ウズマキナラエ


「ウズマキたる者、自分のウズマキに対し責任を持たなければならない」

 これがかの有名なウズマキ=ナラエの言葉である。ウズマキは自分のウズマキから生まれる影響を常に考慮

し、最適かつ快適な言動を心がけなければならない。

 その為の訓練が彼の名を取って付けられたウズマキナラエであり、一列になって皆が同じ向き、同じ角度、

同じ速さを維持する事を目的とする。これができるならばどこに行ったとしても一ウズ前として扱われるし、

実際戦力になる事ができる。

 最も有益な訓練方法として認知されている。

 しかしどこの世界にもウズと同じをよしとせず、あえて逆らう事で自分を尊く見せようという者はいる。

 このウズマキ社会もそれは変わらない。

 例えばそのすぐ前に居るウズマキ、仮にウズ夫としようか、このウズを見てみよう。このウズは同じ角度、

同じ速度でありながら他のウズとは逆向きに回っている。

 余りに自然に逆向きだから、逆に逆向いてないような気もするが、じっと見ていると酔いそうになるから間

違いない。確かに逆回しになっている。

 本当にけしからん話だが、このウズ夫は真面目なウズであったはずだ。敢えて逆回しをしようというような

度胸もないはずであるし、もしかしたら知らず知らずうっかり逆になっていただけなのかもしれない。

 一生懸命にやっていただけなのに、いつの間にか間違えていたというのは良くある事だ。

 だからウズ夫の事はそっとして・・・。

「せんせーい、ウズ夫君が逆向きに回っています。これはいけないんじゃないでしょうか」

 ろくでなしのウズ、仮にウズ美としよう、がいつも通りしなくてもいい注意をした。皆黙ってさえいればそ

れで済むのに、わざわざ正義ウズして指摘するウズ種はどこにでもいるものだ。

 そのくせこういうウズは人に指摘し促すだけで自分は何もしない。面倒を増やすだけのウズだ。

 本当にめんどくさいからもうこいつは以下ウと呼称する事にする。

「ご、ごめんなさい。ま、間違えてました」

 ウズ夫のウズはさざ波立ち、今にもこぼれてしまいそうだ。よっぽど恥ずかしい思いをしたのだろう。何故

このウはウズ夫自身に教えず、わざわざ先生を介して指摘したのだろうか。本当に性根の腐ったウズである。

 先生に指摘しなければならないウズなら他にいくらでも居るというのに。

 例えばあのウズ、仮にウズットと言おう、は向きが逆どころか、他のウズを合わせようという気持ちさえ持

っていない。角度、速度、勢い、波打ち具合、どれをとっても個性を追求した形で逆に参考になってしまうく

らいだ。

 しかしこのウズット、普段から他ウズにこわがられているウズなので誰も文句を言わない。言えないのでは

なく、言わない。それは勿論あのウも同じ。むしろウズ夫を犠牲にする事で、ウズットにこびを売っていると

も考えられる。

 ウはウズットの事が好きなのかもしれない。

「またお前か! たまにはちゃんとせんか、ウズット!」

 さすがは先生だ。注意する時は注意する。どこぞの指摘屋とはそこが違う。

「えーだって俺、ウズを合わすとかわかんねーし。ウズは勝手に回るからウズマキっていうんじゃないのかよ」

 これは正論かもしれない。先生も困ってしまった。

 だが一生徒なんぞに負けてはいられない。先生は果敢に反撃を開始する。

「くッ・・・確かにそうだ。しかしな、だからこそだ。勝手に回るウズを上手くコントロールできてこそ、一

ウズ前って事なんだ」

「でも俺、わかんねーよ」

「しかたない。後で教えてやるから、お前はちょっと外れとけ」

「はーい」

 見た目にそぐわず、ウズットは案外素直なウズだったらしい。

 ウズ夫の事はそんな事をしている内にうやむやになってしまった。

 そしてウズットは他のウズには解らないようにウズ夫に向けて軽くウズを回した。

 そんなお話。




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