11-2.
花の香りが強くなっている。 見回すと、目に見えて花の数が増えているのが解った。色彩豊かな緑の中で、狂おしい程に香りが充満 している。 砂漠との境界付近でさえこうなのだから、森奥へ進んで行けばどれだけ強くなるのだろう。 クワイエル達はマフラーでもするように、鼻の部分まで布を巻いた。何かで防がなければ、もう耐えら れないくらいに強く、はっきり言えば臭くなってきている。どんなに良い香りでも、強過ぎれば、そして その香りが様々に混じってしまえば、耐えられない悪臭へ変る。 特に大きな危険は無く、順調といえば順調なのだが、鼻が曲がりそうな臭いが辛い。クワイエル達では この匂いの強さには耐えられないのである。 「イング、エオル、ラド ・・・・ 清浄なる、息吹を、保て」 たまらず魔術を使い、周囲の空気を(クワイエル達にとって)清浄にし、強い匂いを消した。それから 鼻まで巻いていた布を外し、深呼吸をする。ようやくまともに呼吸が出来たような気がし、気持ちが落ち 着いた。 となると、今度は匂いの原因の方に興味が湧く。この森の未知に興味が湧いてくる。 そこで少しだけ森側に移動する事にした。あくまでも砂漠の見える範囲で、少しだけ森に踏み込む。し かし進んで行く度にもう少し、もう少しと欲が出てしまい、どんどん森奥へ踏み入れてしまう。 ハーヴィは呆れたが、しかし彼自身もそれに強く反対しなかったからのだから、同罪だろう。鬼人達の 好奇心も目に見えて大きくなっているらしい。 「仕方ない、気になるなら調査しておこう」 ハーヴィが最後に折れるようにそう宣言する事で、クワイエル達の新たな方針が決定された。この香り 溢れる森の調査、そして出来ればこの地の種と交流する事。やはりと云うべきか、なるべくしてなったと 云うべきか、魔術師の選択肢に無視して進むという答えは無いらしい。 彼らは進路を北東へ変え、北上しつつもゆっくりと森の方に浸入して行く。東ではなく北東という所に、 北へは一応向っているんだぞ、という気持ちを感じ、子供っぽくおかしくも思える。それもまたとても魔 術師らしい行動だった。
森の奥に踏み入れれば踏み入れる程、花の数が弥増(いやま)していく。草木を圧倒する勢いで、瞬く 間に増えている。その内森の全てが花で埋まってしまうのではないか。 魔術のおかげで強い香りに悩まされる事はなくなったが、この場に香りが充満しているだろう事は察せ られる。もし魔術を使っていなければ、呼吸すら出来なかったかもしれない。痛みを覚える程に、強い香 りになっているだろう。 まだ花が一種類なら良かったのかもしれないが、多種多様な花が何の法則性も無く、ただ一斉に咲き誇 っているようで、花自身も良く平気で居られるものだと、心配になる程だ。 色も赤やら黄やら青やらとまるで統一性が無く、ずっと眺めていると目が痛くなってくる。単色の派手 な花が多く、香り同様刺激的である。 人間の間でも、ハーブなどの香りで害虫を防いでいたりするが。それと同じく、ひょっとするとこれも 侵入者を防ぐ為の防衛手段なのかもしれない。 色と香り、それも確かに生命に刺激を与えるという面において、とても効果的な手段だろう。 クワイエル達は太陽を見る時のように、目を細めて進んだ。色が眩しいのである。
花の種類は益々増え、その大きさも様々。 初めはよく目にする花のように、足下に可愛らしく咲いていたのだが。それが膝下まで伸び、更に腰に まで達し、今ではこちらが見上げるまでに大きな花も咲いている。 まるで空間を少しずつ花に支配されていくような、そんな不可思議な気持ちになり。足下から少しずつ 侵食されていくようで、ぞっとする気持ちがした。 実際、もう何処を見ても花で覆われている。草木も生えているのだろうが、全て花で覆い隠されている。 クワイエル達は四方を花に囲まれていた。いや、包囲されていると言った方が、より気持ちを表現できる かもしれない。 まるでこの花一つ一つが統一された意志をもった何かであるような、そんな恐怖心も湧いてくる。他の 大陸では馬鹿馬鹿しいと思える考えでも、このレムーヴァでは現実味を持った恐怖に変る。何があっても おかしくない。 花で疲れ果て、少し早いが野営の準備に取り掛かる事にした。花に見張られているようで落ち着かない が、今更引き返す気力は無い。何処に行こうと花で覆われているのだから、開き直ってこの場で休む事に したのである。 しかし天幕を張るにも、火を焚くにも花が邪魔になる。 小刀を取り出し、今まで同様無造作に周囲の花を刈り取った時、それは起こった。 牙を剥いたのである。正しく花が牙を剥いた。花弁を尖らせ、刈り取った花と同種らしき花達が、一斉 にクワイエル達へ襲いかかった。 