10-3.

 不可思議な空気が流れている。

 特に害がある訳ではないのだが、心が締め付けられるような、逆に突き放され浮き上がってしまうよう

な、居心地の悪さがそこにはあった。

 魔力とはまた違う、目に見えない何かが、そこには在るのである。

「申し訳ない・・・・」

 その何かに耐えかねたのか、とうとう岩顔が小声で何やら呟き始める。

「え、何か仰いましたか」

「いや、だから・・・・」

「何ですか」

 気の毒に思ったのではなく、おそらく聞き取り難かったのだろう、クワイエルが耳を寄せる。

「その、申し訳無いが、一人にしてくれないだろうか」

 心なしか表情も強張っており、見る者に気の毒な気持ちを抱かせるに充分。先ほどの怒りも何処へやら、

今は身体も縮んでしまったかのように小さく見える。

 ハーヴィ達はそれを目にし、何とも居たたまれない思いを抱いたのだが。クワイエルだけは好奇心の方

が強いようで、暫く葛藤した後、何とか自制というらしくないものを見せ、その場を黙って離れると、仲

間達と共に遠くで見守り始めた。

 岩顔は暫くぐらぐらと揺れていたが、ゆっくりと三度回転した後、ようやく地面に顔をくっ付け、その

後は身動きもせず、いつも通りだろう静かな岩へと還った。

 岩顔としても、無念の想いを懸命に振り払った結果に違いない。

 再びハーヴィ達は岩顔に同情を寄せた。ここまで出端を挫かれた存在を見ると、種族を超えて、もう同

情の気持ちを抱くしかない。

 気の毒で可哀想で、涙の一つも見せてやりたくなる。

 無論、そんな中でクワイエルだけは、いつものように。

「そろそろ良いでしょうか」

 などと言い放ち、無遠慮にもまた同じ岩顔の側へ向い。まるで熟睡している人を無理矢理起こすように

して、がっと岩顔に手をかけたかと思うと、ぐらぐらと強く揺さぶり始めてしまったが。

「そ、それは不味いのではないか」

 無茶をするクワイエルに、ハーヴィは流石に止めるべきではないか、という迷いが生まれた。だが彼と

ても魔術師の好奇心には勝てず、差し伸ばそうとした手をゆっくりと引っ込めると、そのまま成り行きを

見守り続けてしまう。

 ハーヴィがそうであるから、他の三名も何も出来ない。岩顔に同情しながら、無慈悲にクワイエルのや

り方を見守っている。ひょっとしたら心の何処かに、この岩になら大丈夫だ、という不思議な思いがあっ

たのかもしれない。

 岩顔は数分間、何とか頑張っていたが、とうとう根負けしてしまい。

「解った、解ったから止めてくれッ!!」

 泣き付くような顔で、クワイエルへと顔部分を向けてしまった。

 ハーヴィ達は心中で涙を流してやったが、それでもクワイエルを止めようとはしない。

 彼らもまた、準クワイエルとでもいうべき存在へと、変貌してしまっていたのである。嘆かわしい事に。



 岩顔は正当な権利として、静かにここに居させてくれと、そう強く言い放つ事も出来た筈だ。しかし今

更そんな事を言う力を失くしてしまったのだろう。諦めた表情を浮べ、素直に聞いている。

 他の岩顔達はもう興味が無いのか、それとも関わりたくないだけなのか、前のように起きる事無く、あ

くまでも岩のままで居る。

 岩顔はそんな岩達を恨めしそうに眺めていたが。その顔からは、もう逃げ出さない、立ち向かって見せ

る、という気合も僅かながら感じられた。

 この岩顔はその材質からは想像出来ないくらい表情が多彩で、見ているだけでも面白い。ひょっとした

ら、それを見たくて、わざとクワイエルは感情を逆撫でしているのだろうか。

「貴方達が生まれた時、すでに此処はこうであったのですね」

「その通り」

 クワイエルの質問にも、岩顔はしっかりとした口調で答える。

