厄除け天狗


 樵(きこり)の彦兵衛(ひこべえ)どんは今日も汗水流して働いております。

 村一番の働き者で親孝行、彦兵衛どんはじっとしている時がありません。いつも動き、いつも働き、休

む事を知りませんでした。

 親や近所の人はそんな彦兵衛どんを心配しておりましたが、身体がよほど丈夫に出来ているのでしょう、

風邪一つひく事もなく、元気に毎日働いておりました。

 さてさて彦兵衛どんがいつも向う山には、ここに人が住み着く遥か昔から、一人の天狗様が住んでおり

ました。ですがこの天狗、悪戯者でいつもいつも村人に迷惑をかけては、ひゃっひゃと笑いながら飛び去

ってしまうのです。

 それでも悪戯が子供がやる程度なのと、何より人間は空を飛べないもので、天狗様のやる事と皆諦めて

いたのですが、村人は大変困っていたそうです。

 子供は泣かされるし、畑仕事に行こうにも仕事道具を隠されたり、今晩の飯にととっておいた野菜がい

つの間にか食べられていたりするのです。

 彦兵衛どんも樵仕事の最中に、何度も悪戯されていたのですが、天狗様に言っても仕方ないのだと諦め

ておりました。何しろ天狗様相手なのですから、どうにも出来ません。下手に手を出すと怒って何をして

くるか解りませんし、それに天狗様にも悪意があるようには見えないのです。 んでした。皆どこか憎めないこの天狗様が、嫌いではなかったのでしょう。

 きっと天狗様も村人が好きで、好きだからやっているのでございます。もし本当に悪意があったとすれ

ば、悪戯程度ではすまないだろう事も、皆よくよく解っていたのです。

 彦兵衛どんが朝からせっせと木を伐っておりますと、いつものように天狗様が現れました。天狗様はい

つも空からふわっと突然に現れるのです。

 まるで大きな鴉(からす)のようでした。

「おうい、おうい、彦兵衛や。今日も木を伐っとるな」

 天狗様はとても大きな声で、一度(ひとたび)口を開けば、山中にその声が響きます。

 側で聞いていると耳の奥が痺れてくるのですが、彦兵衛どんはもう慣れっこでした。

「おうよ、今日も伐っとるよ」

「彦兵衛、彦兵衛、そんなに伐るのが楽しいか」

「楽しくはないが、やらねばまんまの食い上げじゃ」

「彦兵衛、彦兵衛、手伝ったろか」

「いやじゃ、いやじゃ、自分でやるわい」

 前に手伝ってもらった時は、天狗様も面白かったのか、確かに木を伐ってくれたのですが。それがもう

途方も無い大木で、その場から動かせもせず、通行の邪魔になり、村人総出でひいひい言って片付けたと

いう事がありました。

 天狗様は確かに手伝ってくれたのですが、彦兵衛どんは流石にもう二度とあんな目にあうのはごめんな

のです。天狗様は飽きっぽく、伐った木はほったらかし、それではちょっと困るのです。

「なんじゃ、面白うないのお」

 いつもは断ると他に悪戯しに行くのですが、今日は何故か天狗様は彦兵衛どんをじっと見ております。

「彦兵衛、彦兵衛、何ぞ欲しい物ないか。今日は何でもくれてやるぞ」

「何でもじゃと」

 彦兵衛は手を止めて、木の枝に座る天狗様を見上げました。

 天狗様がこんな事を言うのは初めてで、彦兵衛どんはどうしていいか解らないようです。

「そうじゃ、何でもじゃ。実はわしはもうすぐ此処を出ねばならん。お前らはわしといつも遊んでくれよ

った。そいで最後に何かくれてやろう思てな」

 彦兵衛は天狗様の顔を見詰めましたが、どうも冗談を言っているようには思えません。

「何でも言われても、わしゃあ阿呆じゃ、解らんわい」

「ほうか。そいじゃあ、大きなつららと小さなつらさ、どっちか選べい」

 彦兵衛どんは笑いました。

「何じゃ、いくら阿呆言うても、それくらいは解るわい。どっちを選んでも損するだけじゃ」

「うわははははッ、彦兵衛もちっと頭良くなったわい、うわははははッ。上手く避けたもんじゃあ、なら、

それをくれてやろ」

 天狗様も笑いながら飛び立ち、しかしそれっきり二度と村人の前に現れる事はありませんでした。

 此処から出て行くのは本当の事だったのでしょう。そういえば、例え冗談は言っても、天狗様は嘘を付

いた事はなかったのです。

 村人はこれで悪戯に困る事は無くなったのですが、それでも寂しさが消える事はありませんでした。や

っぱり皆、天狗様が好きだったのです。あの笑い声が懐かしいのです。

 こうして少しだけ静かになった村で、村人は天狗様を思い出しながら、少しだけ寂しく暮し始めました。

 しかし話はこれだけでは終わりません。不思議な事に、天狗様が居なくなってから、この村の中では天

災や流行病、干ばつといった事がまったく起こらなくなったのです。

 付近の村でそれが起こっても、決してここには来ず、病も村を避け、雨が降らなくても水が村から消え

る事がなかったのです。

 村人は不思議に思ったのですが、いくら考えても解りません。此処は別に特別な場所ではなく、何か特

別な事があったという話もありません。天狗様が一人住んでいた山があるだけなのです。

 長らく不思議におもっていたのですが、彦兵衛どんがふと思い出しました。

 そう、あの時、あの時確かに天狗様はこう言ったではありませんか。上手く避けたものじゃあ、なら、

それをくれてやろ、と。

 そうなのです。天狗様は彦兵衛どん達に、厄除けをくれたのでした。

 彦兵衛どんはこの事を村人達に伝え、皆で天狗様を祭る為のお堂を建てました。いつでも天狗様がここ

に戻ってこれるように、そして皆が天狗様の事を忘れないように。

 これが今も残る、厄除け天狗堂なのです。

 天狗様は今日も山におわし、厄から人々を守っておられます。

 この村では時折羽音が聴こえたり、いつの間にか物が無くなったりするようです。

 でもそんな時も村人は慌てません。あ、天狗様がお帰りじゃと、すぐにお供え物を持って、お堂に参拝

に行きます。するとその年、この村には必ず良い事が起こるのだそうです。

 そしてお堂の天狗様は、いつも楽しそうにひゃっひゃと笑っておられるのだそうです。 

 そんなお話。


                                                            了




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