問いかける花


 森に咲く花は一つだけ。沢山の森がある。でもどの森にも花は一輪、決して二つ以上は咲かない。それ

なのにこの森には森いっぱいに花が咲いている。端から端まで花があふれている。どういう理由かは解ら

ない。けれど咲いている。

 珍しさに手折ってみようと腕を差し伸ばすと、不意にその花が話しかけてきた。

「何するの、何する気なの」

 綺麗だから持って帰ろうと思って、というような事を言うと。

「綺麗なのに壊すの。折ったら枯れちゃうわ。枯れちゃったらもう綺麗じゃなくなるわ」

 それはそうだと思ったので、折らずにそのままにしておく。このまま放っておけば暫くの間は綺麗に咲

いててくれる。でももしこの花を折って持ち帰ってしまったら、すぐに枯れてしまうだろう。

 何故綺麗な花を枯らせる必要があるのか。そもそも何故そんな事をしようと思ったのだろう。綺麗なま

ま見ていたかっただけなのに、それを枯らせるなんて。

 何だか悲しくなって去ろうとすると、別の花が話しかけてきた。

「何故折らない。何故持ち帰らない。何故心の求めるままに行動しない。人間はそうするものだろ」

 でも折ったら折角咲いた花が枯れてしまう、というような事を言うと。

「馬鹿だな。折らなくてもいつかは枯れる。なら今枯れたって同じだろ。枯れるか枯らせるか、それだけ

の違いだ。何も変わっちゃあいない」

 私はなるほどと思ったので、その別の花の方を手折り、懐に入れた。そうすると私の胸に花が咲いたよ

うで、少しだけ心が綺麗になったような気がした。

 折った花は二度と話す事がなかった。

 気分が良くなったので、もう少し奥まで進んでみる事にする。もしかしたらもっと綺麗な花が咲いてい

るかもしれない。もっと何か良い事が起きるかもしれない。どうせ何もする事がないのだから、ずっと散

歩していたって良いだろう。

 そんな風にぶらぶらしていると、また花が話しかけてきた。

「何をしているんだい。一体何をしているんだい」

 別に意味はない、ただ歩いているだけだ、というような事を言うと。

「意味の無い事をしている。なんて馬鹿な。そんな時間があるのかい。無駄な事をしている時間があるの

かい。だとしたら一体いつまでだい。いつまで無意味でいられるんだい」

 花からそんな風に言われると不安になってしまう。

 確かにこんな事をしていて何になるというのだろう。自分の為、人の為に何かなるのだろうか。この綺

麗な花を見せれば喜ぶ人も居るかもしれないし、実際私も喜んだ。でもそれが一体何になるというのだろ

う。綺麗だからどうだというのか、どうせすぐに枯れてしまうというのに。

「生きるだけで大変なのに、無駄な事をしている暇なんかあるのかい。だとしたら凄い不幸だね。凄い幸

せだね。どっちかは、誰か決めてよ」

 私がぼんやり寂しがっていると、それを不憫に感じたのか別の花が話しかけてきた。

「気にしなさんな。気にしなさんな。取り合えず生きているから良いでしょう。生きる事以外に、一体ど

んな必要のある事があるって言うんだい。他の事は何だって良いじゃないか」

 そう言われたらちょっと元気が出てきた。

 確かにそうだ。別に恥ずかしい事をしている訳でもなし。ただ生きている、生きて散歩をし、綺麗な花

を見る。それの何処か悪いのだろう。意味があるとかないとか、それを考える事自体が無意味なんじゃな

いか。大体、意味のあるなしなんて、誰が決めて、誰が認めれば良いんだろう。

 でもさっきの花はまたこんな事を言ってくる。

「そうやってずっと言い訳してたって、心の寂しさは消えないさ。解るだろ、この虚しい気持ち。ただ生

きているだけで良いって強がっても、結局意味が無ければ寂しさは消えないんだ。だったらそのままでい

いのかい。無意味に生きてて良いのかい」

 すぐに不安に押し潰されそうになる。

 どうすればいい。どうすれば。どうしたらいいんだ。

「良いのさ。良いのさ。生きているだけで良いのさ。他に何もしなくたっていい。人間に余計な事をされ

たら、他の者が迷惑してしまう。人間は黙って生きていれば良いんだよ。それで良いじゃないか」

「駄目だ、駄目だ。例え人間が花を枯らす事しか出来ないとしても、無意味に生きるなんて勿体無い。た

った一度の人生だ。無意味に終える意味があるのかい。有意義に幸せに、楽しく生きなければ生きている

意味がないよ」

「違う違う、何言っている。好きに生きても虚しいだけ。誰にも感謝されない、傷つけるだけの人生なん

て、虚しいだけさ。誰だって感謝されたいし、尊敬されたい。その為に生きているのさ」

「何だって、そんな事誰が決めたんだい。何もしなくて良いのさ。そのままぐうたらして楽しく過ごして、

そして後悔すればいい。それこそ誰が見ても面白いってもんじゃないか」

「いやいや待て待て。いくら人間が観賞用動物だとしても、そんな可哀想な人生を送らせるなんて罪だ。

ちゃんとまともに生きられるように手伝ってあげないといけないね。我々が導いてあげないといけない」

「そんな面倒くさい。ほっときゃ良いんだよ。ほっとけよ。勝手にさせときゃいいんだ」

「駄目さ。花だって何かしないと」

「良いんだよ。導くなんて何様のつもりだい。何も教えず悟らせず、憐れに生きさせてやればいいのさ」

「違うね、教育こそ花さ。思想の種を植え付けるのさ」

「下らないな、ほっとけよ」

