪に巻き込まれる確率を、極端に下げられるのではないか。

 人間には危機感知能力というものがある。それは誰にでも備わっていて、人は何となく危険の領域を覚

り、事前に回避する事が出来る。

 常にそのように回避していれば、犯罪と出遭う可能性を極端に下げる事が出来る。どれ程治安が悪くて

も、その分気を付けていれば、回避する事は可能だ。だから人はどんな場所でも生きていける事が出来る。

 臆病に、そして賢明に生きれば、危険の領域を避ける事は、決して難しい事ではないのだ。

 しかしたまに敢えて自分からこの領域に踏み込もうとする人が居る。理解出来ないが、実際にそう言う

人は意外に良く見かける。

 その人達は揃って刺激が欲しいという、今に不満を持っている、そして普通と言われ、普通になる事を

どうしてか嫌う。

 その人達はその人達の範囲で皆当たり前に普通になってしまうのだが、どうしてか普通が嫌いだと言う。

 おそらく一般の普通ではなく、言ってみれば特殊な普通が好きなのだろう。或いは自分のしている事に

気付いていないだけなのかもしれない。

 結局孤独でなければ、普通から脱する事は出来ない。しかし人はそれが嫌だから普通を作り、そこに皆

で住む。

 だからといってどっちがどうとは言わない。好きに生きればいい。

 しかしこの危険の領域、犯罪に巻き込まれる可能性という点からいえば、好きにすればいいと云うよう

な事は言えなくなる。

 自分から危険の境界を踏み越えるような人達は、どれだけ治安の良い場所でも、全く犯罪らしい犯罪が

起こった事が無い場所でも、そうなるべくして犯罪に巻き込まれる可能性が極端に高くなる。

 勿論、自分から飛び込んでも、そのぎりぎりの所(つまり危険の領域と犯罪の領域の違い)を見極め、

危険でありながら安全の中に留まれている人も居る。そしてそのぎりぎりを楽しみながら、日々を生き

ている。

 だがそういう人達でも、いずれ見極めに失敗し、犯罪に巻き込まれてしまう。

 危機の領域はいつも動き、そして絶えずその規模と形を変えている。膨らんでは縮小し、速く過ぎ去る

事もあれば、何日も止まる事がある。

 それを見極め続ける事は難しい。まず不可能である。

 遠くない未来、当然のように巻き込まれ、他人から、ああそのうちこんな事になると思っていた、など

としたり顔で言われる破目に陥ってしまう事になる。

 そこには同情と悲しみもあるが、ほとんどは侮蔑の気持ちである。

 何て愚かなんだ、そういう気持が底にある。

 誰にでもある程度はそんな気持ちがある。そして本当の意味でそれを非難する事も無い。何故なら、何

よりも最もな感想だからだ。

 自分から危険に飛び込んでおいて、何かあったから文句を言ったとしても、誰も真剣には聞いてくれな

いだろう。

 むしろ憐れな目で見られるのが落ちである。

 そしてその危機に自ら陥った人も、他人がそうであれば、きっと同じような目でその人を見るのだろう。

 起こってから何を言ったとて、取り返しは付かない。全て虚しい言葉である。

 だから危険との境界で遊ぶような事は止めた方がいい。

 そして例え危険の領域と距離を置いていたとしても、油断しない方がいい。危険はまるで貴方を狙い打

つようにその領域を触手のように伸ばし、そっと背後から掴みかかる事がある。

 それはあまりにも急速かつ突然であり、逃れる事は難しい。

 だから皆油断しない方がいい。いつも覚悟しておいた方がいい。危険はいつ何処に現れるか解らない。

 危険の領域で遊ぶのは自殺行為以上のものである。

 人はそれで遊んでいるような気になっているが、本当は人間の方がそれに遊ばれているのだ。そして一

度それに触れれば、ずっとその事を覚えている。それはいつか必ずその人の前に後ろに現れる。例え人が

何処へ逃げようとも、必ず追いかけてくる。

 一度掴まれれば、一生それとは縁が切れない。

 触れれば最後。

 その境界に近付かない方が賢明だ。

 危険とは、そんなに面白いものでは無い。よく見てみるといい。実際は嫌っている普通と変わらず、特

殊な事など何処にも無い事を、誰もが知るだろう。

 そこにあるのは悪夢だけである。

 夢、しかも悪夢なら、早く覚めた方がいいと思う。

 面白い事は何も無い。そこにあるのも退屈だけだろう。




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