その手に華を


 いつ頃からだろう。自分がこんなに疲れた人間になってしまったのは。

 もう思い出せないくらい昔。いや、つい昨日からだったような気もする。ようするに私の時間は止まっ

ていたんだろう。

 いや、止まっていたと言うよりは、全ての時間に意義が無かったと言えるのかも知れない。

 昨日も一昨日も、そして明日も明後日も。四年前も一年前も、一年先も四年先も。全てが同じ、代わり映

えの無い時間をただ無意味に過ごしているだけ。

 それが私の人生だったのかも知れない。

 だから嫌なのかと言われれば、しかし少し違う。

 別に悪くは無かった。もともとそう言う静かな人生が欲しかったのだから。

 思えば無意味に力があり過ぎた。無意味に気高過ぎた。無意味に圧する気概が高過ぎた。

 全て過ぎていたように思う。

 そして過ぎれば即ち災いを招く。勿論私なんぞの災いなどは御遊びのような物かも知れ無いが。それでも

私個人にとっては面倒でしかなく、しかも逃れられないモノであったように思う。

 それでも幸か不幸か私はそれらに耐えうる心を持っていた。

 いや、なれていたのかも知れない。何せ小さき頃からずっとそうだったのだから。そしてきっとこれから

もそうなのだろう。

 そして自由に身動きできない今、私はそれですら希望を失わない、自分のそんな心に絶望してもいる。

 なんなのだ、なんなのだ私は。全てを受け入れ、それが何であれ、誰であれ受け入れられるのか。それは

大きさなのだろうか。

 いや違う。空っぽなのだ。空っぽだから全てを受け入れられるに違いない。何でも誰でも好きなように出

入り出来るのだろう。

 だとすればなんと虚しい事か、悲しい事か。

 確かにそれでも何でも出来ると言えばそうだろう。しかし何をしても誰と居ても、特にどうとも思わない

私の心は、一体誰の物だと言うのか。

 しかもそれでも本気で笑いもし、泣きもするのだ。自分の哀れさに泣く事も多く、また怒りをぶつける事

も多い。

 だが全てはそれだけなのだ。

 それが無力だと、私はここから逃れられないと解っているからかも知れない。ただそれだけで終ってしま

うのは、虚しい以外の何者でもない。

 

 ここから逃げ出す事も私は出来るのだ。それでも逃げ出さないという事は、どういう事なのだろう。

 私が望んでいる事なのだろうか。

 私は私が解らない。だから全ての道を、誰かが示唆してくれた道が無くなった今、私は途方にくれている

のだろうか。

 自分とはほんとはその程度のものだったのだろう。何でも出来ると思えど、何もしてこなかった。ならば

何もせずに一生入れるようにと、お節介な誰かが私をこうしてくれたのだろうか。

 それすら私の望みだと言うように。

 でもそれは虚しい。辛いのだ、独りで薄れて行くのは。

 光が欲しい、光を浴びたい、光を見せてくれ。

 私の行き着く先を、どうか私に見せて欲しい。

 いつの間にか黒くなっている私。

 誰からも見られず、また見られたくも無く。そこから出たくも無く、それでいてそこから抜け出したい。

自分から抜け出せるのに、それでも助けを望む。不幸でも無く、幸せでも無い。

 だから黒い影で良い。

 この世界でも楽しくない訳では無いのだ。それが多分に負け惜しみだとしても。

 そうなのだ。一倍虚しい事に、私はこれを悪くないと思っている。だから抜け出す必死さが無いだけに、

滑稽に見えるのだろう。

 私は浮いているのだから。世間からは隔離している。しかし隔離しきれず、無理にしがみ付いている自分

も居た。

 虚しく寂しいが、私は所詮はどちらにも踏み切れない小心者なのだろう。

 行き交う人を遠めに見ている。

 そこにはそこの、あそこにはあそこの、それでも一つ一つに暮らしがあり、生活があった。そして誰かと

常に関わって居られる、自由に誰かに逢える、そんな人達が溢れている。

 私はそれを見る度に居た堪れなくなって目を閉じた。

 しかし暫くして目を開ける。見るだけでも良い、聞けるだけでも良い。たとえそれが架空の、他人事であ

ったとしても。それだけでも関わりたい。そう思っていつも目を開けてしまう。

 何という無様な思いだろうか。それで良いのか? 良いのだろうか? ・・・・良いのだ。

 また飽きる事無く見ていた。

 目だけは黒くない。光はまだ私にあるのだろうか、微笑んでくれるだろうか。出来れば、私の側に光が欲

しい。

 見るだけでは耐えられなくなっていた。話したい、誰かと関わりたいと。

 だから声を出してみた。

 誰に届こうが、それはどうでも良かった。とにかく話したかったのだ。それが取るに足らない言葉でも。

世辞にも劣る破片でも。

 口も黒く無くなった。耳も黒くない。

 私は話した。とにかく話してみた。多分に現実味の無い私だったが、それでも会話できた事は嬉しい。私

もまだそこに居れるのだと思った。それが嬉しかった。

 しかしそれもすぐに虚しくなった。私は何もさらけ出してない。私は何も聞いていない。

 上辺の言葉も悪くない。しかしそれだけでは足りなくなった。私はもっと光が欲しいのだ。

 だがそう気付いた時、私は凄く悲しくなった。

 とても無理な事を望んでいたからだ。無理はしたくない。いや、無理は出来ないのだ、初めから。だから

無理と言う言葉がある。

 再び黒くなりかけた頃。しかし手探りで探していた一つに、それも偶然に現れた声に、私は深く興味を惹

かれた。

 しかしぼんやりと考えると、それを頼れば付き返されるのではないかと思った。私は何せ、こんな私なの

だから。平穏だが、希望は無い私。そんな者と誰が真剣に接してくれるだろう・・・。

 だがどうしてもその興味を抑える事が出来なかった。私はその声と話したかったのだ。聞いてくれるだけ

でも良い、話してくれるだけでも良い。ともかくその声はとても優しそうだった。それはその声の心に、何

処か私と似たようなモノを感じたからかも知れない。

 人に優しくしたいのは、きっと優しくされたいからなのだと。そしてその声の主はきっと人が好きなのだ

ろうと。人と沢山話したいのだろうと思った。

 だから私も優しく声をかけた。その声が少し不安そうだったから、私は残る全ての心を使って、誠意を込

めて話しかけた。長い長い言葉を。

 するとその声も長い長い言葉を私にかけてくれた。楽しそうだった。私も楽しかった。

 そして悟ったのだ。私の求めていたものを。損得感情を越え、余計な下心や打算を抜きで、私と話してく

れる存在を。大げさでも軽薄でもなく、そのままの自分で話してくれる相手を。

 私は救われたのだ。決して押し付けがましくしている訳じゃない。その声がきっかけで、私は私自身を救

えたのだ。きっとそうだ。

 そしてその優しい声は、私をそこからすっと引き上げてくれた。

 心が膨れ上がるのを感じた。それが言葉として出る事を、一体誰が止める事が出来ただろう。嬉しかった

のだから、心から喜びを感じたのだから。

 その声の主も笑ってくれた。その日から私はようやく黒い身体に色彩を帯びる事が出来た。

 今も未来もずっと、その人に感謝していたい。ありがとうと、そう言い続けたい。

 その人は誰よりも可愛い花の名前をしていた。




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