色と空


 全ての事に意味がある。いや、全ての事には意味がない。

 対立している二人がいます。この二人は全くの正反対な性格ではなくて、むしろ似通っている二人だっ

たのですが、この一点においてのみ違うので、その反発はとんでもなく激しいものでした。

 道を歩いていると石が落ちています。

 一人がこれを見て、この石には意味がある、これもまた人生の内の一つであり、私という存在にとって

決して小さくない意味があるのだ。

 と主張すれば。

 当然もう一人はそんな石に意味などないと主張し。

 曰く。

 それは単なる偶然であり、それ以上の意味はない。何故ならばそれが及ぼす影響は甚だ小さく、しかも

そもそもそこに今居る意味すらないからである。その石が今何処にいようと、例えば右に五ミリずれてい

ても、左に五センチずれていても、何ら支障はない。それに意味があると言うのは、全く間違っている。

 しかしそう言われては黙っていられない。一人は反論し。

 曰く。

 確かに僅かにずれていようとも、例えこの石が今ここに無くとも、私は何一つ不自由はすまい。しかし

だからこそ今ここにあるという事が意味を持ってくるのである。何ミリ、何センチ、いや何メートルずれ

ていてもよい。しかしならば何故、その石が今ここにこうあるのか。つまりここにこうしてあるという事

が宇宙の無数の偉大なる一つなのであり、その欠片なのである。宇宙の一つを埋める為に今この石はここ

に在るのであり。そこに到るまでには無数の理由と歴史があったのだ。なればこそこれは必然。必然とは

運命。運命とは今そこに在る意味である。故にこの石には意味がある。

 もう一人もそんな事で怯むようではなく。

 曰く。

 運命、宇宙、次は森羅万象の理とでも言い出すつもりか。お前はいつもそうだ。壮大に見せかけ、話を

大きくし、人の話を煙に巻こうとする。必然だと言ったか。運命だと言ったか。ならばその理由、意味と

はなんだ。もし今ここにこの石がなければ、この宇宙が崩壊していたとでも言うつもりか。違うであろう。

この石はあそこにあろうと、むこうにあろうと、そのいずれにも無かろうと、別段どうという事はないの

だ。どこに居てもいい、だから偶然ここに居ただけの事。意味などない。ただの偶然という一つの選択の

結果である。

 一人の方も怯まない。むしろその言葉を予想していたのように。

 曰く。

 選択の結果。それこそが意味ではないか。お主は自ら私の論を実証しておる。宇宙とはその無数の意志

で出来上がっているもの、なればこそその全てには意味がある。どこにいてもいい、しかしその意志は今

ここに居た。それこそが意味であろう。何度言えばいいのか。壮大、大げさ、そうお主は言うが。この世

の全てでこの宇宙を形作っていないのだとすれば、一体何が宇宙であるのか。そこに居る我らは一体なん

なのだ。答えてみよ。この石が今ここにある事が、宇宙を形作っているのではないか。

 もう一人もまた退かず。

 曰く。

 ならば結果に意味があると、結果自体に意味があるとでも言うのか。違うであろう。偶然なる結果に身

勝手な意味を見出すのは人間の方である。自然界にそのようなものは一切無い。全ての物事には意味など

ないのだ。ただそこに人が意味を形作るだけ。お前の宇宙論のように、身勝手に紛い物の真理を創り出す。

そんなものに意味などあろう筈がない。自然界はただそこに在るのみ。初めから意味など無いものなのだ。

一つ例えるなれば我々が今存在しないとしても、一体何の支障があろう。宇宙は宇宙として、我らとは全

く別の存在として、今この場、この無限なる空間にて営みを続けよう。宇宙はただの場に過ぎぬ。そして

我々はその場に居るだけのただの石。そう、この石と同じである。たまたま今ここに居るだけの、ただの

石なり。宇宙は宇宙。石は石なり。

 一人はじっと聞いていたが、しかしうんざりしたように頭を振り。そして。

 曰く。

 宇宙がただの場であるならば、そこに住まう我らがこの石ならば・・・。いや、そこは譲ってもよかろ

う。今はただのそれであると仮定しよう。しかし例えそうであったとしても全てに意味がないという事の

理由にはならん。ただの場、ただの石、ならば何故我々は今こうしているのか。何故生まれ、何故死にゆ

き、何故考える。全ての生命には、いや森羅万象全てに意志はある。であるからこそ時に争い、時に妥協

し、我らは生きてきたのだ。そして全ての意が交じり合い、時に衝突しあった結果として今というものが

出来ている。この現在という時間は、過去全ての結晶である。なればこそ、どうしてそこに意味がないな

どと言えるだろうか。ならばお主は一体何がこの世界を形作ったというのだ。偶然と言うか。そこに何者

の意志もなく、このような姿になったというのか。ならば理とはなんだ。道とはなんだ。高きから低きへ

流れ、全ては循環する。この仕組み。永劫の時間の中で生まれたこの仕組みに、何の意味もないというの

なら、お主はこの世は一体なんだと言うのだ。

 もう一人はそれを聞くとみるみる顔を赤らめ、息を荒げ。そして。

