12-1.

 子人の街を抜けても、まだまだ森は続くようだ。

 木々に覆われている為、遠い先まで見る事は出来ないが、森が途切れるような気配は感じられない。勿

論、このレムーヴァに限っていえば、そういう気配を遠慮なくぶった切るような地形があっても、全くお

かしくはないのだが。

 透視の魔術を使えば先まで見通せるかもしれないが、それは使わない事にしている。先が見えすぎても

面白くないという事もあるし、迂闊に使うと何が起こるか解らないという事もあるし、出来る限り魔力を

節約したいという事もある。

 何が起こるかさっぱり解らないのだから、少しでも消耗や危険は避けるのが得策である。食料や道具な

どもそうだし、魔力もそう、旅をするには節約はとても大事な事だ。

 それに結界が張られていれば、クワイエル達の魔力ではそれ以上は覗けない。透視出来たとしてもほん

の少し先を見られる程度だろう。

 森は延々と続く。風景にもあまり変化がない。自然そのままなのか、それとも変化した後の自然なのか

は解らないが、何者かがいる気配もなさそうだ。獣の気配なども相変わらず感じず、居るのは小動物か昆

虫のみ。いつもと変わらないというのか、見慣れた光景である。

 いや、そういえば昆虫は珍しいといえば珍しいのか。今までさして気にしていなかったが、思い返して

みるとあまり見かけた覚えがない。落ち葉や木の陰を探せば居たのかもしれないが、特に注意していなか

った為か、虫に対しての印象はない。

 全く見ないという事もなかったが、特に今まで気にした事がないのに今気になったと云う事は、この地

の虫が他より目立つくらいには多いという事なのだろう。

 昆虫の数が増えてきているのだろうか。

 何か変化が起これば、それが他種族が居るという合図である。目に付いてきたのなら、注意しておいた

方が良いかもしれない。

 今度は昆虫人とか現れるかもしれない。

 などと考えながらクワイエル達は進んで行く。急ぐ必要は無いが、意味も無く遅いのも憚(はばか)ら

れる。慎重に行かなければならないが、意味無く止まる事も良いとは思わない。そんな捻(ひね)くれた

気持ちで進むのだから、自然と速度も捻くれたものになっている。

 クワイエル達の歩速は安定せず、その時々によってかなり違う。まあ、誰でもそんなものかもしれない

が、基本的に彼らは気ままだと言っていい。一日大体どの程度進むのか、それは誰にも解らないし、平均

を出しても意味ないくらい、一定しない速度で進んでいる。

 そういう意味でも大陸踏破までの時間が推し量り難い。

 この場合も、ちょっとした変化を見付けた事で、その速度が大きくゆるやかになった。クワイエル達は

木陰や落ち葉の下を覗き、見付けた虫を数え歩く。

 そうすると確かに奥へ行けば行く程虫の数が増えている事が解ってきた。

 しかしだからこうだと断定するのはまだ早い。何故ならレムーヴァは奥へ行けば行く程大地から発する

魔力が高まり、魔力が高まれば、その分生命の数も力も増す事になるからだ。

 木々が繁っているのもその影響があるのだろうし、木々が増えれば虫の数が増えたとしてもおかしな事

ではない。

 つまりそれは全て自然のままであるかもしれず、まだまだ決め付けるのは早過ぎるのである。

 ただ大きな獣が居ないのは相変わらずで、今ではもう慣れてきているが、違和感がないと言えば嘘にな

る。これだけ広大かつ豊潤(ほうじゅん)な森に、獣の姿が全く見えないというのは、やはり不思議だ。

 子人が戦花で撃退したと云う事は、確かに以前は獣が居たという事である。それが今全く見えないとい

うのは一体どういう事なのだろう。

 その地の主が追い払うなりしたのだろうと思っていたが、それでも全く見ないというのはおかしい。他

種族と他種族の生息域の狭間にでも、獣達が集まっていておかしくなく。むしろその方が自然であると思

えるのに、全くそれらしい場所を見た事がない。これはおかしい。

 もしかして他種族の手によって、獣達は滅ぼされてしまったのだろうか。それとも他種族になれなかっ

た獣達は、自然に淘汰されてしまうのだろうか。

 レムーヴァに対する疑問はいつまも途切れず、晴れる事がない。未知の大陸というよりは、疑問の大陸

になりそうな気配である。

 まあ、解らない事を考えていても禿げるだけだ。とにかくクワイエル達はえっほらえっほら進んで行く。



 子人の森に家を建てた事で、クワイエル達の中にあった寂しさに似た気持ちは随分薄れている。

 それでも故郷やギルギスト、鬼人の集落を懐かしく想う気持に変わりないが、自分で納得させられる程

度には落ち着いている。こういうのは気分なのだから、何かきっかけさえあれば治まるものなのだろう。

 いざという時の逃げ込み場所があるというのも、とても心強い。出来れば常にそこに誰かが居て、何か

あればすぐに救援に駆け付けてくれるようなら嬉しいのだが、今の所そこまでは望めない。

 開拓も進んでいるとは思うが、その手が子人の森まで到達するのには、まだまだ時間がかかる筈だ。

 一度現在の進行状況などを聞いてみたい所だが、遠話の魔術を使うのもなかなか骨が折れる。何か媒体