「そうだよ、何にもしないで黙ってる方が楽だし楽しいよ。勝手にさせときゃいい」

「何だって、じゃあ何もせず黙って見てろって言うのかい。そんなのつまんないよ、色々かきまわしてや

ろうよ」

「馬鹿だな。こうして上から何もせずに見ながら好き勝手に議論するから楽しいんじゃないか。花が参加

したら台無しになるだろ。そうじゃないかい、無責任な人間さん。あんたたちの生き方って面白いね。面

白いよ。だから真似してみたけど、楽しかったかい」

 沢山の声が消えていく。

 私がうずくまって何も言えなくなったので、花たちは飽きてしまったらしい。

 もう嫌になったので、そのまま振り返らず真っ直ぐ進んだ。確かに森に花は一輪でいい。それ以上はう

んざりだ。

 泣くようにして走り続けたけれど、その内良い匂いがしてきたので、立ち止まって顔を上げてみた。そ

こにはまた花が咲いている。でも今まで見た花とは違い、優しげで、やっぱり良い匂いがする。

 花は何も言わずそこで静かに生きているので、嬉しくなって側で休ませてもらう事にした。そういえば

ずっと歩いていたからとても疲れている。疲れたら休まないといけない。

 そのまま静かに眠りに落ちた。

 目が覚めると花が枯れ、酷い臭いがしていた。たまらなくなってその場を逃げ、良い香りの花を見つけ

てはその側で休む。でも暫くするとその花も枯れてしまい、ひどい悪臭を放つ。何度やってもその繰り返

し、何処も酷い臭いになってしまった。

 私が行くと花は必ず枯れ、酷い臭いになる。

 理由は解らない。でも私が原因なのは確かで、私が全ての良いものを枯れさせていく。懐の花もいつの

間にか枯れていた。多分私が居たせいだ。私が折ったからだ。何て事をしてしまったのだろう。

 ああ、臭い。どこも酷く臭う。私の居る場所はどこも臭いしうるさい。耳鳴りがするし鼻が歪む、一体

どうすればいい。何処へ逃げればいい。

 泣きたくなって、泣くようにしてまた逃げた。何処まで逃げたかは解らない。でも気付くと臭いは消え

ていた。何処に消えたのだろう。

 そこは開けた場所だった。色んな花がここにも咲いているけれど、ここの花は枯れていない。私が居な

かったからか。それとも私がまだちょっと離れているからか。解らないけれど良い場所だ。

 ここは臭くない。

「何しているの、こっちへおいでよ」

 花が話しかけてくる。

「おいでよ、こっちへおいでよ」

 ふらふらと近付いた。まるで花に誘われる虫だ。でも虫は・・・。

「おいでよ、そして枯らしなよ。今までの花と同じように」

 足が止まる。そうだ、虫は枯らさない。でも私は・・・。

「枯らしなさい。枯らしなさいよ。枯らせてよ、今までみたいに」

 怖くなってまた逃げた。何処までも何処までも。花は何処に咲いても綺麗だ。でも私はどこにあっても

臭いしうるさい。だったらどうすればいい、どうすれば。

 花はいつも満開、綺麗に私の心を傷つける。花はとても優しい、嘘を付かない、だから残酷だ。そして

枯れさせてしまう。とても怖い。

 もう嫌になって丸くなり、そのまま動かずずっと待った。私が枯れる時を。

 私が花を枯らすなら。私もいつか私に枯らされる。

 いつまで経っても枯れない。一体どうすればいいのか。どうすれば安らげる。安らげる場所は何処にあ

るのか。

 また声が聞こえてきた。

「どうしたんだい。今更止めても枯れた花はもう戻らないよ。一度枯れた花は二度と咲かない。そんな事

は常識だって、君、言ってなかったかい」

「本当に愚図な人間だよ。黙ってれば済むと思っている。花が諦めるのを待っている。でもね、何したっ

てあんたは枯らすんだよ。それしか出来ないのさ。さっさと枯らせてしまえば良いのさ」

「まあまあ皆さん、もう良いじゃないですか。そろそろ慰めてあげないと本当に枯れちゃいますよ。そし

たら良い暇潰しが出来なくなる。それって詰まらないですよね」

「ああ、そうだったね。優しくしないと枯れてしまうんだったよ。ほんとに枯れてしまうんだから性質が

悪いねえ」

「そうなんですよ、優しくしないと駄目なんですって。まったく何様のつもりなんでしょう、花は散々枯

らすくせにねえ」

 私は耐えた。でもやっぱり泣きそうになって、泣くように逃げた。

 何も聞きたくなかった。でも聞いてしまう。だから余計に泣ける。

 何も言わない花はすぐに枯れて臭い。枯れない花はいつも喋って傷つける。何処に居たって一緒だよと、

誰かが教えてくれているような気がした。

 花の無い場所へ行きたい。花の無い場所へ。

 何処でも良い、どうでもいい場所へ。

 でもそんな場所は何処にも無かった。気付くのが遅すぎたのか。それとも初めから知っていたのか。泣

くのは好きじゃない。でも泣くしかない。もう何処へ行けばいいのか。こんな事をしに、森に来た訳じゃ

あないのに。

 でもそれなら、一体何をしに森に来たんだろう。花たちが居る花たちの場所へ、何故勝手に入り、好き

に枯らしてきたのか。償えそうもない罪を、笑って忘れる事なんて出来ないのに。

 土を掘り始める。

 穴を掘り、そこに種となって埋まれば、私も一輪の花になれるのだろうか、他の人達と同じように。

 そして私はこの森が花であふれている理由を悟った。




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