 曰く。

 理や道も偶然の産物に他ならぬ。そこに意味などない。たまたまそうなっただけよ。全てに意志があろ

うと、そんなものは結果に対して何ら意味を持たぬ。そんなものはその者の勝手であろう。宇宙は一々干

渉せぬ。その道も理もまた意味など無し。初めからそうなる理由などは無かったのである。ただ偶然そう

なった、たまたまそうなった。だからこそ我らはそれを理解できぬ。それを説明する事は出来ぬ。それ故

に身勝手な理由を付け、無理矢理納得させようとするのだ。何と愚かな事であろう。それでも意味がある

と言うのならば、お前はそれを証明出来るというのか。その理に、その道に、理由がある事を全て説明出

来るというのか。

 一人は絶望したようにそれを聞き。

 曰く。

 それもまた私の論を補完する。便が良かった。そうする事が全ての意志を遂げるにおいて、一番都合が

良かった。そうであればこそそれを選んだ。つまりそれこそが意味ではないか。それともお主は本当に意

味もなく、我らがその時の感情で選ぶように、或いは無作為に、全てを選んだと言うのか。ならばもう一

度問おう。この世の全てに意味がないのだとすれば、一体この世とは何なのだ。

 もう一人はそれを聞き、我が意を得たりと微笑み。

 曰く。

 そうれみよ。お前もまたそれがただの結果であり、流れ出た水が辿るように、そこへ行き着くただの結

果であると言っているではないか。ただの結果に意味などない。そこに人が意味を見出すのみ。便が良か

ったから、だと。小賢しい事を言いおるが、それが何の証明になるというのか。たまたまその時にそうな

っただけの事。流れ着くようにそうなった事。そこに意味などあるものか。お前の言葉こそが我が意を証

明しておる。この世とはただの結果である。流れ逝く我々が行き着いた、行き着くだけのただの結果に過

ぎん。そんなものに何の意味があるのか。意味があるとすれば言ってみよ。例えば我らが今犬でない事に

どんな意味がある。我らが今人であり、こうして石を見た事になんの意味がある。こうして話し合う事こ

そが意味などとは言わさんぞ。こんな下らぬ戯言に、宇宙の何があるというのだ。よしんばこれで宇宙の

真理を見出したとして、それに一体何の意味があろう。ただそれを見付けたと大喜びするは我らが人だけ

ではないか。そんなもの牛や豚は初めから知っておるのかもしれぬのだぞ。見よ、あの飛び立つ虫を、宇

宙の真理を知らねば、一体どうして飛び立てると言うのだ。

 一人は暫く口ごもっていたが、やがて呆れたように哀れみ。

 曰く。

 お主という人間は、一体どうしてそうなのか。宇宙の真理を知らねば飛び立てぬというのであれば、そ

れこそ意味ではないか。牛や豚は飛び立てぬなどと揚げ足をとるつもりはない。誰が知ろうと誰が知らぬ

とそんな事は何の関係も無いではないか。知るものはそれを使い。知らぬものはそれを求める。どちらに

せよ目的があり、それをするだけの理由、意味がある。人が求めるのはそれに意味があるからだ。ないも

のを見出す事など初めからせぬ。そうではないか。お主の言っている事は全てお主の意に反し、私の意を

助けている。何故それを認めようとせぬのだ。

 もう一人は再び激昂した。しかしそれもすぐに静まり。もう無意味だと述べるかのように。

 曰く。

 お前はいつもそうだ。いつも後付けをする。賢しらぶって理由を付け、それがまるで万物普遍の答えで

あるかのように振舞う。それに踊らされる者もいよう。確かにいよう。今も私の方が駄々っ子のようにわ

めいているだけだ、とそう思う人が居るであろう。しかしだ、しかし。お前の言葉になど何の意味もない

のだ。そこに重みがあるのはお前の人柄故よ。私は人を説得は出来ぬ、しかしお前は出来る。それだけの

事。それにも意味など無い。お前の言葉自体には何の意味も無い。それはお前だけが創りだした、お前だ

けの意味、妄想である。それは有る所から見出したのではない。お前は無い所から無理矢理生み出すのだ。

後から言えばどうとでも言える。結果論に勝るものはなし。そうではないか。だからこそお前を説き伏せ

る事は出来ぬ。認めよう。諦めよう。しかしそんなもののどこに意味があるというのだ。お前がありがた

がっているような意味など、人の生み出したものには一切認められぬ。そこには何も無い。それこそが真

理よ。人の生み出した作り物などに縋っている限り、決して何も悟れぬわ。

 一人は呆然ともう一人を見送った。

 どうしようもなく、どうする必要もなかった。二人は完全にわかたれたのである。

 一人、曰く。

 それでも私は信じたいのだ。我が心に意味はあると。それが人間ではないか、なあ、そうではないか。

そうでなければ、我らは何の為にここに居る。意味が無いのだとすれば、我らは一体何なのか。誰もお主

のようには開き直れぬ。

 一人もまた去り、今日もまた無意味であり空虚な論は去った。

 後には石のみが残る。

 残ったものが真実か。

 石、曰く。




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