となる術具でもあれば良いのだが、クワイエル達自身がそれを作るには、材料も道具も時間も足りない。

 いっそ布人にでも頼んでみようか。笛で呼び出せば来てくれるかもしれない。布人の街から遠く離れる

までに、一度試してみても悪くない。

 などと考えていると、日が暮れていた。そろそろ休む事にする。



 夜になると虫の音が良く響いてくる。この声からもその数が察せられ、はっきり言ってその音はとても

うるさい。このまま虫が増え続ければ、花の時のように一面虫だらけになるかもしれない。花ならまだ良

いとしても、一面虫だらけになるのはちょっと気持ち悪い。

 人とは相容れないあの姿、細くも様々に枝分かれした身体、あれは少し、いや大いに気持ち悪い。

 それに昆虫というのは生命として強靭(きょうじん)で、敵にすると厄介な存在である。虫の森でその

一面を覆う虫達に一斉に襲われる。それを想像するだけで、クワイエルなどは胸焼けがするような気持ち

になった。



 幸い想像していたような事はなく、無事に一夜は明けたが、何となく落ち着かない。

 ただ虫の音は夜とはまた違ったものとなり、静けさ自体は増している。昼間に鳴く虫は少なく、夜行性

というのか、夜鳴性というのか、そういう虫の方が多いようだ。

 歩くと必ず虫が飛立つ音が聴こえるし、虫の数自体は減っていない事が解る。

 これだけ虫が居て、よく緑が食い尽くされないものだと思う。緑も豊富とはいえ、よくこれだけの虫を

養っていられるものだ。何か理由があるのか、それともこの虫達は植物ではなく、別の物を食べているの

だろうか。

 クワイエル達が進んでもそれを遮るでもなし、攻撃してくるでもなし、防衛の為に居る訳ではなさそう

で、虫自体はクワイエル達が良く知る虫と変わらないように思える。

 虫がこの地の主かとも考えたが、それも違うようだ。クワイエル達を害無しと見て、放っているだけか

もしれないが、この虫自体には違和感を感じない。数が増えるだけで、花の時のような違和感は無かった。

あくまでも森の中に住まう虫であり、それ以上でもそれ以外の何かでもなさそうである。

 幻かそう見せかけているだけ、という可能性もあるが、それならそれでクワイエル達にはどうしようも

ない。友好的ではないとしても、敵対的でもないとして、それで満足するしかないのだろう。

 異常といえば異常かもしれないが。今の所、虫が多いだけの、ただの森なのである。



 虫だらけになって更に数日、すっかり虫の居る事には慣れたが、気持ち悪さは変わらない。虫達が異界

の住人のようにも見え、ただの森が異様な場所に思えてくる。ここがクワイエル達の居場所でない事だけ

は確かだ。

 しかしこの頃から虫ではない、何か別の生命の痕跡が見られるようになってきている。

 具体的に言えば、足跡である。明らかに虫のものではない、大きな足跡がそこかしこに見られる。勿論、

それが巨大虫の足跡である可能性を否定できないし、そう考えると益々気持ち悪くなってくるので、取り

合えず猪(いのしし)か何かを思い浮かべておく事にした。

 足跡から察するに体長は人間の倍近い、鬼人よりも尚大きく、体重もかなりあるように思える。足跡の

大きさも様々で、複数居るのかもしれない。

 しかし気になるのはその大きさではなく、足跡の数で。例え複数いるにしても、明らかに足跡の数が多

い。同じ大きさの足跡が密集している。足踏みしたのでなければ、足が一本や二本ではなく、四本も六本

も生えているという事なのかもしれない。

 足が多いといえば思い出すのは昆虫である。足跡は明らかに虫ではないが、それはクワイエル達の常識

の範囲での話なので、巨大昆虫が居ると考えた方がしっくりくる。

 巨大昆虫が数多く徘徊している様を想像し、クワイエルはまた胸の奥が焼けるのを感じた。

 彼は虫が好きではない。怖がる程ではないが、ああいう姿を見るのは苦手である。巨大昆虫など現れよ

うものなら、耐えられないかもしれない。

 内心恐怖を覚えながら、クワイエル達は更に進んだ。

 すると足跡を見る回数が数と共に明らかに増えてきた。逆に辺りに居るだろう虫の数は減っている。虫

が巨大な何かを恐れ、その生息域から離れている、という可能性もあるが。巨大な何かが虫を捕食してい

ると考える方が自然な気もする。

 そう考えれば虫の数が増えた理由も、足跡と虫の数が反比例している事にも説明が付く。

 確認して見なければ解らないが、クワイエルとしてはそう思いたい。例え足跡の主が巨大昆虫であった

としても、それが虫の数を減らしてくれているとすれば、いくらかは心が和らぐからだ。

 それは気休めにしかならないとしても、今のクワイエルからすれば、重要な事だった。

 それにしても他の仲間達は蟲虫した今の状況が平気なのだろうか。

 一度聞いてみたかったが、もし苦手なのがクワイエル一人だけだとなると何だか気恥ずかしいので、聞

くのは止めておく事にする。




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