勇敢なモロコシ


 ある所に勇敢なモロコシがおりました。

 とても勇敢なモロコシで、怖い物は何も無く、誰に対してもはっきりと物を言います。

 その態度は誰に対しても変わりません。王様でも父親でも、子供でもその辺の石ころに対してさえ、その態

度は変わらないのです。

 そういう意味ではとても平等で、しっかりしたモロコシだったのでしょう。

 でもそんなモロコシですから、いつも一人でした。

 他にもモロコシが居ない訳ではないのですが、モロコシというのは大体臆病な生き物ですから、この勇敢な

モロコシとは気が合わないのです。

 別に嫌われている訳ではないのですが、特に尊敬されている訳でもないのです。

 王様も勇敢なモロコシを頼りにはしていましたが、特別に好きという訳でもないので、親しく付き合おうと

いう素振りを見せません。

 誰からも平等に、嫌われても、好かれてもいないモロコシだったのです。

 こんなに目立っているのに煙たがられないのは不思議なのですが、どうにもこのモロコシはそういうモロコ

シであるようです。

 良くも悪くも、立派でも立派でなくもない。けれど目立つし、知られている。そんなモロコシだったのです。

 勇敢なモロコシの方も若いうちはそれで良いと思っていました。自分一人で大体の事はできますし、嫌われ

ている訳ではないので、生活に支障もありません。

 生きるというだけなら誰よりも恵まれています。

 けれど歳をとるにつれ、段々と耐えられなくなってきました。

 誰にも好かれず嫌われもしない。そんな生き方は結局何も誰かに残せない生き方なのではないか。そんな風

に思い始めてしまったのです。

 こういう思い込みは病のようなもので、それまでは全く平気であったのに、一度考えてしまうと気になって

仕方がなくなってきます。

 朝起きても、ご飯を食べている時も、趣味の時間も、仕事をしている時も、寝る前でも、何とはなしに考え

て、いつも少しだけ辛くなってしまうのです。

 相談できるモロコシが居れば良かったのですが。何しろ勇敢なだけのモロコシであったので、親しい友人は

一人もおりません。

 嫌われてはいないので、病気になったり、ふさぎこんでいたりすれば心配してくれるかもしれませんが。だ

からと言ってこのモロコシの為に何かをしてやろうと考えるモロコシは一人も居ないのです。

 勿論、モロコシ以外の人達も同じです。勇敢なだけのモロコシには、やはり一人の友人も居ないのです。

 ここでふさぎこんでいっそ病気にでもなってしまえば、まだ違ったのかもしれませんが。この勇敢なモロコ

シはすこぶる身体が丈夫で、生まれた時から病気一つした事がなかったのです。

 悲しい事に心の方も頑丈で、ちょっとやそっとの悩みでは傷付きもしません。

 そんな事で漠然とした不安というのか、何だかしゃっきりしない気持ちを抱えたまま、長い時間が過ぎてい

ったのでした。

 勇敢だったモロコシも歳には勝てず、力であふれていた肉体も、強靭な心も失い。ただのちょっと頑固なお

じさんになってしまいました。

 おじいさんとは言えませんが、老いてないとも言えません。若い頃のようには働けなくなりました。

 仕方なく仕事を引退し、王様から年金をもらってのんびり暮らしておるのですが、今になってずっと抱えて

いた疑問に押し潰されそうになってきました。

 そう、自分の人生これでいいのか、という疑問です。

 一日の内にその疑問に費やす時間が少しずつ増えていき、今では一日中ずっと考えるようになっております。

答えは相変わらず出ません

 答えどころか、自分が何を考えているのか、どうしたいのかすらはっきりしない有様です。

 疑問自体があまりにもふわふわで、あやふやで、何をどう考えて良いのかも解らないのです。

 このままでいいのかとはいつも思っているのですが、では何が悪いのかと考えても具体的な事が浮かんでこ

ないのです。

 考えれば考えるだけ解らなくなってきます。

 自分は不幸だったのだろうか。不幸な人生を送ってしまったのだろうか。そんな答えの無い問いに埋もれて

しまいそうになりました。

 でも何となくでも考え続ける事によって、悪くない事もありました。

 確かに考える事で苦しい気持ちが日々増えていきます。自分に対する疑問、不安、これからどうすれば良い

のか、本当にしたい事は何か。答えの出せない問いは苦しく、辛いものです。

 けれどその終わりのない疑問を考え続ける事で、色々な見方ができるようになってきたのです。

 例えば空に浮かぶ雲一つをとっても、どんな姿に見えるのかは様々で、その色さえモロコシによって感じ方、

捉え方が違います。

 悲しいと思っていた事が実は嬉しく。喜んでいた事が実は苦しんでいたという事もあります。

 同じものでも見方を変えれば、全く違うものに映るのです。

 そしてそれが同じものを見ても不幸に思うモロコシもいれば、幸福に思うモロコシもいるという不思議な現

象を生み出しておるのです。

 勇敢だったモロコシはそんな事が少しずつ解るようになってきました。

 苦しさは変わりませんが、その苦しみから何か大事なものをもらっているような、そんな気になってきたの

です。

 何だかそれは子供の頃に見ていた景色と似ているように思えました。今はもう昔のように素直ではないので、

一々理屈を付けたり、説明したりしてしまいますけれど。一方的な物の見方を自分に押し付けるのではなく、

心の全てを使ってそのままの姿を見、受け止めていられるような懐かしい気持ちがしました。

 そして勇敢だったモロコシは思いました。

 全ては平等に美しいと。

 色んな事を考え過ぎて疲れた結果、余分なものが抜け落ちて、単純な心だけが残ってしまった結果かもしれ

ません。

 そのおかげで生まれて初めて見た物に感じる美しさを思い出す事ができたのでしょう。

 ならこのままで良いのかもしれないと老い始めたモロコシは考えるようになってきました。

 このまま一生考え続けても答えは出ないかもしれない。ずっと苦しいような気持ちが続くのかもしれない。

そしてその果てには何も無いのかもしれない。

 それでも思い出せた事がある。

 自分は生まれてから何も変わっていない。まっさらなただのモロコシのままである。

 詰まらない理屈や常識なんて、すぐにはがせる薄皮のようなものでしかない。

 モロコシはモロコシ。

 頑固で勇敢なだけの何でもないただのモロコシである。

 気付くと日が暮れ、少しずつ世界の色彩が変化していく所でした。

 明日も明後日もこんな風に世界は色を変え、そして朝になればまた自分に戻るのです。

 モロコシにはそれが、全てが洗い流されていくように見えたのでした。

 そんなお話。




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