10-9.

 ハーヴィは懸命に駆けた。重力を緩和する魔術を使い、文字通り飛ぶように走る。

 警戒している余裕は無い。来るなら来い。そういう心で一心に走る。実際今何があろうと、その危機感

に大差無く、いっそ開き直って急ぐ方が賢明なくらいだった。

 自分の体力も気にかけない。本当なら彼も限界に近い筈だが、後の事を考えず、考えられる限りの魔術

を使う。いつもは些細(ささい)な事にも気を配り、少しでも危険性を減らすべく終始してきた彼からす

ると、これは今までに無い経験で、実は少し新鮮さも感じていた。

 義務感を一つかなぐり捨てる事で、身が一つ軽くなったようにも感じる。

 溺れる程では無いが、確かな心地良さも感じた。しかし同時に恐怖も感じる。責任から抜け出す事は気

分が良くもある、だがその半面怖くもある。落ち着けない。

 そしてその湧き上がるような焦燥感と不安が心を逸らせる。

 一つの義務感を脱いだ代わりに、別の義務感を着たのかもしれない。いや、脱いだのではなく、上から

多い被せる事で、単に元在った義務感を隠しただけなのか。

 単に優先順位が変わっただけなのかもしれない。でも、ハーヴィにとっては新鮮な感情に変わりない。

 これも彼が変わり始めているからか。いや、すでに変わっていたからだろうか。

 ハーヴィ自身も良く解らない。ただ思うのは。

「悪くない」

 誰かを心配する事、自分よりも大切に思える存在、そしてその為に命を賭ける、それは悪くない。その

為に今まで拘っている事を脱ぎ捨てるのも、悪い気分ではなかった。

 ハーヴィは心に在る感情というモノの強さを知る。そして何故それが心地良く、時に大きな力を生み出

しながら、危険視されている訳も。

 それらは全て危うさから生み出されているのだ。

 でも今はその感情の力を借りたい。この想いを大事にしたい。

 砂混じりの風が皮膚を容赦なく責め立てても、大して苦痛には感じなかった。想いは強く、精神と肉体

にそれだけ強く作用しているのだろう。



 走り続けてどれくらい経ったのか。一時間、二時間、いやそれ以上かもしれない。変わらず見えていた

それは、少しずつ大きくなり、ようやくその形がはっきりしてきた。

 どうやら何かの建物であるらしい。小さいが何となく家に見えなくもない。そしてそのすぐ前に、何か

動く物体が居る。一体ではない、二体、いや三体か。それらが建物に出入りしながら、忙しなく何かをし

ている。

 気配を殺し、いくつかの魔術を解除し、逆に自らの姿を隠す簡単な魔術をかけ、ゆっくりとそれらへと

近付く。

 彼らは砂を掘っているらしい。いや違う。砂その物を運び出している様子だ。

 砂漠には溢れているのに、一体何故わざわざ砂を持ち出す必要があるのだろう。ここの砂には他とは違

う何かがあるのだろうか。

「ここからは慎重に行かねば」

 仲間達の事が心配だったが、ここは時間をかけてでも確実に行なうべきだとハーヴィは考えた。

 そして身を伏せ、身体を砂に埋め、まるで砂を泳ぐようにしてゆっくりと近付いて行く。今だけはその

巨体を恨んだが、こればかりは仕方が無い。代わりに慎重に慎重に進んだ。

 その者達の身体は多分ハーヴィの半分もないだろう。人間の子供くらいか。しかしその身に秘める魔力

は強い。巨人のような力は無いが、小人達の王くらいの魔力は持っているように感じる。全身を何かの布

で覆い、その顔らしき部分だけにガラスのように透けた物が嵌められ、表情は見えない。

 それともそういう生物なのだろうか。

 何か声の様な音も聴こえるが、まったく聞き取れない。それはネズミか何かの鳴き声に似ている。

「ギフ、ダエグ   ・・・・  !!!!!!!、!!!!!!!」

 彼らが立てる物音に紛れるように、そっと通訳となる魔術を唱える。

 そして息を殺し、目を閉じ、意識を耳にのみ集中していると、流れてくる音から、少しずつ意味のある

声を聞き取る事が出来た。

「・・・多く・・・含まれる・・・」

「そこが・・・・いや・むしろ・・・」

「そうだ・・・向こうの方が・・・」