「貴方達は集団で暮しているのですか。それともたまたま集まっているだけなのですか」

「別に他岩は気にせず、好きにやっている。気付いたら近くに居た、それだけだ」

「なるほど、ではどなたかを代表として、我々と交渉していただくような事は、出来ますか」

「え、代表、交渉、・・・・それは参ったな」

 岩顔は顔をしかめて悩み始めた。その表情もまた、面白い。

「そんな事言われても、困るな、ほんと。困ると言えばもう初めから困る」

 ぶつぶつ言う岩顔を尻目に、クワイエルは調子を崩さない。

「では皆さんで話し合っていただくという事でどうでしょう。先程のように話し合えば、おそらく決める

のも難しくないと思いますが」

「え、いや、困るな、困るよ」

「ではまず我々が望んでいるのは・・・・」

「ちょ、ちょっと」

 慌てる岩顔を無視し、遠慮なく話を進めて行くクワイエル。

 これは強引にまとめようしているのではなく。さりげなく周りの岩達がこの話も聞いているだろう事を、

考えた上でやっている事だ。

 例え聞いていないにしても、何かこの岩同士で意思疎通する手段はある筈。でなければ、あれだけ見事

に全員が起き上がる事など出来ない。

 だからとにかく伝える。それを了承してくれるかは別として、とにかく聞いてくれるなら、彼は話し続

ける。クワイエルは伝えるという事を大事にしているのだ。

「・・・・と云う事で、皆様にどけてくれとは言いませんし、何をどうこうしようとも思いません。ただ、

通行の許可と、話し合う権利を認めて欲しいのです。無用な争いを避ける為に」

「結局、最後まで言いやがった・・・・」

 岩顔がげんなりした顔で呟いたが、勿論クワイエルは気にしない。いつからか目の前の岩顔だけでなく、

辺り一面に聞こえるように話し始めており、この岩顔も半ば無視された格好になってしまっている。

 しかし流石に気の毒に思ったのか、或いはたまたま目があったからか、最後に確認するように、クワイ

エルは目の前の岩顔へ向き直り、こう告げた。

「我々と友好協定を結んでいただけますか」

「いや、だから・・・それは・・・」

 岩顔はしどろもどろに言うだけで、まったく要領を得ない。

 暫くそんな状態のまま、ぶつぶつ呟いていたが、流石にそれに痺れを切らしたのだろう。今まで静かだ

った全ての岩が、突如一斉に起き上がり。

「よかろう!!」

 と一声飛ばすと、同じように一斉に地面に顔を付けた。

「え、何、何がどう・・・」

「ありがとうございます」

 惑い取り残される一体の岩顔を無視し、クワイエルは微笑みつつ頷き返した。

 ハーヴィ達も笑顔で応え、今回の成功を祝福する。

「いや、まあ、良いけどな。特に邪魔しないのなら・・・うん、良いんだ、きっと」

 何故かちょっと恥ずかしそうに、最後の岩顔がゆっくりと地面に顔を付ける事で、この岩だらけの場所

に、静かな空間がようやく戻ってきたのであった。



「ちょっと待って下さい」

 しかし最後の岩顔を何故かクワイエルが引き止める。

「え」

 岩顔も無視すれば良かったのに、岩が良いのか、素直に答えてしまった。そして再び起き上がり、途中

で起き返したのが辛かったのか、しんどそうな顔をしていたが、それでも正面からクワイエルと向き合う。

「交渉は確かに終わりなのですが、個人的に聞きたい事がありまして」

「え、ちょ、ちょっと、それはもう良いだろ・・・」

「ではまず、何故此処で貴方達が生まれたのか、そして・・・」

「か、勘弁してくれ」

 こうして岩の良い岩顔は、数日もの間、クワイエルに悩まされ続ける事になる。

 他の岩達も助け舟を出そうとはしない。ひょっとしたら、この岩は生贄に捧げられたのではないかと、

ハーヴィはそんな事を考えていた。




BACKEXITNEXT