アゲアゲサゲサゲ


 うだつ君は今日もお仕事。

 毎日毎日上げ下げされるお仕事です。

 たまに自分でも上がったり下がったりしたいけれど、自分の意思では決められない。そういうお仕事です。

 とても面倒ですが、だからこそお給料がもらえるのです。

「今日は上がりますか?」

「さあねえ、それはあっしが決める事じゃあねぇから」

 うだつ君をかつぐのは任気さん。気は優しくて力持ち。でもちょっぴり考えるのは苦手で、いつも決められた

通り、多数が行く方向に上げ下げします。

 自分の意思では動きません。だからこそかつぐのを任されているのです。

「でも僕、今日は上がりたい気分なんです。こんなに晴れているのに下がるのっておかしくないですか?」

「うーん、そう言われてもねぇ」

 任気さんはむぎわら帽子の陰からひょっこり空を覗き上げました。

 確かに晴れています。このまま空に上がり込んでしまいそうなくらいの上天気。

「うーん、確かに良い天気だけどねぇ、どうにもねぇ」

 うだつ君は任気さんの言い方にかちんときました。こんなに上がりたい気分なのに融通がきかない。この人は

いつもそうだ。他人に任せてばかりで自分で判断しようとはしない。

 まったく自分というものが無い人だ。こんな人に上げ下げされないといけないなんて・・・・。

 うだつ君は腹が立ってきました。

「どうにもって言ってますけど。あなたが僕を上げ下げしているんですよ。あなたさえその気を出せば上げられ

るじゃないですか。それをまるで他人事みたいに言って。そもそもあなたは・・・」

「おっと、きたきた」

 任気さんは聞く耳持たず、うだつ君をひょいっと持ち上げ上げてしまいました。話なんか最初から聞いていま

せん。彼には少数の意見などどうでもいいようなのです。

「上がったよ。良かったねぇ」

 そしてそんな事を笑顔で言うのです。

 うだつ君はますます腹が立ちましたが、上げられてしまった手前、何も言えません。

「・・・・・・・・・・・」

 いっそ下がっていれば良かったのに、何て思い浮かべながら、うだつ君は黙って自分の気持ちをなだめるしか

ありませんでした。

 さっきまでは上がって欲しくて怒っていたのに、今度は上がったせいで腹が立つなんて、なんて嫌らしいので

しょうか。

「おお、おお、今日は上がる。上がるねぇ」

 そんなうだつ君の気持ちをお構いなしにどんどんどんどん上がっていきます。

 こうなるとうだつ君の気分もそれなりに晴れてきました。どんな時であっても上がるのは気分の良いものです。

「ああ、なんて気分が良いんだろう」

 いつの間にか腹が立っていた事も忘れ、天上人の気分をたっぷり味わっていました。全てを見下ろすって何て

気分が良いんでしょう。

「あっしもこう調子が良いと楽でいいよ。上げては下がり上げては下がりなんて続く日はもう腰が痛くてね。次

の日立てなくなるんだわ」

「そうなんですか」

 それを聞くと任気さんが少しかわいそうになってきました。考えてみればこの人は全て他人の意思で動かされ

ているのです。それで体を痛める事もあるなんてひどい話です。

 自分は任気さんに乗っているだけなのに、何てひどい事を言ってしまったんだろう。彼は毎日毎日一生懸命か

ついでくれていたのに、それに対して文句を言うなんて恥ずかしい事に思えてきます。

 上げるのも下げるのも仕事であって、任気さんのせいではないというのに。

「さっきはすみません。あんな事言ってしまって」

 うだつ君は素直に謝る事にしました。上がり調子だとそんな気持ちにもなるものです。

「いやいや、良いんだあ。あんたの言う通りだからねぇ。あっしは言われるまま上げ下げするだけの奴だから」

 そんな事をさわやかな笑顔で言いますので、ますます申し訳なくなりました。

 せめて腰に負担がかからないよう、このまま上げ調子で今日が終わる事を祈ります。

 ですがそう上手くいくはずがありません。

 時間が経つに従い、徐々に下がる回数が増えてきました。がくんとは下がらないのですが、少しずつ少しずつ

下がっていきます。

 上がる時もあるのですが、総合して見るとやはり下がってきているようです。空も段々と遠ざかっていきます。

 うだつ君はまたいらいらしてきました。今度は任気さんに対してではありません。こういう微妙にころころと

変わる人の心、大多数の心というもののあやふやさに対して腹が立ってきたのです。

