10-6.

 肌に感じる風、皮膚が剥ぎ取られそうな程、痛いくらいに感じるそれが、今の状況が現実である事を示

している。

 いっそ夢と思いたい所だが、この風が許してくれない。これは祝福か、それとも呪詛だろうか。

 クワイエルはそんな事を考えながら、圧倒的なまでにどうしようもなく落ちて行く自分を、どうしたも

のかと一人悩んでいる。

 一定の速度に達すれば、もうそれ以上加速される事は無く、落下感による恐怖は視界だけとなる。後は

ただ落ちている、或いは飛んでいるという気持ちと共に、不可思議な地上との距離感を思うだけ。

 息苦しさには慣れないが、我慢できない程ではない。頭を使う余裕が戻ってきていた。

 ある意味開き直りにも似た心許無い余裕だが、それでも無いよりはありがたい。

「ヘゲル、エフ   ・・・・  偉大なりし力、緩めよ」

 落下速度が瞬時に減速し、未だ止まらぬでも、このまま地面に降りても支障ない程度に戻された。

 急激な変化ではあるが、魔術がクワイエル自身に作用している為、身体に負担がかかる事は無い。多少

の違和感はあるが、それもまた自然の流れに掻き消される程度のもの。

 魔術はあくまでも自然に行なわれる。他者から見れば不思議でも、それそのものに違和感は無い。過去

から未来に流れるように、それもまた自然な変化なのである。

 変化を感じるのは、感じる者の心だけ、常に全ては当然のように在り続ける。少なくとも、魔術が働い

た部分だけは、その瞬間だけは。

 落下速度がゆったりしたものに変わると、下を眺める余裕が出てきた。勿論怖いけれど、これはとんで

もない絶景だった。美しく広がる自然だけが、心を支配して行く。こんな怖ろしい目に二度と遭うのは御

免だったが、この景色だけは何度でも見たいと思う。

 でもやっぱり怖い。何度でも見たいが、あんまり長く見続けたくはない。

「そうだ」

 クワイエルはふと気付き、顔を上げる。

 そこにはレムーヴァの果てが広がっている筈であった。どれほど遠くとも、上空から見るのであれば、

果てまで見える筈。彼は期待を籠めて、眺め見た。

 しかし期待は嘆息と共に裏切られる。

「そうきたか・・・、まあ、確かにそうなんだろうけど・・・」

 果ては無かった。そこには何処までも続く荒涼とした地形が続いている。空もずっと続き、台地もずっ

と続く、この空間の景色が、延々と続いていたのだ

 それは何もこの大陸がそこまで広大という訳ではない。上空からの広い視野ならはっきりと解る。この

空間は閉じられ、永遠にループしているのだ。

 果てに行けば始めに戻り、始めに戻れば果てに行き着く。ここは無限に続く終わり無い空間。云わば今

だけが永遠に続く、永久なる時空。クワイエル達は、すでに囚われていたのである。

 クワイエルはもう一つ疑問が浮び、手足を情けなくばたばたと動かして、空を見上げてみた。

 そこには大地は無かった。どうやら境界まで行くと、後はその境界の景色が連続して続くようだ。確か

に、空に大地が見えれば、無用な警戒心を抱かせてしまう。

 この辺は気を使っているんだなと、場違いに感心した。



 随分落ちると、仲間達の姿が確認できた。米粒のように小さく、黒いような何かにしか見えないが、そ

れでも自分のほぼ真下に居るのだから、彼らであるに違いない。そうでないと困る。

 周囲を見渡せば、遥か彼方にハーヴィらしき粒も見えた。もしかしたら錯覚かもしれないが、多分そう

だろう。その内仲間と合流すれば、彼もこの異変に気付く筈だ。いや、もう気付いているのかもしれない。

 しかし困った事になった。水の補給が不可能である。後戻りも先に進む事も出来ない。何とかこの空間

を抜ける術を見付けないと、この地で干からびてしまう。

 だが出来るだろうか。この地の主を見付け様にも、何処にもそれらしき姿は見えないし、魔力も感じな

い。隠れているのか、或いは当の昔にこの空間で独り死んでしまったのか。

 もし誰も居ないのだとすれば、クワイエル達で結界を抜けるしかないが、そんな事が簡単に出来るとは

思えない。

 ここで終わりなのか。ここで死んでしまうのだろうか。

 だが例えそれしかなくとも、やるだけはやってみなければ、悔いが残る。無駄な努力でも、何もしない

