美の採掘者


 方円に設えられた台座の群、その一つ一つが美の抜け殻、喰らわれた残骸。

 その場に居る唯一の存在。美を掘り起こし、喰らう者、美の採掘者。

 彼はこの不可思議な空間を通し、あらゆる美を採掘し、摂取しながら、もう何千年、何万年と、数える

のも馬鹿らしくなる遠き歳月を生き、毎日毎日採掘を繰り返してきた。

 彼は何者か、何から生まれ、何処から来、そして何処へ行くのか。

 そんな事は誰も知らない。知る必要も無いのだろう。彼自身がこの世に存在する事すら、誰も知らない

のだから、そんな事を知ってどうなるというのか。そもそも知らなければ疑問は湧かない。

 或いは、誰も(おそらく彼自身も)知らぬ故に、彼はこの場に存在出来るのかもしれない。

 この空間は暗い。そして掘る場所からは何も見通せない。

 掘り出して見るまでは、それが何でどれだけ美であるのか、掘っている彼自身も解らない。

 ただ美である事だけは解る。美以外には掘り出せず、美とその残骸、そしてそれを喰らう彼以外は、決

してこの場に存在できないのだから。

 誰も何も知らない。理解などとても及ぶ所ではない。

 けれども生きる為に掘るしかない。それとも彼は掘る為にこそ生きているのか。

 これもまた永劫の疑問か。決して晴れぬ疑問であるか。

 何しろ、彼自身、そんな事を考えた事すらない。彼自身がそれを知らないのであれば、一体誰がそれに

答えられるというのだろう。

 誰も何も解らない。解ろうともしない。

 彼の創造主が知っている、確かにそういう案もあるだろう。しかしそんな都合の良い存在が、そうそう

見つかるはずがない。存在するかどうかも解らない者に、何を問うたとて無意味である。

 確かに彼が存在するには、存在するだけの何かがあったのだろう。しかしそれを探る事自体が、最早不

可能である。

 例えその原因と交信出来たとしても、それで何が解るだろうか。新たな疑問しか生れないに決まってい

る。知れば知るほど解らなくなる。この世もあの世もそういうものではないのか。

 彼は掘る。無造作に掘る。

 疑問が湧かなければ、迷う事は無い。

 睡眠や休息というものも必要としないようだ。彼は食っているか、掘っているか、それだけである。

 おそらく彼の生はその二つで全て説明出来よう。

 今は掘っている。掘って当れば、台座の形をとって美が引き摺り出される。

 出てきた台座に美は縛り付けられ、解放されるのは彼に食われた時だけだ。

 何故台座か、そんな事は誰も知らない。ただそうであるだけなのだ。

 方円に設えられた台座の群は、ようするに彼の食事の跡であり、美の痕跡、美の抜け殻である。

 美、非常に広範囲に広がる言葉。

 そしてそれと同じくらい、彼も様々な美を喰らう。

 美術品、嗜好品、生物、観念まで、それは多岐に解り、可視不可視も問わない。何であろうと美であれ

ば良く、美であれば喰らう事が出来る。

 彼は常に飢えを感じていたが、それは掘っているからではない。

 彼はいつまでも満たされる事が無く。食っている時でさえ飢えている。

 何処に消費されているのか、或いは消費すらされないのか、そもそも本当に喰らう必要があるのか、そ

れも解らない。

 ただ彼は生れ出でた時より掘り始め、掘れば美が引き出される。そして自然にそれを喰らい、それだけ

を繰り返して生きてきた。

 疑問も何も無い。思考などは屑にもならない。

 掘れば出てくるのだから、出てくれば喰らいたいのだから、それに誰が何を言う事が出来るだろう。

 生とはそういうものではないのか。

 疑問などは解決出来ないから疑問なのだ。

 無意味である。彼の生の前に、問いかけは無意味である。

 彼が腕を突き刺し、ゆっくりと台座を引き出す。

 砕けるくらいにしっかりと握り締め、一度捉えれば決して離さない。

 恐るべき力で、対象の全てを握り潰す。そして台座に宿る美だけを喰らい、残骸となる台座自体は放り

捨てる。しかし捨てられた台座は、奇妙な事に整然と立ち並ぶ。まるで墓標のように。

 それが彼の力といえばそれまでだが、偶然と言ってもみても否定は出来ない。

 誰も彼を知らず、解らないのだがら、何を言っても否定も肯定も出来ないのである。

 彼は何も拒まず、何も執着しない。何かを知覚できるのかさえ疑問だ。

 台座を捨てるのも邪魔だからであって、それに意味があるとは思えない。

 例え意味があったとしても、誰にもそれは解らないだろう。

 掘る先に何があるのか。彼は最後にはどうなるのか。誰も答えられないからこそ、誰かが悩む。

 しかし彼が悩む必要は無かった。ただ喰らい、掘り、喰らい、掘る。

 永劫の繰り返しの中で、彼は果てしなく生き続けていく。

 考えてみれば、彼を美の採掘者と呼ぶのさえ、疑問ではなかろうか。

 たまたまそれが掘り出されてくるだけに過ぎず、彼がそれを求めている訳ではない。

 たまたまそうであり、たまたまそうであっただけである。

 それでもそれ以外に彼を呼ぶべき名は無い。

 彼はそれだけしかしないのだから、別に名があるとすれば、美の大食者、くらいだろうか。

 吠えもせず、滾りもせず、ひたすらに掘り続ける彼に、意味も理解も虚しい言葉である。

 そもそも生と言うモノに、そういうモノを求める事自体が、例え様も無くおかしな事なのかもしれない。

 彼は掘る、そして喰らう。それだけである。

 いつまでか、いつまでもか、それもこれもどうでも良い、答え無き疑問なのだろう。




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