戸惑う夕暮れ


 私の名はテキサス・サンダース・モクモク、生粋の白雲である。

 我が雲系は代々白雲を生業(なりわい)とし、それを誇りとしている。

 黒雲のように雨を降らして下界を水浸しにするようなまねなどした事も、しようと思った事もない。由緒正しき

白雲族である。

 とはいえ、我々も一枚岩ではない。

 雲の形状が一つではないように、我々の思想もまた一つではありえない。

 皆気まぐれであり、一定の答えを持つ事もない。

 流されるまま過ごした過去もある。

 変幻自在を旨とし、白雲族として長き時を生きてきたのだ。

 そしてその事で今大変に困っている。

 他ならぬ夕暮れの事だ。

 ご存じの通り、全てが朱に染まる夕暮れ時、我々誇り高き白雲族もまた一様に赤雲と化す。

 勿論、黒雲達がなる赤黒雲のように下卑た色合いではないし、高貴ささえ佇む風格を持つ赤なのだが。本来の生

が白く、透明であるが故に、その赤に魅了されてしまう雲がでている。

 我々は例え夜になり暗白雲となったとしても、黒雲達のように決して黒に染まる事はないのに、何故かあの時間

帯、あの赤さが心を震わせ、魅了する。

 そう、君たちで言えば酒にあてられたかのような状態となり、その勢いに浮かれたまま赤に取り込まれてしまう

のだ。

 いやいや、確かに赤くはなるとしても、すぐに日が完全に落ち夜がくれば自分を取り戻すのではないか。

 なるほど、もっともなご意見である。

 しかし、問題なのはまさにそこなのだ。

 確かに夕暮れの後には夜がくる。これは間違いの無い事実であり、また喜ぶべき事であろう。赤の酔いも夜には

冷めるという寸法である。

 けれども冷めるということはその瞬間に赤に酔っていた自分を思い出し直視してしまうという事になる。

 赤に取り込まれるような心弱き雲はその瞬間に自身の弱さに絶望し、恥を想い、自ら命を絶ってしまうのである。

 その雲らはまるで夜に溶けるようにして、ただの空気へと拡散してしまうのだ。

 赤雲に浸り過ぎる事によって体が熱せられ、或いは羞恥からくる熱量によって融かされ、雲としての肉体を維持

できなくなってしまうという事もあるのかもしれない。

 我々にとって熱量は毒と同じ。

 このままでは由緒ある我が一族が衰えてしまう。数、量こそが力。それを失えば誇り高さも滑稽に映ってしまう。

 それは雲も人も変わらない。

 要するに自然の理と言う事だ。

 だが理だから諦めろと言われても、そういう訳にはいかない。

 私の雲としての沽券(こけん)に関わる問題だ。

 そこで我が一族には夕暮れ時には山の後ろに隠れるよう忠告した。

 これは名案であるように思えたのだが、先程も言ったように夕暮れ時には酩酊(めいてい)状態になる。

 それに一族達も皆自分が夕暮れに負けるような雲ではないと言い張っているから、なかなか素直に聞いてはくれ

ない。

 今まで赤雲になってしまった雲もまたそのように言い、そういう根拠の無い自信から身を滅ぼしているのだが、

その雲らは自分はそのような軟弱雲とは違うと言い張り、どうしても私の言葉を受け容れてはくれない。

 我らが誇り高き一族であるからこそ、他雲の言う事など聞こうとしない。例え本当は私の言う通りにする方が良

いのだと悟ったとしても、誇りの手前認める訳にはいかないのである。

 悲しいが、それが雲というもの。

 白も黒も赤も関係無い。それが雲という生き物である。

 どんな雲も日陰雲なんぞにはなりたくない。表で空の上に浮かんで堂々として居たい。それが雲情というものだ。

 私は困った。

 その雲らの心意気は評価すべきであるが、それでは私の望みが叶わない。我が一族の勢力は衰えていく。

 では逆に他の雲達を陥れるように仕向けてはどうか。

 確かに悪くない考え方だ。自分達が良好な状態になる事も、他雲が悪しき状態になる事も、相対的に考えれば変

わらない。私の望みは叶うだろう。

 だから試しに、白雲たる雲、赤落ちを恐れるなどと言語道断、むしろ夕闇に身をさらし、堂々と夕を味わうべき

だ、などと吹聴(ふいちょう)してみた。

 これは初め上手くいったが、すぐに逆効果になった。

 私がそんな事を言い出したものだから我が一族は対抗心をむき出しにし、敢えて赤落ちしやすい状況に身をさら

すようになってしまったのだ。

 こういう場合に雲縁関係というものは、本当に厄介である。忠告は聞かないというのに、見栄の張り合いとなれ

ばやらんでも良い事を進んでしたがる。

 うんざりしてしまうが、それも我が一族の誇り高さ故、仕方の無い事か。

 私はもう諦める事にした。

 諦めてこのままの状態を受け容れ、維持する。その方が良いように思えたのだ。

 考えてみるに、私が何かをしようとする度に、よかれと思って何かをする度に、それは両刃となって私に返って

きた。

 何もしない方が良いとは言わないが、自分以外の事を自分の了見で無理に進めようとすれば、何一つ良い結果は

生まない。それどころか自分にとってどんどん不味い状況になってしまう。

 これを愚かと言わずして何と呼ぼう。

 つまりは自分が決められるのは自分の事だけであり、自分が満足できるのも自分の事だけと言う事なのだろう。

他雲に口出しして良い結果を生んだ事など何も無い。一時の自己満足が得られるだけだ。

 これは考えてみれば当たり前の事であったが、それに気付くまでに長い時と多くの犠牲を出した事は悔やんでも

悔やみきれぬ事である。

 最早過ぎた事は望まない。

 雲は雲の了見で生きているのであり、私の了見で全ての雲が動いている訳ではない。全ての雲の望みもまた一様

ではなく、それで良いのだ。そうであるべきなのだ。

 それを無理に私一色に染めようとすれば、悲劇となって当然である。

 私は誇り高き白雲の一族。ならばいつも通り雄々しく独り、この空を漂っておればよい。

 例え赤に負けて自滅の道を選ぶ雲が出ようとも、誇りさえ失わなければ後に続く雲はいくらでも現れる。

 本当に不味いのは、我が一族の誇りを継ぐ雲が出ない事であり、偉大なる我らの心意気を理解しない子孫ばかり

になる事である。

 それだけは避けなければならない。

 全ての雲は同じ白でも等しく違う。君たちの言葉を借り受けるならば、それを肝に銘じておこう。

 私は雲。

 誰に従う事も、従えられる事も無い。

 そして他の雲もまた同じ。

 我らは皆雲である。

 雲らしからぬ事を望むべきではない。




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