時間凍結


 少年は不思議な力を持っていました。

 時間を止める。いや、凍らせる事ができるのです。

 少年が手をかざして念じると、その空間はカチカチと瞬時に凍り付き、動かなくなるのです。

 けれど不思議な事に、少年以外の全ての生命にとっては違和感のない光景で、その空間が凍っていると

いう意識はなく、そうである事が普通であるように見えるのでした。

 凍った空間は朝日を浴びるたびに少しずつ溶けていき、いつしかまた元のように動き始めます。

 溶けた空間も当たり前のように動き始め、もしそこで凍っていた人がいても、自分が凍っていた事さえ

解らないですし、凍っていた時間も違和感なく記憶の中に溶け込むようなのです。

 これは本当に不思議な事でした。

 少年は初め、これは素晴らしい力だ、これさえあれば何をやっても怒られないぞ、なんて思っていまし

たが。そうではない事にすぐに気づかされました。

 例えばイタズラをして両親に叱られそうになった時、両親を凍らせて無かった事にしようとしたとしま

す。そうすると確かに両親が凍っている間は怒られずに済むのですが、溶けてしまうと当たり前のように

叱られるのです。

 凍っている間の時間は飛ばされてしまうようで、その時持っていた感情もそのまま凍り、溶けるとその

ままの心で動き出すようなのです。

 結局何日か叱られる時間が延びるだけで何の解決にもならず、少年はそんな事に力を使うのは無駄だと

思って止めてしまいました。

 溶けたら怒られる前にまた凍らせてしまえば良いじゃないか、とそう思われる人も居るかもしれません。

でも両親を凍らせてしまうとご飯とかお洗濯とかを自分で全部やらないとならなくなりますし、ずっと家

に独りきりになってしまいます。少年にとってはそっちの方が辛いのです。

 赤の他人なら良いんじゃないか、なんて思われるかもしれませんけど。少年にも何回目の朝日で溶けて

しまうのか解りませんし、いつ溶けるのか、いつ溶けるのかとびくびくして暮らすのは怒られるよりもず

っとしんどい事でした。

 でも持っている力を使わないままにしておくのは勿体ないですから、少年は今度は良い事に使おうと決

めました。

 最初は良い気分でした。事故を防いだり、一方を凍らせてケンカをできなくさせたり、そういう事でし

たらいくらでもできますし、誰からも怒られません。

 一時しのぎでしかないこの能力も、そういった事には役に立つのです。人と人の諍いは少しの時間を与

えるだけで解決してしまう事が多いのです。

 でも次第にそれも面倒なだけになってきました。

 何しろ一日で何度も何度もそういう場面に出遭うのです。それにケンカをできなくさせたとしても、そ

の二人がもう一度出会ってしまうとまた同じように同じような事でケンカをしようとします。

 いい加減にしろ、何度同じ事をやっているんだ、と少年が思ってその人達にそう言ったとしても、今度

は二人して少年に怒ります。これではやってられません。

 さすがに事故は見逃せませんので助けていますけれど。ケンカとか人同士のどうでもいい争い事に関わ

るのはうんざりしてしまいました。

 争う人はどういう理由をつけても争うもので、そういう人に何をしても救いは無いと知ったのです。

 何だかさみしい話ですが。少年はそれほど他人に興味はないので、そんなもんかと思ってがっかりもし

なかったのですが。これで良い事にも悪い事にも力を使う気がなくなりました。

 少年は大人から世の中には善と悪がある事を学びましたが、そのどちらでもない事、それ以外の事は教

えてもらっていません。善にも悪にも使えないこの力をどうしたらいいか解らなくなってしまいました。

 使えないなら放っておけばいいんじゃないか、とおっしゃる方もおられるでしょう。

 確かにそうです。使えないものを無理に使う事はありません。放っておけば、それはそれで楽だったと

も思います。

 でも確かにそこにある力を、それもきっと特別な力を、まるで何も無いかのようにふるまう事は難しい

事です。

 人はそこにある力を使いたいと思ってしまう生き物です。もったいない、何か使い道があるのではない

か、そんなどうでもいい事をいつも考えて生活しています。

 その人の持つ力もまた個性であり、その人自身を現す一つの記号だと考えているのかもしれません。

 少年がそんな小難しい事を考えていたのかは解りませんが、手持ちぶさたな気持ちである事に変わりは

ありませんでした。

 せっかくあるのだから何かに使いたい。でも使い道が無い。いや、正確にはあるのですが、少年が思っ

ていたような使い道はありません。その事が心にささった小さなトゲのようにしくしくと少年を苦しめま

した。

 自分の力を自分が満足できるように使えない事は、自分に何も力がないのだと思わされる気持ちに似て

いました。お前は無力なんだ、結局何もできないただの人間、いや力がある分だけその辺の人間よりも劣

った頭を持つ人間なんだ、とそんな風に思わされるのです。

 少年は次第に外に出るのを嫌がるようになり、家に閉じこもるようになりました。

 外へ出ると自分が人よりも劣っている事を見せつけられるような気がして、この世界そのものに笑われ

ているような気がして、外と関わる事さえ避けるようになっていったのです。

 少年は外がこわくなったのです。

 両親は少年を心配し、お医者さんに見せたり、色んな人に相談したりしましたが、誰も少年を助けられ

