現れる山々


 あれは生まれた時に見た山。

 暗闇の中、一条の光のように見えた景色。眩しい光だけを感じた。

 あの景色はもう二度と見る事ができない。この常に光に彩られている世界で、初めて見た光だからこそ見

る事のできる景色。つまりそれが世界の始まり。私にとっての。


 あれは立ち上がった時に見た山。

 四つんばいで必死に動く事にも飽き、本能のままに二本の足で立った。

 ぐらぐらとして不安定だったが、全てが揺れるのを眺めているのは不思議と楽しかった。笑顔になる。そ

れは不安定なものを楽しいと思えた、唯一の時だったのかもしれない。


 あれは物心ついた時に見た山。

 何も解らなかったが、考える事はできた。

 うるさく質問をする私に、いくらか両親が答えてくれ、その数倍無視された。教えてくれた事はもっと少

ない。何も教わらない、しかし学んだ。多分そういうものなのだろう。

 何かを悟った、私という始まり。


 あれは初めて恋した時に見た山。

 それがどういうものかを知らず、ただその人の側に行こうとした。

 赤ん坊の時、取り合えず母に寄って行った事と同じ。思ったような結果にはならなかったが、それでもそ

の人は相手してくれた。

 それが嬉しいという事すら解らなかったが、今になってもありがたいと思う。


 あれは進路で悩んだ時に見た山。

 漠然とした考えしかない。しかしはっきりと定めなくてはならない。

 無理だろうと思った。いつになっても、いくつになっても、ただ決める事は不可能なのだと。本当に良い

物を定めるなんて、私には無理だと考えた。

 それでも一応の形を保つ為、学校を探し、願書を出した。

 後悔はしていない。でも満足もしていない。

 何も見えなかった。おそらくそれが見えるのは、そこに行ってからだったのだろう。

 だから後悔も満足もしない。


 あれは一人暮らしを始めた時に見た山。

 大変とは思わなかった。ただただ気楽だった。

 自分で料理し、片付け、ゴミを集め、ゴミを捨てる。服を買い、日用品を買い、趣味雑貨を買う。そのど

れもが当たり前のようにでき、自分が向いている事を知った。

 わずらわしいものは必要ないのだと。

 邪魔されるのが嫌い。そばに居て欲しくないのだ、誰も、本当は。

 それは飽きるというよりも、生来持っていたもの。

 だから貴女が気に病む必要は無い。

 そう言って、解れた。


 あれは全てが変わった時に見た山。

 こんな事になるなんて想像もしていなかった。

 でも疑問は浮かばなかった。当然の結果としてあるだけだと思えたのは、その理由を私が誰よりも知って

いたからかもしれない。

 そしてそれは幸いだった。

 ごまかした真実は、誰にも悟られない、私だけのもの。


 あれは今見ている山。

 慣れてしまえば、何も変わらない。

 辛い事も悲しい事もあるが、嬉しい事も楽しい事もある。何も変わらない。変わったが、変わらない。そ

れだけのもの。私の人生はいつもどこに居ても変わらない、そう思った。

 今はもう嘘は無い。受け容れるだけ。

 ただ一人は少しだけ寂しい。

 夜電灯を消して眠れない。それくらいには寂しいのだと。


 あれはいつか見るだろう山。

 色んな事があり過ぎて、何も見えないでいる。

 想像は止まらないが、その全てが少しずつ違うのだろう。そう思っていると、それが確信に満ちている気

がした。何がどうなったとしても、不思議はないのだろうと。

 過去を振り返れば、全て想像もできなかった出来事で彩られている。

 想像できないからこその生。自分では解らない。自分にしか解らない。そのどちらでもある。

 目指す場所は変わらない。

 そこへ辿り着けるよう今を生きているのなら、きっと何よりも自然に、そのままで行けるのだろう。


 さて、この山はいつ終わるのだ。




EXIT