 そもそも一番最初に腹を立てるべきはそこでした。任気さんなんか関係ない。なんで自分はそんな訳の解らな

いものの取り決めによって上げ下げされなければならないのか。

 これは誰の為の上げ下げなのか。大多数の上げ下げという事は、誰一人そうではないという事ではないのか。

人類全体の気分の上げ下げなんかした所で何になると言うのだろう。

 仕事だからって、お金をもらえるからって、それで良いんだろうか。

 一体自分は何をやってきて、何をやっているのだろう。

「・・・・・・・・」

 うだつ君は自分の仕事というものに、とてもうさんくさいものを感じ始めたのです。

 何故こんな事でお金がもらえるのだろう。

 よく考えてみるとお金の出所から仕事の意味まで何も知りません。ただ言われるがままにやっているのは、任

気さんもうだつ君も一緒でした。

「ねえ任気さん。僕達、なんでこんな事しているんだろう?」

「そりゃあ仕事だからだねぇ」

「それは解るけど。でもこれって何の仕事?」

「自分の仕事が本当に何なのかなんて、皆知らないんじゃないのかねぇ」

 任気さんはまったく取り合ってくれません。そんな事は自分の考える事ではないと言いたいのでしょう。

 うだつ君はまた腹が立ってきました。

「そんな事言ったって、僕達はもしかしたら意味の無い事をずっとやらされているのかもしれませんよ」

「でもお金をもらってるからねぇ」

「それはそうですけど。でも・・」

「おっと下がるよ、気をつけて」

 その下がりは今までで一番大きな下がりでした。まるで底が抜けたようにがくんと下がりました。

 うだつ君は舌をかみそうになりながら、慌てて何かにしがみつきます。

「下がってきたねぇ。腰にくるねぇ」

 その後も少し上がってはがくんと下がり、上がってはがくんと下がりを繰り返し、話を続けられる状況ではあ

りません。さすがのうだつ君も必死に耐えるしかありませんでした。

 でもその中で任気さんの言う事にも一理あると考えていました。お金をもらっている時点で、その仕事を丸ま

る受け容れてしまった事になるのです。それに対して怒るなんておかしいと言えば確かにおかしいのです。

 それにうだつ君達はこんな事をもうずうっと前から続けてきたのです。むしろ今更疑問を抱く事の方が不思議

なくらいでした。

「そうだよね。なんでこんな事を考えたんだろう」

 しかしそうは思っても一度疑問に思った事は消えません。ぐっと心に圧し掛かってきます。どうしても放って

おけません。

「どうしたら良いんだろう」

 こういう時に相談できる相手が居れば良いんですが、うだつ君は任気さん以外の人と会った事もありません。

彼はいつからかずっと任気さんの上で上がったり下がったりしてきたのです。今となっては何故こんな仕事を選

んだのか、今までどういう気分で続けていたのかさえ思い出せません。

「僕ってなんなんだろう」

 そんなどうでも良い事を考えている内に空は曇り、雨が降り、それに応じるようにしてますます下がっていき

ます。もう落ちているのと変わらないくらいになっておりました。

「えっほ、えっほ」

 任気さんはがんばっていますが、とても辛そうです。

 明日腰にくる事はまず間違いないでしょう。

 雨足は更に強くなって、地面というものがあれば、それを叩く音さえ聴こえてきそうなくらいです。

「・・・・・・・・」

 うだつ君はそんな中で黙ってかつがれています。結局彼も自分の意思では何もできないのでしょう。文句を言

うだけで行動に出そうとはしないのです。

「ねぇ、どこまで下がればいいの? どこまで下がる事ができるの?」

 気付けば誰よりも低い場所にまで下がっていました。深く深くどこまでも下がって行きます。

 いらいらも腹立ちも忘れ、うだつ君はただただこわくなっていました。

「解らないねぇ。あっしはただ上げ下げするだけですからねぇ」

 任気さんはなぐさめてもくれません。

 天候は悪化の一途をたどり、それにともなって果てもなく下がって行きます。自分がどこに居るのか、どこに

居たのかさえ思い出せません。どこを見ても等しく暗く、狭い。そんな空間を二人だけで下がって行くのです。

いつまでもいつまでも。

 うだつ君にはこわいという感情しか残されていませんでした。どこへ向かっているのかは知りませんが、えん

えんと良くない場所へ下がっている事だけははっきりしていました。

 引き返したいのですが、それを言う気力は初めからありませんでした。それにもう二度と上がれない。そんな