ませんでした。それだけならまだしも、中には正直に自分の持つ力の事を話した少年を嘘つき呼ばわりし、

さんざん悪口を言って自分をすっきりさせてから帰るような人達もたくさんいました。

 普段は立派で人助けをするえらい人達と言われていても、自分の知らない事には誰もが無力で、そんな

無力感を味わわせてくれた少年に対して腹を立ててしまうのでしょう。

 そんな事を何度も繰り返している内に、少年は誰かに正直に話す事を止めるようになりました。外だけ

でなく、人そのものがこわくなってしまったのです。

 両親は何とかして少年を助けよう、力になりたいと思い、必死に少年を説得したり、この人はだめでも

この人ならとさらに多くの人間に会わせようとしたのですが、それもまた逆効果で、少年はますます頑な

に人を拒否するようになっていきました。

 次第に両親と少年の間にも溝ができるようになり、両親も腹を立てて少年を放っておくようになりまし

た。もう勝手にしろ、という訳です。

 実の子供ですからそれでもかわいくて、初めはご飯を持っていったり、たまには声をかけたりもしてい

たようですが、子供に対する無力感をこれ以上味わいたくなくて、そんな想いにさせてしまう少年に腹を

立てたりもして、心はどんどん疎遠になっていってしまいました。

 そしていつしか五十年という時間が流れていました。

 両親はとうに亡くなり、少年は年老いた老人になりました。

 もう家族はなく、親類も少年には近付きません。それでもこうなる事を見越して両親が何とか必死に残

してくれた財産と家があるおかげで食べる事はできております。

 少年は両親に感謝して、こんな自分になった事を後悔する日々を送っているのですが、やはり人と関わ

り合う気にはなれませんでした。

 今でも昔の友達とかが会いにきてくれたりもするのですが、居留守をしたり、一言二言話して追い返す

ように帰ってもらったりして、人嫌いはひどくなっていく一方です。

 長い間独りでいましたから、老人にとっては独りでいる方が自然な姿になってしまったのかもしれません。

 老人は何もかもを諦めていました。

 諦めて、嘆いて、それでいて何もしない。そういうごく普通の大人になってしまったのです。もう力を

使っていた頃の、あの意欲に燃える姿はどこにもなく、身も心も枯れ果てていました。

 けれど老人も人間です。日々を悩み、ただ食べて寝て、食べて寝ているような暮らしには満足できませ

ん。何かをしたい、何かをしたいとはいつも思っていました。

 そこで植物を育ててみたり、楽器を練習してみたり、色々やったのですが、どれも長続きしません。何

かをしたいという気持ちは、何でもいいからしたいというのとは違うのです。何でもいいからやれば満足

すると考えたのは、とんだ勘違いでした。

 でもその中でただ一つ、続けていた事があります。

 それは日記でした。

 初めは事細かに日常を記録しているだけだったのですが、段々とこうしたいああしたいというような色

んな想いを入れるようにもなり、その内もしこうしていたらああしていたらというような想像まで入るよ

うになって、いつしかそれは一つの大きな物語のようになっていきました。

 自分の人生というよりは、老人の頭の中の夢の話を写し込んだかのような、そんな物語に。

 老人はその物語を書く事に夢中になりました。もう実際の事とか、現実の事なんかはほとんど出てきま

せん。子供の頃に夢描いた冒険に出ていたり、目に映った物から連想される色んな事を頭に浮かぶままに

書き記しました。

 ある時は椅子が空を飛んで逃げて行ってしまい、老人はその元恋人の椅子と一緒に彼を追いかける為に

旅立ちました。

 またある時は暖炉から不思議な声が聞こえてきて、その美しい暖炉の精霊と恋に落ちたりもしました。

 老人は幸せでした。

 少なくともその物語の中ではいつも幸せでした。

 書いている時だけは孤独もこの無駄にしたと思ってしまう五十年の時間も忘れる事ができたのです。

 そうして老人は書いて書いて書きながら命を全うしました。

 彼が本当に幸せだったのかどうか解りません。でも老人の遺した日記、いや物語を読んだ人々の目から

は自然とあたたかい涙がこぼれ落ちました。

 物語に感動したのではありません。それは素人が書いたものらしくありふれた、どこにでもある、誰も

が一度は考えるようなそんな話なのでした。

 でもそんな話を偏屈で得体の知れないと思われていた老人が書いていた事に彼らは涙したのです。

 その物語には誰を恨む言葉も、世の中を嘆く言葉も一つとしてありませんでした。全ては夢あふれ、ま

るで少年のままそこにいるかのように思えたのです。

 皆、その老人が本当は心優しく、思いやりのある人だという事を知ったのです。

 そしてそんな人が五十年も独りでいなければならなかったさみしさと自分もまたそうなっていたかもし

れないという一つの想いを知りました。

 彼らは人が人である事に、自分や老人が人である事に涙したのです。

 この生の悲しみに。

 そしてこの生の喜びに。

 誰もが涙を流したのでした。

 その老人の日記は一つの物語として出版され、広く世の人に読まれました。

 老若男女関わらず、人であれば誰もがその物語に、その物語を書いた老人に涙しました。

 今でもその老人のお墓には世界中から贈られてくる花で絶えないそうです。

 そんなお話。





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