11-5.

 一週間程かけて、ようやく花地帯を抜ける事が出来た。魔術のおかげで花を気にせずに進めたのだが、

この地は南北に長いようで、北に抜けるには結構な日数がかかっている。

 おかげで空間をすり抜ける魔術に慣れてしまい、それを解いてから現実に慣れ直すまでには、これまた

多少の時間を必要とした。魔術に慣れるのも危険だと実感出来、それはそれで勉強になったけれど、出来

れば二度と味わいたくない経験である。

 人間も鬼人も自然に合わせて出来ているのだから、自然のままでいる方がいい。魔力が高まったとして

もそれは変らない。だからこそ魔術を当たり前に使わない事が、重要になってくる。

 生命の環境への適応力というものを、過信してはいけない。

 花地帯を抜けても、森はまだまだ遠く広がっている。終わりが見えず、ここもまた森の海と云う感じで、

大陸の果てまで続いているような気がする。

 しかしここはもう花だらけではなく、見慣れた(クワイエル達が考える)一般的な森の風景で、その分

安心できた。見慣れない物を長時間見ていると、それだけでも疲労感を与えられる。精神的、肉体的では

なく、何か別の根本的な部分が疲労するような感じだ。

 それが無くなったので、ようやく一心地つけたのである。

 だがゆっくりしてばかりもいられない。

 環境が変化したと云う事は、即ち新たな地へ踏み入れた事を意味し、それは同時に新たな主の存在を示

している。それが社交的であれば良いが、もし排他的な存在であったとしたら、クワイエル達の命が危険

にさらされる事になるだろう。

 好奇心を満足させるには充分だが、毎回生命の危機という恐怖心を与えられるのはしんどい。

 喜んだり怖がったり、魔術師でなければ身が持たなかっただろう。

 警戒を強め、物音に気を配り、遠視と透視の魔術を使って付近を調べてみたりしたが、どうやら危険な

獣の気配は無いようだ。今まで何も音沙汰が無い事を思うと、攻撃的な種が側に居る訳でも無いらしい。

勿論警戒は怠らないが、少しクワイエル達は安心した。

 そういえば、最後に獰猛(どうもう)な獣を見たのは何時だったろう。レムーヴァの奥へと踏み入れ、

植物は数多く見てきたが、かえって動物の存在は少なくなっているように思える。

 奥地へ行けば行く程獰猛な獣が多く居るようなイメージがあったが、それは外れていたようだ。

 やはり大いなる力を持った存在は、単一である事を望むのかもしれない。

 或いは面倒になりそうな存在は、自分の居場所を創る時に予(あらかじ)め排除しておくのか。

 そのわりにクワイエル達を好意的に迎えてくれる種が多いのは、クワイエル達がそこに住む為に来たの

では無いからなのか。

 確かに食用にする、愛玩用にする、などの目的が無ければ、他種族、特に動き回る動物など、邪魔でし

かない。何でも独りで出来るだけの力があるのなら、尚更そうだろう。

 その事が結果として、奥へ進めば進む程動物の種類を少なく、或いは数そのものを少なく、しているの

かもしれない。

 そんな訳で、クワイエル達はのんきに進んでいる。そこに住み着く意志が無い彼らは、案外気楽に行け

るのではないかと、そんな風に都合よく解釈したのである。



 クワイエル達は今の所平穏に進んでいるが、やはりと言うべきか、待ってましたと言うべきか、少しず

つその状況にも変化が訪れ始めていた。

 圧迫感がある程ではないが、時折何かの気配を感じるようになっている。

 今までの経験から言うと、それはわざとクワイエル達にその存在を知らせ、自分達が居るのだぞ、ここ

は自分達の領域なのだぞ、と警告しているのだろう。

 ある方向へ進んだ時にはガサガサと物音がし、別方向に進路を変えると、物音がしなくなった事もある。

そちらへ近付くなと、警告していたのかもしれない。

 そんな事をするくらいなら、出てきて伝えてくれれば良いのにとも思うが、これがこの地の主の会話手

段かも知れず、こちらのやり方を強いる事は出来ない。

 こちらが勝手に入って来ているのだから、今までと同様、郷に入っては郷に従え、の精神で行く方がい

い。今回も問答無用で攻撃されないだけましだろう。

 この大陸に住まう種に優しい者達が多いのか、それとも力が強い故の余裕なのかは知らないが、人間に

とってはありがたい。もしそうでなかったなら、クワイエル達はここまで来れなかっただろうし、様々な

未知と触れ、様々な価値ある経験を積む事も出来なかった筈だ。

 そう考えると、こちらの心まで和むというのか、少しだけ楽な気持になってくる。こちらも善意を持っ

て進まなければと思う。

 その理由が何処にあるにしても、他種族達は好意的に見てくれている。それは有り難い事で、だからこ

そその気持ちに応えなければならないと思うし。人はその好意、或いは敬意に相応しいのかどうか、問わ

