10-7.

 どうにか境界にまで辿り着き、結界を確認する事が出来た。

 目で見ただけでは全く解らない。そこを通ってみて初めて解るモノで、実に良く出来ている。しかも結

界に触れても違和感がほとんど無い。はっきりと隠そうという意図が汲み取れる。

 とすれば、やはりこの地の主の目的は、外から来る者達を閉じ込めてしまう事にある、と考えるのが妥

当で、悪戯とでも考える以外、他に理由が見付からない。

 勿論、考え方がまったく違うのなら、想像しようもないのだが。

 結界は閉じ込めるのが目的とすると、真の目的はなんなのだろう。閉じ込めるのは目的の為の手段に過ぎ

ない。悪戯でなければ、他に閉じ込めた理由がある筈だ。

 理由。

 考えるなら、食事。罠を使って捕獲した後は、餌にするか何かの素材にするか、それくらいしか考え付

かない。ペットのように飼うという事も考えられるが、それならそれで、水も得られない荒野に閉じ込め

る必要は無いだろう。

 それとも水と食料を取り上げた後、それらを使って飼い馴らすつもりなのだろうか。

 解らない。

 解らないが、クワイエル達の思考の中では、やはり餌にするとしか考えられない。大体この大陸の全て

の種が、水と食料を必要とするかどうかも解らないのだから、飼い馴らす為の場と考えるのは不自然だ。

 研究対象という線もあるが。今までに会った大陸の種が、他に関わるよりも自分の領域を守る事に拘っ

ていた事を思えば、そこに敢えて閉じ込める意味に、喰らう、という方が自然である。

 まあ、実際に会って見なければ、本当の理由は解らないのだが。

 何にしても最悪の結果を想定しておく方が、いざという時に対処しやすい。クワイエル達は餌として捕

獲されたと、そう考える事にしよう。

 となると、諦めの悪いクワイエルが、黙って喰われてやる、というような殊勝な考えに行き着く事は無

く。悩むだけ時間の無駄だと、何か手がかりはないか、早速目の前にある結界の調査を始めた。

 まずこの魔術を解く事は不可能。しかし例えば小さな穴を空けたり、一時的にこの結界を弱める事なら

出来るかもしれない。

 ルーンは万能だが、魔術は万能ではない。どんな魔術にも何か欠陥のようなものがある。上手くそこを

突く事が出来れば、例え小さな魔力であっても、何とか出来るかもしれない。

 力量差を考えると可能性は薄い。しかしやってみる価値はある。それ以外に無いのなら、いくら絶望的

な手段でも、可能性があるだけましなのだから。



 調べてみて解った事は、この魔術は非常に繊細なモノであり、おそらく数種類の魔術を積み重ね、その

上で完成している、と云う事と。一朝一夕でどうにかなるような代物ではない、と云う事だけだった。

 クワイエル達は随分魔力が増しているが、その彼らでさえ、この大陸の前ではどうにも無力で、他種族

の助けを借りなければ、とても生きていく事が出来ない。他種族の善意があって、初めて人がこの地で生

きていく事が出来る。

 それは鬼人でさえもそうで、彼らの領域ならまだしも、そこから離れてしまえば、その地の主の善意無

しには、とても生きていられない。

 レムーヴァの奥地に行けば行く程に高くなる魔力。それはクワイエル達の魔力も同時に高めるが、それ

だけではその地の主に対抗する事は出来ない。

 この大陸には目に見る以上に明らかな力の差があり、それはどう足掻いても埋まらないもの。だから人

に出来るのは、力で対抗しようとするのではなく、どうにかして説得し、その善意なり興味なりをかきた

てる事で、何とか凌いで行く事だけなのだ。

 この結界もそう。まともに立ち向かおうとすれば、必ず失敗する。

 淡い期待も脆く崩れた。

 もっと時間をかけて調べれば、突破口を得られるかもしれないが。ここまで繊細な魔術を解こうとする

と、暴走を引き起こしてしまう可能性が大きくなる。魔術を使う者で、暴走の恐怖を知らない者はいない。

危険性がある以上、無闇に手を出す訳にはいかなかった。

 この魔術は、クワイエル達を越えた領域にある。

 わざと暴走させる事で、この地の主を誘き出すという手もあるが。そんな事をしてしまうと、交渉に障

りが出てしまうし、クワイエル達自身もどうなるか解らない。ここは大人しく待つしかなかった。

 この無力感、涙が出てきそうにもなるが、堪えて耐え続けるしかなかったのだ。

 クワイエル達は結界を諦め、野営の準備へと取り掛かる。



 数日経ったが変化は現れない。

 クワイエル達の顔からは精気が失せており、干からびたように肌にはつやが無い。汗で肉が削ぎ落とさ

れ、骨が角張って目立つ。何も当てが無いのでぎりぎりまで水と食料を抑えるしかなく、そのせいで目に

見えて元気が無くなっていった。

 歩き回る事もせず、じっと日陰で横になっている。たまに、もう溶けてしまっているのではないか、な

どと感じるが、無意味な思考で遊ぶ意外に出来る事も無い。

 鬼人達も辛そうだ。森林に適応している為、こういう荒野には合わないのかもしれない。

 限界が近い。



 虫の息とはこの事だろうか。呼吸をするのも辛く、息がそうとは思えぬ程細い。唇から漏れるような呼

吸音が、虚しく荒野の風音に溶けていく。