気もするのです。

「ああ、ああ、今日が最後の日なんだ。きっとそうなんだ」

 体が小刻みにふるえてきました。寒い訳ではありません。もうふるえる事でしか、耐えられないのです。

 しかし任気さんはそんな場所でも一向構わないかのように平然と下がり続けます。何度か止めてくれと話しか

けてみたのですが、何も答えてはくれません。聞こえていないのかもしれません。

 任気さんのかけ声もいつの間にか聞こえなくなっていました。もしかしたら音自体が消えたのかもしれません。

無音で暗い中をどんどん下がって行きます。

 全ての器官が下がるに応じて閉じて行くかのような、そんな気がしています。

 逃げようと思いますが、体が動きません。口も開きません。目も耳も鼻も開いてはいません。その内何かをし

ようという意思さえ閉じてしまいました。

 そう、とうとう心までが閉じてしまったのです。

 しかしそれでも脳の一点だけは活動していました。疑問です。何故こうも下がり続けるのか、一体これはどう

いう事なのか。そういう疑問だけはむしろ強まっていくようです。

 この状況は異常です。限度を越えて下がっています。これは違います。うだつ君の仕事ではありません。任気

さんの仕事でもありません。いつの間にか彼らは全く違う事をやっていたのです。そう思うしかありません。

 でも間違っているという事を任気さんに伝える方法はありません。任気さん自身が気付く事もないでしょう。

 それにもし伝えられたとして、任気さんは気にせず下がり続けるかもしれません。

 うだつ君も黙って下げられ続けるしかないでしょう。

 二人は同じなのです。全てを他人に預け、自分というものから逃げていた事はどちらも一緒でした。それを個

人に背負わせるか、大多数の何かに背負わせるかの違いでしかありません。

 個人に押し付けるうだつ君よりも任気さんの方がまだしもましであるのかもしれません。

 うだつ君に自由意志や考える力などありませんでした。彼はただ望まれるがまま上げ下げされていればよく。

だからこそ彼が選ばれたのです。

 うだつ君は最後にふと考える事ができました。

 もしかしたらこっちが本当で、今までの方が違っていたのではないか。本当はいつもこんな風に全てを閉ざし

て生きていた。それなのに自分に意志があるのだと思い込んでいた。だからこんな事になったのだ。自分は落ち

るべくして落ちたのだ、と。

 任気さんと会話していたのもうだつ君がそう思い込んでいただけで、本当は何一つ交流はなかったのかもしれ

ない。彼は今のように何も言わず、何も聞かず、ただ下がり続けていたのではないか。

 自分は夢を見ていたのかもしれない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そうかもしれない。でも何故今なのでしょう。何が昨日までと違ったのでしょう。あのまま夢を見ていればよ

かったのに、何故今覚めてしまったのでしょう。

 たまたま下がりっぱなしになったからでしょうか。そうかもしれません。もしもう一度上がる機会があれば、

また夢に戻る。本当の事を忘れて夢にすがる。それだけの事なのかもしれません。

 けれどもう上がらない事も解っていました。一度落ちきった任気は決して上がる事はありません。今までのう

だつ達も全てそうでした。最後は下がりきって消えるのです。誰からも忘れられ、そこから消えてしまうのです。

 彼の役割は終わりました。任気に上げ下げされる時は終わり、後は底辺の底辺で絶えるのを待つだけです。

 うだつの声は誰にも届かない。誰の声もうだつには届かない。誰からも忘れられ、誰からも思い出されず、誰

の目にも触れず朽ち果てて行く。それがうだつの末路。夢の終焉でした。

「・・・・・・・・・・・・」

 嫌だ、嫌だと強く念じましたが、そんなものは通じません。彼にあるのは見上げるだけの景色と自分にさえ忘

れられた自分だけ。

 何もありません。もう、終わったのです。

 任気はどうするのだろう? どうなるのだろう?

 ぽつんとそんな疑問が浮かびましたが、今の彼にとってはどうでも良い事でした。

 そう、どうでも良い事だったのです。

 うだつはもう上がらない。




                                                           了




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