闇溜り


 この世に日溜りがあれば、闇溜りもある。

 それは日陰にそっと寄り添うように、でも日陰とは少し違った闇溜り。

 日陰よりも尚暗く。日陰よりも尚黒い。それが闇溜り。日陰の中にある日陰。暗闇が集う塊。闇達の休

息場。

 闇溜りは何処にでもある。隠れるようにそっと息衝いている。

 日陰に包まれている場所を見付けたら、そっと覗いてみるといい。

 日陰と日陰が交わるその奥で、ふっと浮ぶ一層黒い暗がりに、言葉に出来ない何かが在る筈だ。

 それは単に光の届かぬ跡ではなく、それそのものが別個の物質、或いはそれを超えた気配そのもの。

 闇が集うその場所は、表現しようも無いが。確かに身を持って感じ取れる何かが、そこには在る。

 それこそが闇、そして闇が溜まる闇溜り。

 触れもせず、聴こえもしないが、確かにそこに在る闇溜り。

 それを見付ける事が出来たら、今度はそっと近付いてみよう。

 決して慌ててはいけない。静かに、静かに、気配と息を押し殺して。

 慌てて光を呼び込んでしまってもいけない。必ず入り口で光を落として、暗闇を帯びてそこに近付く。

光を帯びたままそこに入ると、闇が逃げてしまう。

 闇に染まらなければ闇になれないとは言わないし、そうした所で何ら悪影響はないのだが。音と光は闇

を遠ざけてしまう。もし闇溜りを側で感じたいというのなら、その二つを持ち込んではいけない。

 闇はとても臆病で、ほんの少しの事があっても、すぐにすうっと逃げてしまう。

 闇の無い闇溜りはただの暗がりでしかない。折角来たのに、それでは寂しい。闇を逃がさないように気

を付けよう。

 闇の扱いは、赤ん坊を扱うのに似ている。

 静かに、優しく、それが大事。


 闇は怖いモノではない。光と同様の存在で、想像されるような不可思議な力は持っていない。単に光の

裏側を表現するモノである。

 光の届かぬ場所を埋める為、闇は生まれる。光と闇あってこそ初めてこの世界は現れ、生物はそれを見

る事が出来る。

 そのどちらが良い訳でも悪い訳でもなく。

 どちらがどちらを支配している訳でもない。

 光と闇は兄弟で、根源はまったく同じ存在。双子であり、どちらが欠けても無力になる、二つで一つの

存在。

 ただし闇は光の裏側だから、日溜りが明るく暖かいのとまったく逆に、とても暗くて寒い。印象もそう

だが、これは実際にそうでもある。

 だから人の体を闇が通り抜けた時、人はぞっとする寒気を感じたりもする。

 それを不安と受け取ったり、病気の前兆のように考えたりする人もいるし、幽霊だの不可思議な現象だ

のと捉える人も居る。

 それはある意味、間違いではないのかもしれない。

 でも実際は闇自身に何の関係も無くて。闇が闇として独立し、双子である光以外のどんな干渉も受け付

けないように、闇は闇のまま、光以外には何の影響も与えない。

 闇は静かで人見知り、誰かに何かに影響を与える事は、本当に少ないのである。

 光が生物に大きな影響を与えるのと、それもまたまったく逆な事。

 だから派手好きの光と、いつまでも一緒に居られるのだと思う。


 だから怖がらず、闇溜りを見付けたら、そっと静かに近付いてみよう。

 もし上手く闇を逃がさず、そこに行く事が出来たとしたら。とても静かで、そして平穏な世界を感じ取

る事が出来る筈。

 闇の世界、闇溜り。

 そこは世界一静寂で、何一つ無い、無限の平穏が在る場所である。

 その染み入るような静けさは、人の心を癒してくれる。

 日光浴も良いが、たまには闇溜り浴は如何だろうか。

 何も無く、只管の静寂。

 ただただ静寂、そして何も無い。

 それはなかなかに心地良いもので、人にいつもとは少しだけ違う優しさを与えてくれる。

 そして感じるのだ。

 人は光だけでなく、闇とも永い時を共生してきたのだと。

 闇は人の友。派手好きな光と違い、人見知りする恥かしがりやの、もう一人の隣人である。

 くしゃみで闇を逃がしてしまわないように気を付けて、もう一つの世界を楽しんで見て欲しい。


                                                           了




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