そうだから、そう


「あなたがそうだったから、きっと私もそうだったのよ」

 そう言い残して彼女は出て行った。もう二度と会う事は無いだろう。

 しかし私に向けられた言葉だけは、いつまでも私の前に居て、いつまでも私を睨み付けている。

 確かに私がそうだったから、彼女もそうだったのかもしれない。私がそうであったからこそ、彼女はそ

うなるしかなかった。そう考えるのは不自然ではない。その可能性は大いにある。

 だが今更何を言ったとしても、その言葉は決して彼女の元へ帰ってはくれない。ずっと私の前に居て、

ずっと私を睨み続ける。

 起こってしまってから何をしようと、そうなった事はどうしようもない。それに例え私がそうでなかっ

たとしても、彼女の勘違い、或いは私自身の勘違いであったとしても、そもそもそれがそうならなかった

のだとしても、きっと結末は同じだったのだ。

 私がそうであろうと、なかろうと、不思議とそれだけは確信できる。

 そういえば昔別の彼女にも、似たような事を言われた覚えがある。彼女の言葉が私にそれを思い出させ

た。多分、言葉は違うが、同じ事を私に言ったのだろう。

 あれは確か。

「それが本当にそうなのだとしたら、私が本当にそうなのだとしたら、多分きっとあなたもそうなのよ」

 こんなふうであったと思う。細かくは覚えていないが、確かにそのような感じではあった筈だ。

 だがしかし、本当にそうなのか。本当にそうなのだとしたら、私はあの頃から何一つ変わっていなかっ

た事になる。私はいつまでもそうで、これからもきっとそうなのだ、という事になってしまう。

 それは慰めにならない。むしろ深く棘を刺す。

 私は決定的にそれなのだ。この二つの言葉が本当であるなら、私はそう決まってしまう。

 それがそうならないという可能性があるとしても、否定する事は難しい。すでに一度、いや二度、もし

かしたら知らない間に何度も繰り返していたかもしれないのだ。

 だからそう決まってしまっても、全くおかしくはなくなってしまう。

 否定したい。でも出来ない。きっとそれはそうなのだ。もし私が本当にそうであるのなら、その理由は

そういう私の心の弱さからきている。

 そうだ、私は立ち向かおうとはしなかった。軽く言えば、逃げたのだ。今まで答えを先延ばしにし、ず

っと逃げてきたのだろう。そして待ち侘びた彼女達は、私に見切りを付け、言葉を残して去って行った。

 多分、そうなのだ。そう考えるのが一番しっくりくる。

 しかしそんな事が解ったとして、何が変わるだろう。

 今それを認めたとしても、私は変わらず諦めたふりをして逃げ続け、何もしないで生きていく。彼女達

も戻っては来ないし、その言葉も私の前にずっと居るままだ。

 私はいつもそうだった。だからこそ自然の流れとしてそうなってしまったのだ。そして彼女達もそうなってしまった。

 悲しい事だが、それを否定する事は、もう不可能である。とうにそれは不可能になっていたのだろう。

おそらく私がそうなっていたその時から。

 しかし何故だ。何故そうなるしかなかったのか。

 これは逃れられぬ運命だったのか。この言葉達からも逃れられぬ運命なのか。

 それが解らない。そんな理由が解ったとして、私が結局そうである事に、何の意味も変化も無いとして

も。私は変わらずそうであり、そうで在り続けるしかないとしても。私はそれを知りたい。

 知るしかないのだ。

 確かに理由は解った。私の原因はいつも私にある。それだけは良く解っている。しかし本当に知りたい

のはそういう事ではない。

 もっと別の、もっと根本的な何か。

 彼女達の事もそうだ。彼女達は一体何なのだ、何だったのだ。

 これは言い訳に聞えるかもしれないが。例え私がそうでなかったとしても、多分彼女達とは同じ運命を

辿ったと思うし。彼女達も私に関わりなく、そうなっていたと思う。

 理屈ではない。そうなる理由が彼女達にもあったのだから、最後にはそうなる事は決まっていたような

ものではないか。

 そして彼女達が自然にそうなるしかないのであれば、私がどうであっても、結局別れるしかなかったと

いう事になる。私だけがそうなのではない。

 責任逃れだとか、そういう事ではない。ただ言っておきたかった。私がそうである前に、もし彼女達が

そうであったならば、いや彼女達がそうなる可能性を多分に持っていたのであれば、例えそうなるきっか

けが私だったとしても、たまたまそれが私だっただけで、彼女達は別のきっかけでそうなったかもしれな

いのである。

 例え私がそうならなくても、結局はそうなった。彼女達に関しても、そう考える方が自然だ。

 なら初めからそうなる運命にあった彼女達と関わってしまった事が、私に取っても一番の間違いだった

