ツッコミらない師


 貴方がその話にツッコミたいというのなら、是非こちらへお寄りの際は当店までお越し下さい。小さな

石を置いて、待っております。

 いいえ、遠慮なさる必要はありません。その石は誰の物でもないのですから。

 今日もまた人影の許を誰かが訪れる。

 またしても女だ。最早女としか思えない程の女で。これを女ではないと言いたいとしたら、一体どのよ

うに言えばいいのだろう。

 つまり女である。

「紹介してもらったんだけど」

「失礼ですが、紹介者のお名前を」

「越冬美智子よ」

「越冬、美智子、さんですね。確かにそんな名前の方は知りません。どうぞお引取り下さい」

「え、なんですって、そ、あ、そうだ、そうだわ、私道間違えてた。御免なさい」

「どうぞ来世でのお越しを」

 たまには人違いというものもある。これもこの世に迷い人が余りにも多いせいだろう。

 そんな気がする夜もある。

 珍しく二人目が訪れた。この寂れた場所がこんなに賑わうのはいつ以来だろう。人影もこんな珍しい事

があるとふと考えたくなる。

「あのう、紹介していただいて」

「失礼ですが、紹介者のお名前を」

「す、須賀、須賀恭子さんです、確か」

「確かですって! それは確かですか。確かな話なんですか」

「はい、確か、確かに確かそうだったと思います」

「困りましたね。まあ、良いでしょう。結局はそれだけの事なんですから」

 人影は静かに一点を指差す。そこには丸い石があり、ちょうど腰掛けるのに具合が良さそうだったが、

その女は随分短いスカートをはいていたので、座る事を拒否した。

 それはそれでいいとしても、なんと言う細い女だろうか。先日会った女の三分の一も横幅がないかもし

れない。これが同じ女だというのなら、その定義は非常に広い事になる。これは生物分類学上許されない

事ではないのか。

 この点において人影は抗議したくなってきたが、どこに抗議していいか解らないので、諦めた。

「では、どうぞ」

「はい。私、私、困ってまして。実は」

「解ります。解ります。貴方くらいのお歳の方ならば、太るという事に異常なまでに反応され、その結果

として反応、つまり化学反応がですね」

「いえ、違います。私、実は旅に出ようと思うんです」

「なるほど、続けて」

「はい。それで船ごと貸切ったのですけど。どうもよく調べてみると、その船がバイキング船だっていう

噂があって」

「なるほど、それはさぞ愉快なキングでしょう」

「そうなんです。王朝時代の見事な作りで、とてもキングな船なんです」

「解っていますよ。さあ、続きを」

「はい。いえ、それでバイキング船だっていう話で」

「なるほど、なるほどねえ」

 人影は水晶らしき物に手をかざそうとしたが、あいにくそれを忘れてしまっていた事を思い出し、仕方

なく自分の手を自分の胸に当てて考えてみる事にした。

「確かに、確かにあまり良い事はしてきませんでした。でも、でもそれも悪気があった訳ではなくて、あ

くまでも生きる為に」

「そうなんです。例えバイキングだと言っても、それだけで全てを拒否するつもりにはなれなくって。そ

れにとっても格好良い方が居て、どうしてもその船に乗りたいんです」

「ええ、解ります。そのような欲望が時に罪になる事は。でも時としてそれは」

「解ってます。積み荷も一応調べてみたんです。でも特に変わったものはなくて。やけに食糧が多いのが

気になりましたけど」

「そうなんです。食欲っていうのは何よりも強く。時として人はそれが為に。でも私は何も初めからそれ

が目的だった訳じゃなくてですね」

「そうなんですよね。私も気をつけないとすぐに食べ過ぎちゃって。この体形を維持するのって大変なん

ですよ。でももう少ししたら鳥みたいに空を飛べそうな気がするんです。だって鳥って軽いでしょ」

「いやいや、確かに悔いてますが、飛び込み自殺なんかはしようとは思いません。そこは分別ある大人と

しての見解で」

「え、剣なんてありませんよ。貝はありましたけど。でも私貝好きですから別に・・・。気になるの事が

あるとしたらやけに豚肉が多かった事なんですけど、臭いもそんなにしないし、食べてみると結構」

「いけません。それはいけません。欲に心を委ねては身を滅ぼしてしまいます。あの時ああしなければ良

かった、なんて今更言っても無駄なんです。だから私は」

「はい、そうなんです。後で後悔するかもって。だって船旅って時間かかりますから。一月ですよ。そん

なに居たら気まずくなってしまいます、あの方の側にいる肉達磨と」

「ええ、達磨大師は座して己が心と向き合い、世を平らかに見たとか見なかったとか。でも私にはとても

とても真似できない事でありましてね」

「解ってます。私も解ってるんです。例え肉達磨でもずっと側に居ると情が移ってしまうんだって。でも

だからって彼を諦められませんし、何だったら私がバイキングになって彼を略奪して良いと思っているん

ですよ」

 人影は自分の胸から手を離した。

「私の気持ちはよく解りました。貴方がそこまで考えておられるのなら、それでも良いでしょう。確かに

バイキングに出かけて、思いっきり食べ尽くしてしまわる。それは」

「はい、やってしまえば良いんですよね。やっぱり、そうですよね」

「それは他の方にはお勧めしませんが、貴方にはとても効果的だと思います。何故なら、貴方は」

「ああ、良かった。ほんとに私どうしようかと思ってて。でもこれですっきりしました」

「いえいえ、貴方はもうしっかりすっきりした体形をしておられるので、これ以上すっきりされる必要は」

「じゃあ、略奪してきます。何迷ってたんだろう。彼が誰でも、私もそうなれば良いだけじゃない。そう

よ、肉達磨なんて情が移る前に・・・・」

 女らしき客は一人すっきりして去ってしまっていた。人影がそれ以上すっきりすると健康に害を及ぼす

と危惧しても、その思いはすっかり届かなかったようだ。

 しかしそれもまた運命。受け容れずにはいられないもの。

 そうする事が望みなら、そうすればいい。

 人影にはそんな事は関係ない。ここから去ればもう客ではなくなるのだから。

 あの女らしき客が本当はどちらであっても、あの肉達磨よりはましかもしれない。それともやはりそれ

は越えられぬ壁として立ちはだかるのだろうか。

 だがあの客はすでに達磨の極意を会得している筈。だとしたらきっと壁に負けず、壁そのものにもなれ

るだろう。

 それがあの客にとって幸せかどうかは解らない。でも確かに一歩踏み出す事は悪くない。何事でもはっ

きりした結果というものが出なければ、迷いというものを断ち切れないだろうから。

 人影は自分の仕事に満足する事にした。

 そして自分を省みる事で何事か思うところあった人影は、今日から店を出す場所を変える事にしたので

ある。

 元々場所はどこでもよかった。机と自分が座る為の椅子さえあればそれでいい。簡単な商売である。客

は、きっと客の方からやってくるだろう。それが運命という名の引力ならば。

 人影もまたこの場所を去る。それがいつまでなのか、解らないままに。




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