痛憶


 一人の老人が居る。この男はほんの小さな世話を焼き、人から感謝される事を求め続けている。それは

親切心や性分だからというよりは、ある種の病的さを備えている。

 だから確かに手助けをしてくれるが、手助けされる方にとって彼の行動は鬱陶(うっとう)しさを伴う

ものとなる。

 簡単に言えばこうだ。

 相手の顔を覗き込み、自分のした事を目で主張する。そして相手がちょっと怖がりながら礼を言うと、

後は興味を失ったようにさっと帰っていく。

 その後その相手に悪態をつかれても構わない。いや、そこまで考えていないのだろう。とにかくこの男

は感謝して欲しく、それだけが目的なのだ。誰が助かろうと、そのおかげでかえって迷惑を被(こうむ)

ろうとも構わない。その事は老人とは何ら関係の無い事だ。

 でも何故わざわざそのような事をするのか。新手の嫌がらせだろうか。

 彼に関わった者は大抵嫌がらせか狂人なのだろうと思うのだが、老人にも老人なりの訳はある。

 老人は人から感謝される事で初めて一夜の安眠を得られるのだ。

 この老人は若き頃から他人の事など考えず振舞ってきた。自分に従え、皆自分の為にだけ生きている。

だから自分に逆らうな、大人しく言う事を聞け、という風に。

 こういう輩は地獄へさっさと堕ちれば良いのだが、この手の人物に良くあるように、表面上は恵まれた

人生を営み、人に感心されるような地位を築き、結婚もし、仕事を引退してからも地方の名士とでも言う

べき役職を得、自らの優越感を満たすのに不自由なく生きてきた。

 しかしそれ故に犠牲にしてきた事は多く。家族からは嫌われ、彼が居た地位に対して皆が敬意を払うも

のの、彼個人には誰もそれらを払わない。老人は老人ではなく、その肩書きだけを見られている。誰も老

人本人に対して何かを支払う事はなかった。

 初めはそれで良かった。老人には本心がどうなど関係ない事。自分が偉大であるからこそ皆妬み、陰口

を叩く。しかし結局自分には誰も逆らえない。そう思っていたのである。

 初老までであれば、そんな風に傲慢に見下ろす事が出来ていた。見下していれば良かった。そしてそれ

だけで何の不便もなかった。誰も逆らう者はいない。逆らえば後悔させてやる。そのくらいに思い、得意

絶頂に居たのである。

 だがそれも更に歳を得、もういつお迎えが来てもおかしくない頃になると様子が違ってくる。

 そういう熱情は日々冷えていき。下らない虚栄心は相変わらず持っているものの、それさえ実体を伴わ

ない幻想のようなものになっていく。

 明らかに力が消えた。凄んでも怒鳴っても、もう昔ほどの圧力も声も出ない。自分で言ってて虚しくな

る程だ。

 そして自分が弱くなった頃を不承不承でも納得するしかなくなった頃だろうか、一つの悪夢を見た。

 その悪夢の内容はまるで覚えていないのが。それからというもの、毎晩夢にうなされ、まともに寝られ

なくなってしまったのである。

 そして寝不足のせいかは解らないが、何かが来るような気がして仕方なくなった。そしてちょっとでも

それらしき物があると人に見え、それが自分を連れに来たのだ、襲い掛かってくるのだと思うようになっ

てしまったのである。

 吊り下げられた衣服、建物の陰からはみ出した何か、そういうものを見る度、それが人に見え、それら

を恐れ、誰かに救いを求めずには居られなくなっていた。

 悪夢が現実になったように感じているのである。それがどんな悪夢かも覚えていないのに。

 それが進むと全くの勘違いから怯え出す事も増えてきた。

 誰も何もしていないのに不意に起きてきては家族の部屋に行き、誰か来たのか、と問う。勿論誰も居な

い家族は腹を立てながら、誰も居ないと追い返し、とうとう呆けたかと嘆く。しかしその老人は何度誰も

居ないと言っても、何度でもやってくる。

 次第に無視するようになり、構わなくなっていった。腹を立てるのも面倒だと言わんばかりに、ああは

いはいと言って放っておく。放っておけば勝手に帰っていくのだ。言葉をかける必要も無い。

 家族も面倒な事になったと思うのみで、誰も真剣に考えてやらない。係わり合いたくないからだ。そこ

まで気にかける価値を、その老人に誰も見出していない。

 いや、例え親身になって話を聞いても、無駄だったのかもしれない。本人も何に怯えているのか、何が

怖いのかが解らないからだ。

 とにかく老人は心が治まらず、物音を異常に気にするようになり。その結果として戸締りを厳重にする

ようになってしまった。

 昼間はまだ良かったが、夜になるとまだ寝る時間ではないというのに窓や戸全てに鍵をかけ、たまに夜

中に起きては戸締りを確認する。静かな深夜に鍵を開け閉めする嫌な音が響き、家族はうるさく思ったが、

誰も止めなかったし、話を聞こうともしなかった。係わり合いになりたくないからである。

 家族や知り合いの誰一人として助けてやろうと思う者はいなかった。それがこの老人が一生をかけて築

き上げてきた絆、彼が得た全てである。

 そうしてこの男は毎晩うなされ、起きていても訳の解らないものに怯えさせられ、心の落ち着く暇がな