よりはすっきりする。

 目的ではなく、やる事そのものに意義を感じ始めると、それはもう終わりかもしれないけれど。やって

みなければ解らないのだから、それをやってみよう。諦めるのはそれからでいい。

 ともあれ。

「困った」

 魔術を早く使いすぎたらしく、大地はまだ遥か下である。着くまでには随分時間がかかるだろう。

「まあいい。助かっただけましだ」

 もう一度魔術を使うのは危険な気がしたので、クワイエルはのんびり落ちるのを待つ事にし、この二度

と見る事の無いだろう景色を楽しんだ。



「マン、ラド、イス   ・・・・  我が、流れを、静止せよ」

 地表近くにて魔術を唱え、落下を止める。そのまま降り立っても良かったかも知れないが、やはり落ち

るのは速度が遅くとも怖かったので、念の為にそうしておいた。

 下手すれば地面に着いても止まらず、地下へめり込んでしまう可能性もある。そんな事は無いだろうと

思うが、クワイエルがそういう想像を浮かべた以上、そうならなかったとは言えない。

 魔術は想像と密接に関わっている。本来は純粋なエネルギーでしかない魔力を、想像と自分達が使って

いる言葉で縛り、形付ける事で、初めて自分の世界に魔術として働く。だからこそ魔術は不安定で、ルー

ン数は少なくとも、油断する事は危険である。

 それが魔術の基礎となる重大な考え。魔術を扱う者は、魔術を恐れなければならない。

「ふう、何とか生き延びたか・・・」

 無事地上に降り立ち、念の為に静止の魔術も解いて、一息を入れる。

 仲間達から離れてしまったようで、周囲を見回しても姿は見えないが、彼女達の放つ魔力が感じ取れる。

多少逸れたが、そんなには離れていないらしい。

 一つ他より抜けて高い魔力を感じるのは、ハーヴィが戻っている証だろう。

 クワイエルは体の筋をほぐしてから、身体を慣らすようにゆっくりと歩き始め、徐々に速度を上げて行

った。空中落下は二度としたくない。



 仲間達もクワイエルを感じ取り近付いていたので、すぐに合流する事が出来た。

 皆困惑顔なのは、ハーヴィが今の状況を説明し終わっていたからだろう。

 命を失わずに済んだとはいえ、今の状況には、喜ぶ要素が一つも無い。せめて緑溢れる地形であれば良

かったのだがと、流石のクワイエルも意味の無い願望を抱いた。

 皆で相談してみたが、結局答えらしき道は見付からず、とにかくその境界線まで行ってみようと云う事

になった。

 来た時に結界を感じ取れなかったと云う事は、実に巧妙に隠されていると思えるが、その存在を知った

今ならば、何とか見付けられるだろう。

 単純な事だ。間を空けて進み、先頭が視界から消えれば、そこが境界線と云う事になる。張ってある場

所が解れば、結界を調べられる。

 勿論、桁違いの魔力で創られた結界ならば、手も足もでないのだが。ここで立ち止まって途方に暮れて

いるよりはいい。話し合うべき事が出尽くし、全員の意見が一致した後、彼らは周囲を警戒しつつも、あ

まり速度を落さずに進んだ。

 クワイエルとハーヴィが境界を通り抜けても何も起こらなかった。近付くだけなら、危険はないだろう。



 そうして暫くの時を歩きながら過ごしたが、予想した通り、特に特筆すべき事は起こらなかった。

 荒野は荒野のまま、いつも変らずそこに在る。この空間に果てがないように、この場は停滞とは言わな

いが、変化というモノに実に鈍感であるように感じた。

 変化をあまり好まないのが、この大陸の種に共通している感情であるらしいが、ここまで極端なのは今

までに見た事が無い。

 そして思うのは、何故変化を嫌う癖に、こうして旅人を招き入れるのかと云う事。

 そういえば、前に似たような事があった。

「フレースヴェルグ・・・」

 その名が脳裏に浮ぶ。招き入れておいて、出すつもりが無い。それはつまり、旅人を捕らえる為の罠で

はないだろうか。

 フレースヴェルグの時はフィヨルスヴィズが助けてくれたが、今回はそうはいかない。

 クワイエルは不安を消す事が出来なかった。

 何一つ当ての無いまま、彼らは歩み続ける。




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