れているような気もしてくる。

 この道程そのものが人に何かを問うている。そんな気がするのだ。

 クワイエル達は休憩を挟みながら、慎重に進み続ける。

 これは警戒するのと違わなくても、少しだけ意味合いは柔らかい。この地の主に無用な警戒心を与えな

い為の用心であり、注意であり、襲われるのを気にした警戒ではないのだ。

 彼らも花の時で懲(こ)りている。何がきっかけになって敵意を向けられるようになるのかが解らない

以上、より細かく気を配らなければならない。

 特にその地の環境を変えるような事をしてはならない。火にも注意する必要があるだろう。

 クワイエル達は石や土で薪や枯れ草を囲ってから火を点けるようにしている。これならうっかり何かを

燃やしてしまう危険が薄れるし、温度の拡散も防げるから、炊事にも便利である。

 囲いを作るのが手間だが、その手間を惜しんではいけない。

 これで完全に大丈夫だとは言えないし、結局は火を使う事に変わりはないとしても、危険性はいくらか

減る。例え少しであっても、好意を見せていきたい。これはそんな気持ちの表れだった。

 まあ、それが他種族に伝わるかは解らないが、やっておくに越した事はない筈だ。

 効果も少しはあったような気がする。

 無闇に環境を荒らさないように進む。その気持ちが伝わったのかどうか、少しずつだが例の物音が近く、

物柔らかになっている。

 何処がどうかと問われると、答えるのは難しい。でも確かに何かは変っている。そんな気がする。

 ゆっくりと心を通い合わせられるようで、何となく嬉しく、楽しい。

 直接会話したりする事だけが全てではない。こういう淡い触れ合いというのか、そっと何かで包むよう

な交わりというのも、何となく気持ちが安らぐ。こんな小さな事でも、確かに通じ合っていけるのを感じ

られるのは、とても嬉しい事だった。



 そして遂にその時がやってきた。目にしたのは小さな種である。小人と言っても良いが、前に会った小

人よりは随分大きい。大体大人の膝くらいの背丈だろうか。小人では紛らわしいので、前の小人と区別し

て子人と呼ぶ事にしよう。

 体型はずんぐりむっくりと云う感じで、全体的に丸い。でも太っているのではなくて、小さいながらす

ばしこく、随分力がありそうだった。

 何せ自分の背丈くらいある斧を軽々と操り、自分の何倍もある木を伐っていたのだから、それを初めて

見た時の驚きは、ちょっと説明出来ない。

 硬そうな鎧兜を身に付け、軽々と大斧を振り回すその姿は、樵(きこり)というよりは熟練の戦士とい

う風情で、クワイエルなんかよりは百倍も力がありそうに見える。下手すれば鬼人に匹敵、或いは凌駕(り

ょうが)してしまうかもしれない。

 伐った木も軽々と一人で担ぎ上げ、息一つ乱さない。見たのは一人だったが、まったく仕事に苦労して

いないように感じる。これが人間であれば、何人も人手が要るだろう

 クワイエルが我に返り、会話してみようと思った頃には、子人はとっくに仕事を終え、さっさと木を担

いで去ってしまった後であった。

 仕方なく諦めて進むと、今度はもっと小さな子人と出会った。

 背丈はくるぶし辺りまでだろうか、先ほど会った樵の五分の一くらい。丁度大人の握り拳一つ分くらい

の小さいのが四、五人居て、落ちている木の実やら枝やらを集めていた。

 この小人達も仕事が速く、話しかける暇も無く、あっと言う間に目の前を通り過ぎてしまう。

 また仕方なく諦めて進んで行くと、似たような子人達を見かけたが、これまた同じようにさっと消えて

行く。随分働き者で、そして仕事の速い種族らしい。

 思ったよりも他に無関心な種なのか、それともこちらを尊重してくれているのか、子人からは何も言っ

てこようとしてこない。姿を隠さなくなった事から、警戒を解いた事は解るが、積極的に会話しようとい

う意志も無いようだ。

 それとも、この子人達は仕事をする役目であって、他種と勝手に会話したりする事を禁じられているの

だろうか。

 同じ種なのか別種なのか解らないが、大きさの違うのが少なくても二種類居て、その上で仕事内容も違

うようだから、交渉役が同じように分担されていておかしくはない。

 それなら何故、そういう役目の者が未だに現れてないのか、という疑問はあるが、余計な事は考えない

方が良いのだろう。

 とにかく警戒が解けた事を幸いに思い、先に進んで見る事にした。進めば、また違った何かがある筈。

 子人達が動き回る姿は可愛く、どこか滑稽で、ただ見ているだけでも悪くない。ならそれで良いじゃな

いか、とクワイエル達は考えたのである。

 花にびくびくしていた時を思えば、随分ましだ。




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