くなり。以前ならば癇癪(かんしゃく)を起こしていたところだろうが、今はもうそのような熱情さえ残

されておらず、とにかく怯えた。

 あるのは訳の解らない恐怖心と何かが襲ってくるという不安感。それは消えないし、薄れる事もない。

 しかしそんな中でただ一度だけその不安が消えた日があった。それは他人に礼を言われた時である。た

またま受け取った家族への手紙を、いつもなら放って置く所だが、その日は何故か家族に渡した。そして

意外そうな顔で返された、ありがとう、という言葉。その言葉が老人の心を不思議な程に和らがせ、その

日だけは不安を忘れさせてくれたのである。悪夢を見ることもなかった。

 初めは男もそれが何故なのか解らなかった。何故なら今まで人から感謝を受けた事が数える程しかなか

ったし、そういう事を考えた事もなく、何より次の日には御礼を言われた事も忘れていたからだ。

 だがそんな事が何度かあると、家族から礼を言われた時にだけ心が安らぐ事に気付き。老人はその事に

縋(すが)りつくようにして、その言葉を求めるようになっていった。

 老人が行うのはほんの少しの事、手紙を渡したり、落ちた物を拾ったり、その程度の事だ。そしてそれ

に返される礼も心からのものとは言えない。ただの礼儀として返される言葉。しかしそんな一言が、老人

を一晩だけ救ってくれる。

 彼は必死だった。家族はそのような老人を見て、またおかしな事をやり始めた、と馬鹿にして見向きも

しなかったが、老人にとっては深刻な問題である。

 だから老人はその小さな親切を行える機会を飢えた獣のように探し始め、それに伴い人に与える印象も

悪くなっていったが、老人には関係のない事であった。ただ礼を言ってもらえれば、彼は一日だけ安らげ

る。他の感情などどうでもいい。嫌われようが何されようが、礼を言ってもらえれば良いのである。

 しかしそんな風であるから次第に家族からは鬱陶しがられるようになり、避けられるようになって、仕

舞いにはお礼さえ言わなくなった。礼など言うから調子にのってまたやるのだ。何も言わなければその内

止めるだろう。そんな風に家族は考えたのである。

 こうなると老人は困った。別に心から感謝してもらう必要はない。ただそれを言葉にし、自分に与えて

くれれば自分は救われる。でもこうして無視されるようになると、もうその言葉すら貰えない。自分が救

われない。

 老人は再び悪夢に悩まされるようになった。しかし家族や知り合いは全く気にかけてくれない。それが

老人が一生かかって築いてきた結果、他人との関係の全てだからだ。誰も彼に好意を持っていない。目障

りな、厄介なだけの存在だと考えている。

 この老人にもその人生を悔いるような気持ちは一片もなかった。以前と同様、ただ自分だけが救われれ

ば良く、好かれたいとも敬って欲しいとも思っていない。皆自分に従っていればいい。彼らは家来で自分

が主人、それだけだ。

 しかしそれでは救われない。どうにかして礼の言葉を貰う必要がある。

 老人はその為の方法を懸命に考え始めた。そしてある時思い至ったのである。何も家族や知り合いにそ

れを求める必要はない。要するに誰でもいいのだ。その言葉さえ貰えれば相手は誰でもいい。それで自分

は一晩だけ救われるのだと。

 老人はその要らぬお節介の手を外へ伸ばし、ほんの少しだけ困っている人を求め、日々外を歩くように

なったのである。

 行く場所がある訳でもない、何か当てがある訳でもない。ただ歩き回り、そして誰かをほんの少しだけ

助ける。そしてお礼の言葉を貰う。その後はさっさと家に帰り、後はいつものように好きに過ごす。

 一日一回でいい。ありがとう。その言葉さえ一度かけられれば、それで老人は一日安眠できる。後の事

は知った事ではない。

 誰に何と思われようと、どう考えられようと、嫌がられようと、陰口をたたかれようと、彼は何一つ改

めようとはしなかった。何も悔いず、ただ不安だけがあり、過去の罪に追われるようにして生きている。

 それだけだ。他には何もない。老人は最後がきても何も変わらない。

 そして何も変わらず老人は憎まれるまま死んだ。誰からも労わられる事なく、全ての人間からその死を

感謝されるようにして、永遠に眠った。

 しかしだからこそ老人の望みは叶った。彼は死す事で全ての不安から逃れ、そして彼を知る全ての人間

から感謝されたのである。その生が誰にも誉(ほ)められるものではなかったからこそ、彼の死に誰もが

感謝した。心中で全ての人間が、ありがとう、という言葉を知らず知らず老人へと贈った。

 その結果、老人は救われる。

 もう二度とうなされる事はないだろう。

 それが何の意味をもたらしたのかは解らない。しかし彼は死によって罪と罰を終えたのである。


                                                             了




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