送受信


「これ、コピーして!」

 怒ったようにそう言われた。

 こちらが何かをした覚えはない。多分、朝から機嫌が悪かっただけなのだろうと思う。

 彼氏とケンカしたのか。コーヒーを飲もうとしてうっかりこぼしたのか。いくらでも理由は考えられるが、詳しい

事は解らない。聞く気にもなれない。

「はい、わかりました」

 だからそう答え、コピーをし、上司が居ない時を見計らって机の上に置いておいた。

 それで済んだ話。いつも通りのよくある、そしてこれからもずっと度々起こるだろう出来事。

 思い悩む必要はないし、気にした所で誰も得しない。上司も覚えてさえいないだろう。

 でもそれが何故かムカムカした。

 いつもは平気なのに、今日に限ってはこのまま無かった事にはできないと思った。

 それでも自分を押し殺し、我慢してしばらくの間仕事を続けてみたが、どうにも治まらない。

 イライラしかしないので、時間はもったいなかったが、少し席を離れて外に出る事にした。

 今日は天気が良い。空はどこまでも澄んで、宇宙まで見えてしまいそうになる。

 この気持ちもそんな風に晴れたら良いのにと思い。空気を吸って、大きく吐いた。

 そこへトラックが排気ガスあびせてすごい速さで通り過ぎていく。

 ガスを思いっきり吸い込んで、何度もせきをした。

 肺の中までもやもやする。

 けど、これもよくある事だ。

 何でもない事だ。

 誰にでも毎日のように起こりうる事だ。

 そう思っても、やっぱり治まりはつかなくて、

「くそッ!」

 と言いながら、街路樹を思い切り殴った。

 痛みと血がにじんだが、その痛みが苛立ちをふっと消してくれた。

 多分、消化したって事なんだろう。

 上手く自分をごまかせたって事なのだろう。

「・・・・・・・・・・」

 道路をながめてぼんやりと考える。

 先程のトラックと上司の態度は同じものだ。

 程度は違うし、受けた場所が体と心という違いもあるが。不快なものを一方的にぶつけられたという点は一緒だ。

 どちらも謝りもせず過ぎ去って行ったのも同じ。

 何故そんな事ができるのか。

 多分、気付いていないからだろう。

 トラックも上司もこちらに不快な思いをさせた事に気付いていない。それどころか、自分の方が不快な思いをした

とさえ思っているのかもしれない。

 どちらもこちらを見ていない。自分だけを見て、自分の事だけを考えて、自分の意思なり行動なりを一方的にぶつ

けて去って行く。

「・・・、・・・、・・・」

 携帯が震え出し、いつものように手を伸ばす。

 メールが送られてきた。

 あいつらもこれと一緒だ。止められないし、いつも一方的に送られてくる。こちらの気持ちなどおかまいなしだ。

 でもメールの方がまだましだ。こっちはまだ返信できる。不快な思いをしたと告げれば、きっと相手も謝ってくれ

るだろう。こちらの気持ちを受信できたからだ。

 けど、あのトラックと上司はこちらの気持ちを受信しない。

 あいつらは一方的に送信してきて、こっちの気持ちを受信しようとはしない。

 解っている。

 自分だってそういう時はあるから、よく解る。

 きっと私もどこかで一方的に送信し、誰かに行動や気持ちを押し付けているのだろう。押し付けてきたのだろう。

 相手がどう思っているのか、どう受け止めるのか。そんな事を考えもしないで、一方的に押し付けて、一方的に送

信できた事に満足している。

 それは人に返事を強いるよりも、ある意味もっと悪質なやり方だ。

 返事を下さい。何故返事してくれないの。こっちのメールは読んでいるのに、何故何も返してくれないの。私はこ

う思っているのに、こうして欲しいのに。

 そういう気持ちはうっとうしいものだ。

 そんな気持ちを一方的に押し付けられて、送信されて、受け取った方はどんな風に思ったのだろう。

 今の私のように、居たたまれない気持ちになったのだろうか。

「・・・・・・・・・・・・」

 もう一度、街路樹を殴りつけた。

 けれど今は心の方が痛みを覚えていた。


 そんなお話。




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