天海竜


 地上に雨が降り注ぎ、大地に染みた雨は海へと流れ落ち、海に集った雨は再び天に吸い上げられて雲に

蓄えられ、そしてまた地上へと降る。

 これが天と地の大いなる営み。

 この大いなる自然の営みを、司る大きな竜が居る。

 天海を守護する偉大なる竜王であり、全ての水に関する運行を司る神でもある。

 天海竜とも天海王とも呼ばれている偉大なる竜。その姿は雄々しく気高く、天全てを覆う程巨大であり、

その巨体を雲と化して、世界中に雨を降らせている。

 その個々の場所によって、彼を手助けする竜がいる。その中でも特に力のある竜が四海竜王だろうか。

彼らは東西南北を司る、天海竜に次ぐ水神と言われている。

 そして彼らの下に大小様々な竜が居て、たくさんの竜が世界中の営みを見守っているのだ。

 注意深く、そしてある時は豪胆に。

 竜は風の神でもある。人間の間では風の神は別として竜とは分化されているが、風も単に竜達のはばた

きが巻き起こす一つの現象に過ぎない。

 時に天海竜が身を揺るがす事で、台風のような大きな風が巻き起こる事がある。しかしあれですら単に

天海竜が身動ぎした程度でしかなく、翼をはためかせてすらいない。

 天海竜は創世に一度大きくはばたいただけで、それ以来一度もはばたいていないと言われている。その

一度のはばたきで、彼は未来永劫空に飛び立てている事が出来。それだけにはばたきの時に起こる力は凄

まじく、大地が全て水で覆われる程の強風が、長い年月吹き荒れる程だという。

 その余りの凄まじさに思わず天帝が口を挟み、はばたく事をある時が訪れるまで禁じた。

 天海竜が再びはばたく時、一説にはそれは終末の時、水で大地全てを洗い流す時にのみ、もう一度だけ

はばたくと言われている。

 だが、そんな大いなる存在の彼でさえ、元は一匹の鯉だった。

 それは地上が出来る遥か以前、天帝の庭に飼われていた一匹の鯉が、天かける星を巡りながら天の川を

たどり、その原点にある天の滝を登る事で、最初にして最大の竜となったと言われる。

 それはまったくの偶然か気まぐれであったとも、天帝の偉大なる思慮の内の出来事だとも、様々に言わ

れているが、本当の所は誰にも解らない。それはただ天帝の御心にのみ在る事だからである。

 神でさえ憚られる事であるのに、人がその御心を覗き見ようなどと、真に畏れ多いことだ。

 天の滝を登った鯉は天海竜一神だけと言われる。

 ならば他の竜は何処から生まれたのか。

 彼らは天海竜とは違い、多くは地上の鯉であったそうだ。天海竜と同じように、彼らも一匹の鯉だった

のだ。

 鯉達は長い年月をかけて地上の滝を登ったが、最初の四匹が最も高く飛び、なんと天海竜にまで届いて、

彼に触れる事で偉大なる力を得た。その他の鯉達は天に届くのがやっとで、竜とはなれたものの、竜王と

なるまでの力は得られなかった。

 竜王になって始めて神と呼ばれる。竜ですら、まだ一匹の獣でしかない。天とは神とは、果てしないも

のであり、最も神に近いと言われる竜でも、神となるには遥かな高みを目指す必要がある。

 その途方も無い高さは、今までにたった八匹の竜しかたどり着けていない事からも解るだろう。

 一般に彼らを八大竜王と呼ぶ。彼らは四海竜王とはまた別の役目があり、直接地上に赴いてそこから天

の運行を見守っているようである。

 竜王にはなれたが、まだまだ天海の采配を任すには足らないと言う事だろう。

 八大竜王と呼ばれても、彼らは四海竜王のように天海竜に触れる事が出来た訳ではない。ようやく四海

竜王に触れられただけなのだ。天海竜までは遥か遠い。

 他には蛇から竜になったという話もある。しかし蛇では滝を登る事は叶わず、霊山や霊泉の力を借りて

竜王を降ろし、竜王に触れた事で竜となったものの飛べはせず、地上にある池や川に住まい、その地を司

る水神となったそうだ。

 今も池や湖に住まう竜達が、おそらく彼らか、彼らの子孫なのだろう。

 彼らは八大竜王に頼み込んで触れさせていただいただけであり、そう言う意味では純粋に神とは呼べな

い。彼らは天にはまったく関係あらず、一匹の獣と言う方がどの竜よりも相応しい。

 彼らでは八大竜王に雨を乞うのが精一杯だろう。しかしそれでも竜の一端として、天地の運行を懸命に

助けている。いつか天に登れる日を夢見て。

 それだけ天は高く。天の高みである天滝を登った天海竜が、途方も無く偉大と言う事である。

 しかし天帝に飼われていた天海竜は良いとして、何故最初の四匹の鯉だけが、四海竜王として天海を御

していられるのだろうか。

 それには様々な説があるが、最も有力なものに、彼らは天海竜が鯉であった時に生んだ子であり、地上

に現れた一番初めの鯉であったからだ、という説がある。

 海を司らせる為に地上に降ろされたものの。彼らは天に生まれ、天帝と天海竜の加護を受けており、天

に近い存在であるからこそ、天海竜に触れる程高く昇れたのだと。

 それでも触れただけである。ほんの少し、地上から天に抜けた時、その最も高く上った時にだけ、僅か

な時間触れたのみ。

 天海竜の心が住まう天の高みを見る事が出来るのは、彼の他には天帝だけだろう。

 天の滝を登れたのは、ただ天海竜一神であり、四海竜王でも天の滝にたどり着けてもいない。遥か遥か

高きから、天なる海は流れてくるのだ。

 天海竜はその巨体を雲と化し、天帝の下、世界の運行を司りながら、自らは天滝の高みに居り、我が子

らが昇ってくるのをいつまでも待っている。

 どれだけ先でも気にはしまい。彼には無限とも言える時間と仕事がある。

 天海竜は天にたゆたいながら静かに大地を眺め、或いは水の一粒一粒となって世界を渡り流れ、或いは

風を起こして大地を揺るがし働きかけ、永遠とも呼べる時間の中、自然そのものとなって見守っている。

 こうして大いなる天海竜の下、四海の王に統べられて、世界は竜達によって水に満たされているのだ。

                                                              了




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