10-8.

 色々と言いたい事、やりたい事があったが、このままでは流石に身体が動かない。そこで気分が落ち着

いた所で冷静に考え、まず残しておいた食料と水を使い、力を取り戻す事に専念する。

 じっと眠るように動かず、呼吸を整え、鬼人達が作ったスープをゆっくりとすする。回復する事に意識

を集中していたせいか、一日休むとそれなりに動けるようになった。勿論自由に動くにはまだ辛いが、と

にかく起き上がってゆっくり歩く程度の事は出来る。

 ただ困った事に、状況は悪化し続けている。

 何故なら、結界から放り出されたのが丁度北側、つまり来た方向とは正反対だったからだ。

 結界を越えた事で、荒野は終わりを見せたが、運の悪い事に今度は砂漠が広がっている。もしかしたら

あの土砂塊が食い散らして来たのかもしれない。

 まあ、そこまでするなら、地形を変える方が早いから、それは冗談としても。深刻な状況に変わりない。

 水や食料を得られず、今度こそ本当に尽きようとしている。ここでのたれ死ぬよりはましだと思い、遠

慮なく使ってみたが、身体が元気になってもすぐに疲弊してしまう。

 そんな状況なのに、クワイエルはもう一度結界内に入り、土砂塊と話してみたいとまで考えている。ま

ったく仕方のない男で、好奇心猫を殺すとは、この男の為にある言葉かもしれない。

 流石にそれを強行するような事はしないが、呆れた魔術師である。

 力を残していたハーヴィが中心となり、念の為に周囲をざっと調べてみたが、南の荒野を除けば遥か彼

方まで砂漠が広がっている。辛うじて東の果てに緑が見えるが、そこまで命が持つかは解らない。

 この砂漠にも何が棲んでいるか解らないし、希望的に考えるには不安が多過ぎる。

 しかしクワイエル達が話し合い、色々な案を出したのだが。結局、東を目指して進んでみるしかない、

という結論に達してしまった。

 知る限り、東方は緑豊かで生きやすい場所だった。彼方に見える景色が蜃気楼である可能性もあるが、

そうであったとしても、砂漠を越えようと考えるより、東を目指す方がまだ可能性は高い。

 出来れば南に戻りたい所だが、そうするとこの結界を迂回する必要がある。だが結界の境界は上手く隠

されていて、迂闊に近付くとまた閉じ込められてしまうだろう。

 閉じ込められれば助かる保証は無いし、出来れば南行きは避けたい。

 クワイエルは閉じ込められてもそれはそれで良さそうな気配だったが、他の者ははっきりと反対した。

クワイエルに毒されているとはいえ、幸いにも彼らはまだ常識的な範囲内に居てくれるようである。



 食料が底を尽き、水もほとんど残っていない。

 随分進んだと思うが、目指す緑は遥か遠い。激しい昼夜の寒暖差と砂という地形が容赦なく疲労させ、

体温を保つ魔術と、重力を緩和する魔術で対処しているが、どうしても足取りは重くなる。

 精神的な疲労もきつい。どれだけ進んでも変わらないような憂鬱な気分が湧き、心を惑わせる。空腹と

渇きのせいで集中力も薄れ、気力もみるみる失っていく。

 北にオアシスらしき景色が見える事もあるが、大抵はすぐに消えるし、例えずっと見えていても、それ

が本当に存在しているのかは解らない。確かめるには遠すぎるし、無駄足になれば立ち直れないかもしれ

ない。ここは休息回数を増やして、騙し騙し東へと進むしかなかった。

 酷い有様になったものだ。あの結界に踏み入れる前はそれなりに順調にいっていたのに、この荒野から

砂漠、という悪夢としか思えない地形に踏み入れたおかげで、遭難しようとしている。

 これもレムーヴァならではの体験かもしれないが、誰もこんな経験は望まないだろう。飢えと渇きとい

う地味に効果的な手段で苦しめられるのは、覚悟していても辛い。

 これならまだ何者かに襲われるとか、そういった危機の方が楽なような気もする。ただ延々と飢えなが

ら歩くのには、心が耐えられない。

 疲労なら休めば癒えるが、空腹と渇きは募るばかり。

 鬼人達ですら無言になり、皆黙って歩く。以前にも似たような事があったが、今はより切実かつ危険で

あった。

 それでも進むしかない。他に出来る事は無いのだから。



 とうとう足が止まった。