のだろうか。

 いや、多分それも違う。結局は私もそうなる可能性が大きかった以上、彼女達に関わらず、私はいつか

はそうなっていて、同じような事を違う彼女達と行っていたと考えられる。

 だとすれば、彼女達と私という関係が、必然的な何かであったとも考えられない。私も彼女達もたまた

ま、私であり、彼女達であっただけで、そこに深い意味はなかった。

 私も彼女達も、結局はそうなる。そうなるしかなかった。

 そうなるとまったく嫌になるが、私にもそうなる運命があった事がはっきりしている以上、誰かに責任

を擦り付ける事が出来ない。もし今までのように逃れられたら、もっと楽だったろうに、残念である。

 いや、もしかしたらそんな事もどうでも良いのかもしれない。

 正直、彼女が出て行った事はどうでもいいのである。ひっかかっているのは、彼女達の発した言葉の方

だ。それが私を悩ませている。

 彼女達が言った言葉。それは多分、私をそうさせるに充分な理由で、私がそうなった事への、幾らかの

原因というか、決定した何かを探る言葉にはなりそうである。

 それが私の求める答えであり、それが解らないからこそ、今も私はそうで在り続けているし、こうもど

うしようもない気持ちのまま居るしかないのだろう。

 多分、もっと直接的な事だ。例えば私がしたかったのは。

「私がそうなったのは、君達もそうであったからではないのか」

 とか。

「私もそうだが、君達だってそうじゃないか」

 などと彼女達に言う事だったのかもしれない。彼女達が私にしたように、私の言葉を彼女達に押し付け

てしまいたかったのだ。このもやもやと晴れぬ気持ちは、私が何も言えずにそうなり、そうなって尚、何

も言えなかった事にも、幾らかの理由がある。

 もしそれをしていれば、彼女達の言葉と私の言葉が、私の前に居る事はなく。私の言葉は彼女達の前に

行って、私から去った事で、私を少しだけ楽にしてくれただろう。

 彼女達に非を被せるつもりはないが、それでも彼女達の責任まで私が被ってやる必要はない。彼女達が

その生の言葉を私にぶつけたように、私だってそうして良かった。彼女達が特別ではないのだから。

 でもしなかった。ならそれが私をそうしてしまった、本当の理由なのだろうか。その時に私は、そのよ

うに決定されてしまったのか。

 だとしたら、そのきっかけが生まれるまでは、私は例えそうなったように見えたとしても、本当の所で

はそうなっていなかった。それがきっかけという直接的なモノを経る事で、初めて完全にそうなってしま

った。

 そんな風に言えないだろうか。

 そうだ。そうでなければ、私がそうである理由が解らなくなる。私が今、こんなふうに悩んでいる理由

が、一つもなくなる。だからきっとそうなのだ。

 今悩んでいる事が、その事の理由か原因に違いない。それは解りきっている事だろう。

 問題はそれだったのだ。求めながらしなかった為に、求めていたモノになれなかった。そして今の私が

ある。今の彼女達がある。

 いや、本当にそうなのか。私がどの道そうなるのだとしたら、私以外の全ては私に対する理由ではなく

なってしまう。彼女達の言葉も意味を成さなくなる

 彼女達に関係なく私がそうであるとしたら、彼女達にとっての私がそうであるように、今回たまたまそ

の理由が彼女達になってしまっただけだったとしたら、どうなるのだろう。

 私がそうであるのは、結局は自分自身の中にしか理由がなく。何が起ころうと、結局自分でそうなる道

を選んでしまうのだとしたら、私は、いや私こそがそれだったという事になりはしまいか。

 私こそが、本当の意味での、それそのものであった。

 もしそれが本当なら、それはとんでもない事になる。

 そしてそれを云うなら、彼女達も同様に、元々それそのものであったという事になって。そもそもそう

なる者は、必ずそうなる理由が、その者自身に深く刻まれていたのだとすると。嗚呼、何と云う事だろう。

この世界にはそれが、そこいらじゅうに溢れている事になるではないか。

 駄目だ。それは駄目だ。そんな事になれば、もう皆そうであるしかなくなってしまう。皆そうで在り続

けてしまう。

 私がどうしようもなくそれであるという考えは、恐ろしい結末を引き出しかねない。

 もう、考えるのを止そう。

 皆もそうだ。考えるのを止した方がいい。

 こんな恐ろしい事は、もう考えずにいた方がいいのだ。

 自分がそうなった事も、実はそんなに重要な事ではないのかもしれないのだから。




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