根を張っている為に、花が動ける範囲は少ないが、数が多い。全ての襲い来る花から逃れられる場所を 確保するまでに、多くの傷を負ってしまっている。 まだ一種類の花だったから良かったが、これが全ての花に襲われていたらと思うと、ぞっとする。何処 にも逃げ場は無く、クワイエル達は無数の花弁で斬り殺されていたかもしれない。 今も花は牙を剥き、クワイエル達が近寄ってくるのを待っている。仲間の敵を討とうというのか、やら れる前にやろうというのか、そこには確かな殺意を感じる。 「まさか、この花達が・・・」 この地の主なのだろうか、と思ったが、それは違う。何故なら、この花達には特に大きな魔力を感じな いからである。花の持つ魔力は、今まで見てきた一般的なレムーヴァの植物と変らない。若干強いような 気もするが、違うと言うほどの差はない。 だから今まで花は花だと思い、襲いかかってくるなんて想像もしていなかったのだ。 多分この花達はたまたま生み出された副産物か、或いは主の眷族か家来のような存在なのだろう。 魔術での対話を試みてみたが、話も通じそうに無い。彼らは思想ではなく、本能で牙を剥いている。そ こに純粋な殺意しかない以上、会話しようと云う方が無理である。 クワイエル達はこのままじっとしている訳にもいかないので、何とかこの花達から離れようと、同種の 花が少ない方へと移動した。 足下から頭上まで、あらゆる所に花があり、その種類を一々判別するのは難しいのだが、何とか目を凝 らして進む。 「・・・・ッ!」 でもどうしても見落とす花があり、先頭に居たレイプトが不意に現れた花に軽傷を負わされてしまった。 しかも悪い事に、そこには他種の間に潜むように、多くの敵花が紛れ込んでいたのである。 困惑するレイプトへ、花達が一斉に襲いかかる。 「くッ!!」 レイプトを庇おうとハーヴィが伸ばした手が、偶然(いや花が多い為必然だったのか)いくつかの花の 茎を曲げ、結果として敵花のいくつかが、その花達を傷付ける事になってしまった。 するとどうだろう。今まで争いを無視していた花達が、突然敵花に牙を剥いたのである。花同士が花弁 で激しく斬り合い、その骸が空を舞う。 花同士が戦っている隙に、クワイエル達は何とかレイプトを助け出し、敵花が居ない場所まで逃げる事 が出来た。どうやら同じ花が群生している範囲は、そう広くないらしい。それは同時にこの地の花の多様 さを現しているが、クワイエル達にとっては天の助け。 もし森の全てが同種の花で覆われていたなら、どう足掻いても助からなかっただろう。 花同士の戦いは今も続いている。声無く、ただ茎の動くかすかな音だけが聴こえてくるのが気持悪い。 無言で喰らい合っているような、背筋が寒くなる不気味さを感じさせる。 「もう少し、離れましょう」 争いが収まる所か大きくなっているような気がするのは、先程と同じく、多分他の種の花を間違えて傷 付けてしまったのだろう。これだけ無数に生えている中を、あれだけ激しく争っているのだから、そうな るのはむしろ自然である。 ここもいつ巻き込まれるか解らない。クワイエル達は花を傷付けないよう、慎重に移動した。 幸いというべきか、多少踏ん付けた程度では花は敵意を示さない。もしかしたら、花の武器である鋭い 刃で傷付けられて、初めて敵意が湧くのかも知れない。という事は、この防衛本能のようなものは、他種 族ではなく、花同士が戦う為にあるとも考えられる。 巨人が小人で遊戯をしていたように、この地の主も、花達を戦わせる事を楽しみとしているのだろうか。 またはしていたのだろうか。 「ここまで来れば、暫くは大丈夫でしょう」 クワイエル達は疲れ果て、天幕も張らず、念の為に火を使わないで済む食事をし。そのまま花の少ない 場所にごろりと寝転び、いつものように見張りを立てて、ぐっすりと眠った。 怖くて眠れないと云う事はないようで、彼らも随分ふてぶてしくなっている。
夜が明けると、争いはすでに止んでいた。 恐る恐る戦いの起こった場所へ戻ってみたが、敵花は他の花達に一本残らず切り裂かれ、花弁と茎の欠 片だけが敵花の居た痕跡を示している。 よく観察すると、他にも滅びた花がある。多分巻き添えになったのだろう。 しかしどうも花の数は減っているようには見えない。正確に数えた訳ではないから、よく解らないが。 何となく花の本数自体は増えているような気さえする。 クワイエルは違和感を覚えたが、しかしまた何かがあっては困るので、その場所からすぐに離れた。 全てを埋める程に咲き誇る花を傷付けないのは不可能だが、花を切らないように気を付ける事なら、何 とかなる。 クワイエル達は足元に気を付け、花を踏み千切らないよう奥へ進んだ。 |