 そろそろ動くのも難しくなってきた。片手を上げるのでさえ、重労働に感じる。鬼人達はまだましのよ

うだが、クワイエルとエルナは明らかに消耗している。このまま風化してもおかしくないくらい、色艶が

薄れ、まるで少しずつ荒野に食われているかのようだ。

 ハーヴィが心配そうに見ていたが、彼としてもできる事は無い。僅かに残った水で唇を湿らせてやるく

らいが精々で、情けないが、何もしてやれない。

 クワイエルの予想では、もし自分達を餌にするつもりであれば、おそらく瀕死になった状態を襲う筈。

それが一番新鮮に楽に喰える方法なのだから、そうすると考えられる。

 だからその時の為に、限界まで食料や水を摂取せず蓄え、じっと待つ。そしていざその時が来れば、一

番丈夫で魔力の高いハーヴィが対処する。

 それが彼らが相談して決めた方法、というよりも捨て鉢の開き直り。それをする為、食料と水を失い、

力尽きたように見せなければならない。或いは聴かせ、感じ取らせなければならない。

 縁起ではなく、実際に瀕死になる必要があった。

 クワイエル達では歯が立たぬ事は、魔力量を感じ取れば解る筈。このような結界を創れる者であれば、

人や鬼人では足下にも及ばないだろう。

 それで尚待つというのは、よほど慎重な性格である。だから誘き寄せる為には、そうするしかなかった。

現実に死にかけるからこそ、初めて相手を騙す事が出来る。

 いくら辛くても、例え命が費えてしまうとしても、余計な手出しをする訳にはいかない。余計な事をす

れば、全てが台無しになってしまう。感情は時として毒になる。

 ハーヴィもそれは理解しているが。苦楽を共にしてきた仲間が苦しむのを黙って見ているのは辛く、ど

うしようもない想いに苛まれていた。

 これは鬼人があまり感じた事のない感情で、それだけに耐え難く、鬼人の集落外の世界と深く関わって

きたハーヴィで無ければ、耐えられなかったと思える。

 だが彼は耐えた。彼の持つ信念と仲間への信頼は、それ程に強いものになっていたのだ。だからこそ情

に負けそうにもなるが、同時に覆す力も生み出してくれる。

 レイプトとユルグはそんなハーヴィの姿を見、それを支えとする事で、黙って耐えていた。そしてその

気遣い、想いが、ハーヴィ自身を支える。

 自然と相互に支えあう、それが信頼である。

 そしてそんな鬼人達の心が、クワイエルとエルナをも元気付けるのであった。



 何かとても強い振動音が見知らぬ深くから聴こえてきたかと思うと、突如付近の丘が割れ、そこから飛

び出した砂が、みるみる一つの物体を形作り始めた。

 砂は空を貫くように鋭く伸び、まるで槍の様に細長く突き出す。穂先がクワイエル達に触れるまで近付

き、確認するようにゆるりと宙に円を描いたかと思うと、今度は鋭く鎌首をもたげ、蛇のように警戒する。

 そのまま暫くすると、再び強い振動音がし、大きく空いたままの穴から、まるで吐き出されるかのよう

に、大きな一つの塊が出てきた。土砂の塊のような姿で、酷く乾き、表面はつるりと照っている。そして

そこから常に砂が零れ、その存在の下には、常に砂の小山が出来る。

 身震いした塊から、次々と槍が飛び出し、その槍を足のように器用に使い、塊そのものがクワイエル達

に近付いてくる。

 下部にある槍は脈打つように動き、大地から砂や土を摂取しているようにも見えた。

 動きだけを取ると非常に気持ち悪い存在だが、乾いた土砂で出来ている為に、何処か滑稽な感じもする。

子供の頃、砂で色んな物を形作って遊んでいたように、見えない巨人がその砂で遊んでいるかのようにも

思えるのだ。

 クワイエル達が観察している間も、それは絶えず砂を零し、下部の槍がもりもりと大地を喰らっていく。

 土砂を摂取して砂を吐き出すと云う事は、この存在は土を食べているのだろうか。それとも土中に居る

何かを食べているのだろうか。

 どちらにしても、クワイエル達を喰らう必要は無い筈。それともこの存在は雑食なのか。全てを食べ、

砂に変えてしまう存在なのだろうか。

「妙なのがかかったもんだ」

 クワイエル達の頭に直接声が響いた。

「何をするつもりかは知らんが、わしの消化器官は繊細でな。お前らのような初めて見るのはとても食え

ん。面倒だから食わんでおく、さっさと出て行け」

 砂塊は一本の槍を持ち上げると、結界の方へかざす。

「ユングヴィ!」

 発せられた魔力と共にかざした槍が結界を貫き、クワイエル達は別の槍に絡まれ、貫いた穴から外界へ

と放り出されてしまった。

「もう来るなよ」

 そして程無く結界が閉じると、後は静寂だけが残ったのである。音も結界でループするらしく、こちら

からはまったく結界内の様子が解らない。

 ここまでの流れは土砂塊が現れてから、僅か数分の事である。流石のクワイエルも付いていけず、暫く

呆然と結界のある方を眺め、何も発する事が出来なかった。

 他の者達も同様で、死にかけている事も忘れ、ただただ疑問だけが浮ぶ目と頭で、状況を整理する事に、

時を費やしていた。




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