 目で見えているのに、まったく手が届かない。いくら歩いても歩いても、その距離が全く埋まらず、休

息の回数だけが増え、とうとう座ったまま動けなくなってしまった。

 限界が来ている。前の時はその振りだったのだが、今回は本当に動く力が残っていない。水さえ尽き、

休んでも疲労が抜けず、休む効果も無くなっている。

 皆単に黙っているのではなく、それぞれに懸命に打開法を考えているのだが、それもまったく思い浮か

ばない。魔術で水や食料を生み出せれば良いのだが、創生の魔術は非常に困難で、魔力の消費量も多い。

 残っていた水を少しずつ増やす事で何とか生き延びてきたのだが、それも相当の魔力を消費する為に、

結局は余計に疲労が溜まる。疲労が溜まれば休まなければならない。しかし休んでも食べる物、飲む物は

ない。時間だけが過ぎ、余計に状況が悪くなる。

 無駄な事が実証され、魔術を使う事を止めたが、だからといってどうなる訳でもない。

 野営の準備をする気力さえ惜しいので、日差しと砂避けの為に布を張り、その下に冬場のてんとう虫の

ように、一塊に固まって休んでいる。

 幸いかかっている魔術は持続していて、凍死したりするような事は無いが、このままでは遠からず餓死

してしまうだろう。

 最後の手段としてクワイエルが地下を少しばかり探ってみたが、やはり水脈を見付ける事は出来なかっ

た。この付近の主達は、地形からも解るように、おそらく水を必要としないのだろう。クワイエル達にと

っては迷惑な話だが、主達には関係ない。

 出来る事は全てやった。

 後は座して死ぬだけ。

 いや、そんな殊勝な者がこのメンバーの中に居る筈がなかった。

 このまま安静にしていれば、まだ数日は生きられる。諦めるのは死ぬ瞬間でいい。それまではまだ行動

できるのだから、諦める意味は無い。

 ハーヴィが意を決して立ち上がり、付近を探索する為、身支度を始めた。可能性は薄いが、もしかした

ら何かに出会えるかもしれない。何かあれば、助かる道が生まれるかもしれない。

 クワイエルは地下へ行った為に力を使い果たした。後はもうハーヴィしかいないのだ。

 ハーヴィは今こそ自分が奮起する時だと感じた。前の時は何も出来ずに見ているしかなかった。それが

作戦だとしても、無力であった事に違いない。しかし今は違う。彼にはまだ動くだけの力がある。鬼人の

人よりは恵まれた体力、そして生来持つ魔力の高さ、それは尽きていない。

 クワイエルとエルナの世話はレイプトとユルグに任せておけばいい。この二人もハーヴィ程ではないが、

少しは動ける。二人も成長した。この困難にも打ち克てるだろう。例え死ぬとしても、その心は決して屈

しない。

 エルナとクワイエルも寄り添うように互いの魔力を分け合い、魔力、つまり生命力の消費を抑え。それ

どころか少しでも高めようと、今も努力し続けている。鬼人の足手まといにならないよう、必死に生きよ

うとしているのだ。

 誰一人諦めていない。せめて少しでも長く生きる事で、その可能性を広げようとしている。ここでその

想いに応えなければ、一体自分に何の価値があるのかと、ハーヴィは自問した。

 皆を救いたいと心から願った。そして願いを叶える為には、まず行動しなければならない事も、彼は良

く解っている。その一つの結果が魔術であるように、ルーンは強き意志にのみ、祝福を与えてくれる。

「周囲を探索してこよう。それまではユルグ、レイプト、二人に任せる。我らも足掻いてみよう。人のよ

うに、命果てるまで足掻き続けてみよう。人と共にある為に、新しき道を選んだ我らに相応しいように」

 ユルグとレイプトはその言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷く。

 ハーヴィは北へ、つまり砂漠へ向う。

 蜃気楼だと思うが、そう遠くない先に何かが見える。クワイエル達はもってもおそらく後二日か三日、

なら当てもなく彷徨うよりも、それに賭けてみる事にしたのである。

 疲労を顧みず、ハーヴィは急いだ。




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