「・・・しかし・・・何か・・・」

「・・・うむ」

「・・・危険・・・」

 断片的な言葉の為に良く解らないが、行動と照らし合わせて考えると、どうやら彼らは砂の中に含まれ

る何かの成分を求めているらしい。

 ハーヴィには区別がつかないが、同じ砂に見えて、この砂漠にある砂は、それぞれに異なっているのだ

ろう。創り変える仮定でそうなったのか、或いは元々砂漠がこの地にあったのか、それは解らないが、彼

らにとっては重要な事に違いない。

 ハーヴィは更に近付く。

「やはり果てに行けば行く程良い物が取れる」

「出来ればもっと先まで行きたいもんだ」

「だが向こうには何か居るぞ」

「それだ、それさえ居なければ良いのに」

「交渉してみるか」

「うーむ、しかし奴らがどんなのか解らんようでは」

 こちらから彼らが見えていたように、はっきりとではないが、彼らもこちらの事をある程度は知ってい

るらしい。もしかしたら目が良い種なのかもしれないし、魔術で調べたのかもしれない。

 それなら近付いてきたハーヴィに気付きそうなものだが、あまり気にしてなかったのか、それとも気付

いていても興味が無いのか、全く周囲を気にしているようには見えない。

 もう暫く様子を見てみる。

「乱暴な奴らだったら、えらい事になるな」

「だが我らは交渉相手が居てこそ成り立つ」

「うむ、我らだけでは生きてゆけん」

「だがあっちの奴のように、また喰われてしまうかもしれんし」

「かもしれん。確かに危険だ」

「そうは言っても、わざわざ此処まで来て引き返すのはな」

 注意深く観察すると、彼らは手で砂を掘り出しているようで、武器になるような道具を持っている気配

も無い。もしかしたら建物の中に何かあるのかもしれないが、少なくとも今は、砂を入れる袋らしき物以

外には、何も持っている様子が無い。

 あまり攻撃的な種ではなさそうだから、武器を持つという考え自体が無い可能性もある。

 ハーヴィは少し考え、ここは一つ賭けてみる事にした。

 その場ですっと立ち上がり、体中の砂を払いながら、ゆっくりと彼らへと近付く。

「・・・・・・・・・」

 当然彼らも気付いたようで、不思議そうにこっちを見ている。手早く片付けている所を見ると、何かあ

ればすぐに逃げるつもりらしい。

 殺気というのか、そういう意志は感じられなかった。

「私は向こうに居る中の一人だ。南から来た種族だが、水と食料が尽きて困っている。もし持っているの

であれば、譲ってもらえないだろうか」

 敵意の無い証に両手を開いて見せ、じっと待つ。

 出来ればテレパシーを送るような魔術を使い、ちゃんと通じるようにしたかったが、流石にもう魔術を

使う力はほとんど残っていない。実は立っているのもしんどいくらいだ。

 彼らが交渉を大事にしているのであれば、多分通訳する魔術も心得ているだろうし、何も聞かずに逃げ

たり敵意を見せるような事も無いだろう。

 そう考えると、賭けは二つだったな、と少しおかしくなった。

「・・・どう思う」

「どうもこうも」

「まあ、先に確認するか」

 暫く彼らは話し合っていたが、その内一人が距離を取ってハーヴィの横を抜け、クワイエル達の居る方

向へと走り去った。その動きは速く、とても砂地を進んでいるようではない。まるで滑るようにぐんぐん

と速度を上げ、あっと言う間に小さな影になってしまう。

 それから残った二人がここで待て、という仕草をしながら。

「こちらの云う事が解るなら手を上げろ」

 と言った。

 ハーヴィはすぐに手を上げる。

「どうやら解るらしい」

「そうらしい」

 その後は手を上げたまま、小声で話す二人を見、じっと待たされた。正直苦痛だったが、迂闊(うかつ)

に動けない。ハーヴィはじっと我慢し続ける。

 上手くいけば、生き延びる道が見付かるかもしれない。

 ハーヴィはそのままの姿勢で、上手く行く事を何度も祈っていた。




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